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私の読む「源氏物語」ー29-薄雲

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床とを合わせながら思うのであった。そのあとは男と女である、共に添え臥して、源氏は預かっている姫の日常を細々と明石に話しながら高ぶっていく明石に誘われるように自分も熱くなっていった。
 この大堰山荘は京から離れた鄙びた田舎であるが、このように源氏が訪れて、粗末な果物や、米を甑に入れて蒸した強飯を食べるときもあった。紫に、この山荘の近くにある寺や、桂殿に参るからと言っては、明石に溺れこむということはないのであるが、それでいて、普通の女を相手にした様子でもなく、やはり大切に愛情を込めて接していた。
 明石も源氏の心が分かっていて源氏がゆっくりと自分に接しているときは身を砕けるばかりに源氏を迎えているが、それ以上な無理を源氏に言うことはなかった。また必要以上に自分を卑下することもせず、源氏の気持ちに逆らうこともなく、そこはごく自然に振る舞っていた。
 源氏は外の夫人で位の高い高貴な婦人方の所で自分と接するときのように気を許すことはなく、節度を持って振る舞っていることを聞いていたので、
「源氏様が誘われる二条院東に移りお渡りが比較的に楽になったら、人に見られることが多くなり、そのあたりの人から軽蔑されることなどもあろう。時たまでも、このようにわざわざお越しくださるほうが、自分では楽な気持ちがする」
 と源氏が新しく新築した東院に移り住むと誘うのを拒む理由の一つに思うのであった。
 明石でも、ああは言ったが、このお心づもりや、様子を知りたくて、気がかりでないように、使者を行き来させて、胸をどきりとさせることもあったり、また、面目に思うことも多くあったりするのであった。
 明石の入道も今後のいっさいのことは神仏に任せるというようなことも言ったのであるが、源氏の愛情、娘や孫の扱われ方などを知りたくて始終使いを出していた。娘からの返事を見ては、娘の苦しみを推察して胸のふさがるようなこともあったし、孫が二条邸で大切に扱われているということを聞いては、名誉を得た気分になることもあった。 

 源氏の最初の正夫人であった葵の上の父である太政大臣が六十六歳で亡くなった。政治の要に座っておられた人であったので、帝を始め宮中の人々は嘆き悲しんだ。病で内裏に参内されなくてもみんなが騒ぐのに、亡くなられたとは、悲しみ嘆く人が多かった。源氏も今後どうしようかと思い迷っていた。今までは政治向きの主だったことは一切亡くなった太政大臣に任せっきりで、自分は暢気に構えて居られたのであるが、これから先頼る人もなくて全ての政務が自分の肩に掛かってくることを考えると、どうしようかと思い悩むのであった。
 藤壺の子供である冷泉帝も十四歳になったが歳よりも年寄りくさくなって、政治向きのことを、自信がないと言うことはないのではあるが、自分を後見してくれる確たる人が居ないので、源氏は、 
「誰かに後を譲って、自分は出家して静かに暮らしたいが」
 と思うのであるが、これといった人物が居ないので悩んでいた。源氏の出家願望は、「葵」巻の妻葵の上を失い、引き続いて「賢木」巻で父桐壷帝を失ったころに始まり、「絵合」巻に嵯峨野御堂の建立、「松風」巻の月に二度の参詣というように深まり、日常化しつつあった。
 それはそれとして、源氏は亡くなった太政大臣の法事などにも、大臣の子息や孫たち以上にあれこれと指図をして、心をこめて弔問をし、いろいろと世話をするのであった。
 その年は年間を通じて色々と事件が多かっ
朝廷に伺候する人達も、あれこれと不吉なものを見たと言っては何事か悪いことの起こる前兆であると不穏の空気が漂っていた。
「月食、日食があり彗星が夜空に尾を引き、天空も、いつもと違った様子である」
 と世間の人の驚くことが多くて、朝廷の質問に対して博士・儒家・神祇官・明法家・陰陽師などが前例故実を考えまたは占いの結果について吉凶考えて報告する勘文を見ても、世に尋常でない事柄多く記載されていた。内大臣源氏だけは、心中にこのたびのことはそれと、分かることがあった。。

 源氏の父親桐壺帝の女御であった藤壺、桐壺が亡くなった後は、桐壺との間に出来た子供、実は源氏との密会で妊娠したのであるが、その子供が桐壺と右大臣の娘で弘徽殿の女御との間にできた朱雀帝が位を弟のに当たる藤壺の子供に位を譲り、子供は即位して冷泉と称した。藤壺は我が子の即位の後出家して入道后の宮と呼ばれていた。仏門にはいるに藤壺は色々と悩みを抱えていたのであるが、そのことは既に述べたので以前の章段を読んでいただきたい。
 その入道后の宮がこの年の春先から体調を崩して三月にはいると病が重くなり、聞いた帝も母親のことで見舞いに藤壺の屋敷を訪問した。冷泉帝は母親と別れて春宮として内裏に入ったときは、まだ幼少であり物わかりがまだ出来ないこともあり母親と別れることにさほどの悩みはなかったのであるが、今は少年となり物の道理もしっかりと分かる歳頃であるので、母親の病を大変心配する。藤壺もそのような我が子を見ては大変悲しむのであった。我が子の帝に、
「私も三十七歳厄年に当たり何事もなければと心配しておりましたが、体の調子が悪いと言ってさも大病のような顔をしていますと、えらい大げさなことを、と人は思うであろうと、勤行も極楽往生を願うような特別なこともしないでおりました。 
 内裏に参上して貴方と昔の話でもしたいと思い、気は焦るのですが体が思わしく付いてこなくて、本当に残念なことに鬱々として過ごしてしまいました」 
 とか細い声で帝に言う。
帝はそんな母親の姿を見て、まだ三十七歳お若い盛りであるのにどうしてこんなに弱気なことを言うのであろう、と悲しく病の母緒見つめていて、
「厄年になったので色々と注意しなければならないお歳である。それで今年は気が晴れない年であると心配申し上げていたのであるが、ご自分では往生のことより命を長らえる祈祷をなさらなければならないのに、常日頃より怠っていらっしゃるとは」
 と母親が死を覚悟している様子を大変悲しく思っていた。だが帝は急いであらゆる加持祈祷を諸方に命じになった。普通は帝は母親が病と聞いてもいつもの持病であろうし、そのうちに治るだろうと思っていたのであるが、今回は様子が違うと感じていた、源氏も自分の大事な人である藤壺の病が重いと知って大変心配をしていた。帝は時間のこともあって、まもなく母親の病床を離れて内裏に帰っていった。悲しいことが多い年である。
 藤壺は病がひどいのか言葉がうまく言えなくなっていた。心の中で、
「自分は先の帝の四姫として生を受けるという最高の前世を持ち、更に桐壺帝の后となって現世でも最高の身分を得た、それでも心には何か足りない物があった、それも世の人よりはるかに大きい。やはり自分は源氏様を恋いこがれているのである」
 と思っていた。更に我が子の帝はその出生の秘密を知らず、帝の夢の中にでも私と源氏様の間に出来た子供であるという、この秘密を明かすことは出来ないことである。藤壺はそう思うと帝が気の毒に思いこのことだけが後ろ髪を引かれる心地がして、死んでも後の世にまで引きずっていく思いがしていた。