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私の読む「源氏物語」ー29-薄雲

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 源氏は義父である左大臣が亡くなり、今また冷泉帝の生みの親でもありまた源氏が忘れようとしても忘れられない恋する女でもある藤壺が重病に陥り命が危ないことなどを考えると、このように朝廷としては重要な方々が亡くなられるということは本当に苦しいことである、なんとかしてこの局面を抜け出さなければと、祈祷出来るところを全てに祈願の勤行を命じた。源氏は藤壺が仏門に入り髪を尼削りしてからは、長年抱いていた藤壺への思慕も諦めかけていたのであったが、今生の別れにもなるのではないかと、再び彼女への思慕の気持ちが湧いてきて心配でたまらず、藤壺とはとても直接見舞うことが出来ないので病臥する几帳の近くまで出向いて、傍らで看病をする女房に主人である藤壺の様子を尋ねるのであった。女房は、
「この数か月ずっとご気分がすぐれずにいらっしゃいましたのに、仏へのお勤めを続けてお出でになりました、そのお疲れからか、ご病状はますますひどく、ご衰弱されました。最近では、蜜柑を差し上げるのですがそれさへお口にされなくなりました。このままではご回復の希望もなくなっておしまいになりました様子に見受けられます」
 涙ながらに源氏に訴える。
 藤壺は女房を通じて源氏に、
「亡きお父上の御遺言を固く守られて帝の後見をしていただいていることは、何時も聞いておりまして何かの折りにはお礼を申し上げねばと思っていましたのですが、この通り体が思うようにならなくなり残念で悔しゅうございます」
 とか細い声で女房に言う藤壺の声がかすかに聞こえてくる、その藤壺の弱り切った声が源氏の胸を打ち堪らなくなって源氏は泣き崩れてしまった。「こんな気の弱い姿を人にみせては」と我慢しようとするのであるが、若い自分からの二人の間柄を自分の恋心を除いて考えても、無くすに惜しい人である、絶対に失ってはならないと思うのであるが、命というものは人の力ではどうすることも出来ない力のない自分を不甲斐なく感じていた。源氏は更に女房を通じて藤壺に、
「頼みにされるような才能を持ちあわせない身ではありますが、自分で出来る限りのことをして参りました。そこへ太政大臣でありました義父も亡くなり世の中の示しが尽きかねていますところに、貴女様までがこのように弱い心をお持ちになるようになっては、更に世間の乱れがひどくなりましょう、このまま私が後見の役として内裏に残るのはとても我慢が出来ない気持ちです」
 と告げている中に灯火が消えるようにして藤壺は息を引き取ってしまった。源氏の嘆きはここで筆で現すことは出来ない。

 藤壺入道后は実家は元帝の父を持ち尊貴な身分の出身であったが大きな愛を持っていて、権勢や富のある者にありがちな知らず知らず自分より身分の低い者に対して傲慢な態度を取るものであるが、藤壺にはそうした間違った考えや行動はなかった。藤壺のためにとお付きの人が考えることも、それが人々の負担になると認めようとはしなかった。  
 仏門の方面も僧呂の言葉を熱心に聴取するのであるが、人目に付くような派手な仏事、法要などは昔聖人と呼ばれたような帝の時には催されたこともあったのであるが、藤壺はそれを極力避けていた。元々宮家であったので両親の遺産や宮廷から年々定まって支給される物の中から、自分の生活を質素にして慈善と寺への寄付をしていた。そのようなことから下っ端の僧にすぎないほどの者まで彼女の恩恵に浴していたことを思って藤壺の死を悲しんだ。
 世の中の人は皆女院をお惜しみして泣いた。殿上の人も皆真黒な喪服姿になって寂しい春であった。
 藤壺の葬送の時は、都中が悲しみに暮れた。参列した殿上人はすべて黒一色の喪服で、淋しい華やかさもない晩春であった。源氏は二条院の庭先に満開している桜を眺めながら父桐壺院と藤壺が並んで宮中で催された花の宴に出席して笑みを浮かべて源氏達が管弦するのを見ていたことを思い出していた。「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(深草の野辺にさく桜が人のような心を持っているものならば、せめて今年だけは墨染めの色に咲いてほしい)と古今集の中にある上野岑雄の歌を独り口ずさみ、こんな自分をみて家人が変に思うに違いないと、御念誦堂に入り、一日中泣き暮らした。山の向こうに日が沈み夕日が明るく射し山際の木々の梢がくっきりと見え、雲が薄くたなびいて鈍色なのを、普段であれば気にもとめないのであるが、今日は悲しみを誘う光景に見えた。

 入り日さす峰にたなびく薄雲は
もの思ふ袖に色やまがへる
(入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は、悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか)

 誰一人居ないところで詠うこの歌は誰も知らなかった。

 母の藤壺入道の宮が亡くなられてそれに伴う色々な行事も全て終わり、周りが静かになると冷泉帝はなんとなく心細くなった。その母入道の仏の道の師匠でもあり、また永らく宮中の祈りの導師として勤めている僧都が丁度宿直に当たって帝の側近くに控えていた。藤壺も親しくしていたし、宮中でも高僧として重い地位にあった。年は七十にもなり 今は庵を構えて世の中から離れて暮らしていたのであったが、藤壺入道の宮の死去に伴う行事に参加するようにと帝からの命がありその後宮中に常駐していたのであった。
 最近になって源氏が以前のように宮中に勤めるように薦めるのに、
「この歳になりますと夜のお勤めも辛うございます、然し昔大変お世話になりましたことも考えましてしばらくこちらにて勤行を致します」
 ということで帝近くに控えることにしていた。
 ある夜とても静かな雰囲気であった。近くに宿直の者もなくこの僧都と帝だけ二人が夜明け方を迎えていた。僧都は年寄り特有の咳をしながら若い帝と世の中のことをいろいろと話していたのであるが、ふと
「このようなことを申し上げるのはどうかと思うのでありますが、申し上げては私は罪人になるやもしれません、しかし、帝に申し上げずにおりますと帝は事の真相を知らないために神の裁きを受けるやもしれませんし、このままお伝えしないで私が死ぬようなことになれば私にとって何の得にもなりません、仏はなんと不正直な男であると思うことでしょう」
 とだけ言うがそれ以上どうしても言えないふうであった。

 帝は僧都が言いよどんでいることに、
「どんなことなのだろう、この世に不満なことでもあるのか。僧都は悟りを得た人であってもやはり心に恨みごとを持っているのだろう」
 と思い、僧都に
「幼いときからあなたとは何事も隠さずに相談してきたではありませんか、それでもまだ私には言えないことがあるのですか」
 僧都は、
「もったいないことです、その上私が多年修行いたしました真言の教えも、何一つ隠すことなくお伝えいたしました。その上に私が帝に隠していることなどあるはずがございません。