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私の読む「源氏物語」ー29-薄雲

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 明石は占い師を呼んで吉日を選ばせ、内密に娘を源氏の許に送る準備を始めた。娘を手放すことは、やはりとてもつらいことであったが、「この娘の将来のためにきっと一番好いことである」と準備をしながらぐっと悲しみを堪えていた。源氏が派遣したあの宣旨の乳母に
「貴女とも離れることになります。明石で、またここ大堰で源氏様の渡りがないとき朝な夕なの悲しみ、所在ない時の話相手、お互いに慰めあってきましたのに、その貴女が居なくなってますます頼りとする人がなくなって、この先どんなに悲しい思いをせねばならないことか」と、明石は涙を流す。
 宣旨の乳母も、
「今回のことは私たちの運命であったのでしょう。源氏様から思いがけないお言いつけで姫様の乳母としてあの明石の浦でお目にかかり、長い間のお心配りを戴き、私は決して忘れることが出来ません、お姫様のこと恋しく思われることでしょうが、ふっつり縁が切れることは決してありますまい。行く末はと期待しながら私はしばらくの間と思っていますが、こちらと別れて、あの紫様の許で思いもかけないお勤めが不安でございます」
 などと二人は泣き泣き日を過ごしているうちに、十二月になってしまった。

 寒い日が続きや霰の日が多く、明石は淋しさが一層つのって、「どうしてこんなに次々と心を迷わすことを考えるのだろう」と、娘と別れる日が近づくにつれて悲しみが増してくる。今もいつもより丁寧に娘を側において撫でたり身なりを繕ったりしながら外の雪降りを見ていた。
 雪空があたりを薄暗くして庭に雪が白く降り積もった翌朝、明石は過ぎ去った日々のことやこれから先のこと、色々と考え続けて、いつもは縁側近くまでは出ることなどはしないのだが、庭の池が凍っているのをじっと見ていて、白い衣の柔らかいのを重ね着をして、物思いに沈んでいる明石の容姿、頭の恰好、後ろ姿などは、「なんと美しいおすがたであろう、高貴なお方と申し上げても誰一人反対しないこと」と明石を見て女房たちは思い。悲しみの中にある主の心境を察して涙を流していた。明石は涙をぬぐって
「今日のような雪降りの日は、いつもよりどんなにか淋しいこと」と、
宣旨の乳母に言い、

 雪深み深山の道は晴れずとも
    なほ文かよへ跡絶えずして
(雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも、どうか手紙だけはください、跡の絶えないように)

 と詠うと、宣旨は泣いて、

 雪間なき吉野の山を訪ねても
     心のかよふ跡絶えめやは
(雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って、心の通う手紙を絶やすことは決してしません)
 と歌を返して明石を慰めた。

 降り積もった雪が少し融ける頃に源氏の訪れがあった。姫を引き取るためである。明石はいつもいつも源氏の訪ればかりを待ち受けているので、変わった邸内の音に敏感に反応して源氏の訪問かと驚きに胸がつぶれるように感じ、娘との別れを人ごとではない、全ては自分の身分の低さから来るものと思っていた。
「このようなことになったのは自分がしっかりとしないからだ、源氏様も私がきつくお断りすれば無理にとは言わないだろう、私が母親として毅然としていればいいのである」
 と思うのであるが、
「約束を今更覆すことなどは、軽率なことである」
 と思い返していた。
 可愛らしい様子でちょこんと前に座っている娘を見て、源氏は明石との関係はとても深い因縁と思うのであった。
 この春からふくよかな髪を肩の所で切りそろえる「尼削り」のようにしてゆらゆらと揺れて美しく、顔かたちも目元がぱっちりとしてつややかで美しい、言えばいくつも誉める言葉がある。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」後撰集の歌を思いながら、この娘を明石が手放すことでどんなに苦悶していることかと思うと哀れで、夜通し源氏は明石を胸に抱いて慰め明かした。明石は源氏に、
「どうかこの私のような身分低い者にならないようにしてくださいませ」
 と言葉が終わらないうちに泣き伏してしまった。娘と別れなければならない明石の気持ちは哀れである。
 そんな母親の気持ちも考えずに娘は早く車に乗ろうと明石にせき立てる。明石は娘を抱いて車寄せに出た。片言ながら美しい声で母親に共に乗りましょうと明石の袖をとって「のりましょう」と引っ張るのが可哀想で、

 末遠き二葉の松に引き別れ
   いつか木高きかげを見るべき
(幼い貴女と別れて、いつになったら立派に成長した貴女を見ることができるのでしょう)

 と詠うと言葉亡く涙で袖をぬぐう。源氏はその明石を見ていて、
「むりもないことよ、可哀想なことを」
 と、

 生ひそめし根も深ければ武隈の
     松に小松の千代をならべむ
(生れてきた因縁も深いのだから、やがて私たち二人で、この姫君と末長くいっしょに暮すことになるでしょう)
 安心して私にお任せなさい」

 と歌を返して明石を慰めた。分かってはいるのであるが、心を静めようとしても明石はとても静めることができなかった。宣旨の乳母と少将という若い女房だけがこちらから姫に従って二条邸に行くのである。守り刀、天児などを持って少将は車に乗った。明石方の女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて姫の見送りに出した。源氏は帰る道々も明石の心を思って自分は知らず知らず罪を作ることになったかと思いながら車に揺られていた。

 日も暮れてからやっと二条院に車は到着した。車が車寄せに止まる華やかな空気が感じられ、田舎者の明石からの付き人達は、
「姫様はこんな華やかなところで果たして上手く過ごして行かれるだろうか」と思うのであるが、西表の所を姫の住むところと源氏は
決めて、こじんまりとした調度品を美しく吟味して備え付けてあった。姫の乳母用には西の渡殿の北に部屋を用意してあった。
 明石の娘は車の中で眠ってしまっていた。乳母が抱えて車から降ろすのであるが、屋敷が変わったからといって泣きもしなかった。源氏が用意した部屋に入って果物などが出されてそれを口に持っていきながら辺りを見回して、母親の姿が見えないのでその姿を目で探しながら不安そうに可愛らしく眉をひそめているのを源氏は乳母を呼び寄せて、何かと話をしては紛らすようにした。源氏は
「娘と離れて明石は如何しているだろうか」 と考えると源氏は心が暗くなるのであるが、こうして最愛の妻紫の上と二人でこのかわいい子をこれから育てていくことは非常な幸福なことであるとも思った。それと共に初めて見る明石の子供を前にした紫のことを思い
「なぜ紫にはこのようなおなごが生まれないのであろう」
 と残念に思っていた。
 移ってから暫くは、娘は母や祖母や、大井の家で見馴れた人たちの名を呼んで泣くこともあったが、この娘は生まれたときからおおらかなところがあり、優しい性質の子であったから、紫の上と親しくなってしまった。そんな娘を紫は可憐な娘を得たと気分良くしていたのである。本心から娘の世話をして、抱いたり、ながめたりすることが紫のまたとない喜びになって、宣旨の乳母も自然に夫人に接近するようになった。ほかにもう一人そこそこの身分のある女で乳の出る人が乳母に添えられた。