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私の読む「源氏物語」ー29-薄雲

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「亡くなられた桐壺院の御遺志は、多くおられた親王方の中から私を特別に大事にされながら、決して私に位を譲ることはお考えにならなかった。どうして故院のお考えに背いて帝の位になぞに昇ることは出来ませぬ。ただ御遺志の通りに朝廷におつかいして、もう少し歳がゆくならば仏門に入り静かに毎日を送ろうと思っております。」
 といつもと変わらない返事をするものだから、帝は大変残念に思った。
 太政大臣にという帝の意志であるが、真に政界で実力が発揮できる官職は内大臣であると源氏は思っているので、冷泉帝の考えを少し待ってもらって、太政大臣の位階だけを戴き、従一位に昇り、牛車で建礼門までの出入りが許される、ということだけを希望した。源氏の気持ちに冷泉帝は大変残念に思い、せめて親王の位に戻るように進めるのであるが、源氏は、
「今宮中には自分をのぞいて政治のことを後見する人材がいない。頭中将が権中納言となって大納言に昇進し、右大将を兼任しているのであるが、もう一階昇進して内大臣になるならば自分は身を引いて静かに世を過ごそう」
 と考えていた。そしてさらに源氏は、
「亡き父院に対しても申し訳がないことであるし亡き藤壷の宮にとってもお気の毒のことである。また帝がこのように悩まれるのは本当につらいことである、いったい誰が帝の耳にこの秘め事を伝えたのであろう」
 と不審に思うのであった。
 源氏は事の真相を知る王命婦を呼んでただしてみることにした。王命婦は藤壺亡き後御匣殿別当が転出した後任に就任して曹司を賜って出仕している、源氏は前に控える王命婦に、
「私と亡き藤壺院との隠し事をそなたは何かの拍子に少し帝に漏らしたことはあるまいか」
 と詰問するのであるが、王命婦は、
「どうして私が。亡き藤壺宮はこの秘密が帝に漏れることを大変恐れておいでになるとともに、帝が何も知らないままに来世で仏の咎めを受けるのではないかと、大変ご心配されておられました。」
 と王命婦が源氏に答えるのを聞きながら、源氏は亡き藤壺の優しい心を思い浮かべ自分の心にまだ残っている藤壺への恋心を確かめていた。

 斎宮女御は二十三歳、冷泉帝十四歳で、九歳年長の姉様女御であるが、斎宮女御は帝の後見役として帝の諸事を上手く助けてその職務を十分に発揮している上に、年かさの女として帝の夜の相手には若い弘徽殿の女御のように遊びのような床の仕草ではなくて、常に男の心を穏やかに高揚させ帝の心が満足するまで年上の女として自分の気持ちを高ぶらせるようなことはせずにいた。そんな女の優しさが帝の御寵愛を厚くしていたのである。
 斎宮女御は絵合の巻で説明したように、源氏が若い頃に深く交際していた六条御息所の娘で、桐壺帝と朱雀帝との交代の折に慣例として伊勢の斎宮にとなって冷泉帝が譲位するまで伊勢神宮に奉仕していた、。母親の御息所はそんな娘について伊勢に下向していた。源氏の最初の妻となった葵の上が、息子の夕霧を出産した後の産後の病状が悪く死亡したときに、御息所の嫉妬の怨霊が葵にとりつき死に至らしめたと源氏は思いこみ、二人の仲が疎遠になったのが、御息所を京から伊勢に向かわせた原因であった。
 京に戻って程なく御息所は病にかかり、源氏に、と残された一人娘のことを頼んで死んでいった。源氏は自分の屋敷に娘を引き取り冷泉帝の女御にと宮中に送ったのであった。
 源氏は自分が送り込んだ斎宮女御が帝の寵愛が厚く自分の思い通りの立派な女に成長したことを満足に思い帝の側に勤めていた。
 秋の頃になって斎宮女御は帝の許しを得て里である源氏の二条院に里帰りをした。源氏は斎宮女御が居間とする寝殿の内外装を美しく飾り立てて、女御の親代わりとして十分の準備をした。
 秋雨が静かに降り続き雨に打たれてしっとりと濡れている庭の植え込みを眺めながら、源氏は斎宮の女御にまつわる昔のことを思い出していた。若い源氏に歌のこと、舞のこと、昔からの慣習、そして何よりも男女の仲を体を合わせながら柔らかく教えてくれた六条御息所の思い出、伊勢に下向前に野の宮訪問と御息所との離別、御息所の晩秋の死去など、秋にまつわる思い出を思い出して涙がこぼれてきた。源氏は袖で涙をぬぐうと斎宮女御のいる御簾の中に入っていった。源氏はこのごろ巷には疫病を患って亡くなる人が多いというので、服喪の気持ちから喪服に近い鈍色の直衣を着用していた、手には亡き藤壺を忍んで未だに数珠を持っていたのであるがそれを女御に見えないように隠して、機嫌良く女御の前に座り、話をしていた。その姿は女御から見るととても優雅に見えたのであった。

 御簾の中では女御とは几帳を隔てては話をする、いくら親のように接しているとはいえ源氏は本当の父親ではないので几帳の中に入り直接顔を合わせるわけにはいかない。
「『百草の花の紐解く秋の野に思ひたはれむ人なとがめそ』(さまざまな花が紐を解き花を開き咲かせる秋の野で、花に心を寄せ戯れかけようと思う。人よ、どうか咎めないでおくれ)と言う歌が古今集にあります。庭の花々は見事に咲き誇っています。今年は大変不幸なことが多い年でありましたのに、この花どもはそんなことにかまわず見事に咲いております。これを見るとなんと世の哀れをきつく感じます」
 と几帳の中に語りかけながら柱に寄りかかっている、その源氏に夕日が気持ちよく射していた。源氏はかって斎宮が禊ぎのために野宮にいた頃、宮の母親六条御息所が恋しくて明け方露に濡れた野宮の周りを歩き回ったことを思い出しながら、昔の思い出話をする。何となく悲しいことが多いようであった。
 几帳の中で源氏の話を聞いていた斎宮の女御は 
「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖ぞ露けかりける」
「わが思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづそほつらむ」
 という古歌が自然と頭に浮かび出てほろりと涙が出てきた。そうして少し体を動かして源氏の声がよく聞こえるようにと几帳の側に進む。その気配が源氏にはすごく悩ましく聞こえて、
「姿が見えないのはとても残念」
 と胸が轟くのは源氏に好き心がまだあるということで少々おかしなものである。
 源氏は斎宮の母である六条御息所と恋仲であった頃、すでに斎宮はものが分かる年齢であったので、いまさら隠すことでも
ないと、
「私は若い頃、女が恋しくて物思いの多い日を送りました。女の人を思い焦がれるのは男にとって苦しいものなのですよ。いろいろと手を尽くして親しくなろうとした結果成功しないこともたくさんありましたが、とうとう別れるまで自分の気持ちがわかってもらえなかったことが二つあるのですが、その一つはあなたのお母様のことです。私と御息所とはとても仲睦まじかったことはご承知でありましょう。それが左大臣の娘の葵を妻としてから次第に御息所は私の心変わりとお恨みになりそのまま伊勢へと下向されてお互い心を解くことなく別れてしまいました。このことが未来までの煩いになることを私はしてしまったかと悲しんでいました。だが、こうしてあなたのお世話をすることで私は御息所への謝罪をしていると、自分の心を慰めております、それでも私を恨んで亡くなられた御息所を思うと、私の心は今でも晴れることなくいつも暗闇をさまよっています」