私の読む「源氏物語」ー28-朝顔
「なびくような親しい気持ちを見せても、何にもならない。文があればさし障りのない返事など、引き続き、失礼にならないていどに差し上げ、人を介してのお返事、失礼のないようにしていこう。長年、斎宮として仏事に無縁であった罪が消えるように仏道の勤行をしよう」
と決意はするが、
「急に源氏との関係を、断ち切ったようにするのも、かえって私が思わせぶりな行動をしていると見え、人が噂しはしまいか」
と、世間の人の口さがないのを知っているので、側に勤める女房たちにも気を許さず、たいそう用心しながら仏道に励んでいた。
斎宮には兄弟の君達多数いらっしゃるが、同腹ではないので、まったく疎遠で、斎宮を止め、父の宮も亡くなられて宮邸の中がたいそうさびれて行くにつれて、源氏のような立派な方が、熱心にご求愛なさるので、一同そろって、源氏に味方するのも、女房や下働きの者たちいづれも思いは同じと見える。
源氏は内大臣で三十二歳まだまだ気力は漲っている。斎宮に自分の心をすっかりと話してしまい、彼女の答えから、全く自分を意中にない、という態度を見せつけられて腹が立つのである。源氏はこのまま引き下がっては悔しくて気持ちを抑えることができない。考えてみると確かに自身の人品や、世の評判は格別であると思っている、物事の道理も深くわきまえ、人間それぞれの生き方の違いも十分に知り尽くしているのである、須磨に流浪する前のような、女性に対する無理な行動も、いろいろと経験を多く積んで、浮気事というものは、自分はいいが一方では世間の非難をうけることになるということは分かっているのであるが、
「このまま彼女から引き下がっては、あの源氏が女を口説くことができなかったと、すぐに世間の噂となって物笑いの種となるであろう。さてどのようにこれから彼女に対していこうか」
と、気持ちの収まりがつかずに、二条院に帰宅しないで内裏に泊まり二条院をあける日が続いた。正夫人の紫の上が、源氏と斎宮の宮のやりとりが耳に入り、どうなさったのかと恋しいとばかり思って心配していた。源氏の不在を我慢していたが日にちが経つと、どうしても涙がこぼれる、
源氏がやっと自邸に帰ってきたとき紫は源氏を前にしてぼろぼろと涙を流し続けた。
「どうしていつものように優しい顔をしていないのですか、どうなさったの分かりませんね」
と源氏は紫に寄って、紫の髪をかき撫でながら、優しく抱いている、その様子は絵に描きたいような美しい姿であった。
「藤壺の宮がお亡くなりになって後、帝はとても淋しそうになさっているのも、おいたわしく、葵の父の太政大臣も亡くなられ、政治を見譲る人がいない忙しい帝の周りです。このごろ帰宅しないことは、今までになかったことで、貴女が私を恨まれるのはもっともなことです。貴女には気の毒ですが、今はこの私はとても忙しいので分かってください。忙しいだけですから安心していてください。大人になったようですのにまだ子供のようにすねられて、わたしの心もまだお分りにならないようで、そこがとてもかわいらしい」
源氏は慰めあやしながら、紫の涙でもつれている額髪、手で繕ってやる。それでも紫はますます横を向いてすねてしまったまま、一言も言葉を言わない。
「ひどく子供っぽい態度ですね、誰がそうしなさいと貴女に言ったのでしょうか、」
と言って、
「いつ死ぬか分らぬ無常な世に、このいとしい人にこんなにまで怨まれるのも、つまらぬことよ、それでも斎院の宮のこともうまく進まない、つまらない世の中だこと」
と、横を向いたままの紫を抱きしめながら一方では思い通りにいかない女の道を考えていた。
「斎院に普通の挨拶の文を差し上げたことを、もしや誤解しているのではありますまいね。それは、大変な見当違いですよ。自然と分かってきます。あの方は以前から親しみにくい方で、何となく世の中が物寂しいときに、恋文めいたものを差し上げて困らせたところ、斎宮もすることなく退屈しておいでであったのでしょう、まれに返事などを頂いたのですが決して、本気ではないので、こんなお付き合いで、貴女が不平をこぼすようなことでしょうか。何一つ私が貴女を見限るなんて言うことがあるなどとは思わないでください。気持ちを切り替えてにっこりと笑ってください」
などと、源氏は若い妻の紫をなだめるのに一日中係り切りであった。
雪がたいそう降り積もった上に、今もちらちらと降って、松と竹との区別がつかないほどに枝に雪が積もる夕暮に、雪に映えて源氏の姿が一段と光り輝いて見える。
「季節季節に、人が心を惹かれる花や紅葉の盛りもよいが、冬の夜の冴えた月に、雪の光が照り映えた庭は、白一色で妙に、色のない世界ですが、何となく身にしみるものがあり、現世を離れていろいろと空想ができて、おもしろさもあわれさも、経験できる季節です。おもしろくも何ともない季節だと言った人の考えの浅いことよ」
と言って、御簾を巻き上げさせる。
月は庭を隈なく照らして、白一色に見渡される中に、萎れた前栽が痛々しく、遣水も水が枯れて咽び泣くように流れて、池の氷も凍り付いて怖いように感じる、童女を庭に出して、雪遊びをさせた。
童女たちは、美しい姿、頭つきなどが月の光に輝いていっそうよく見え、年長の童女たちが、いろいろな衵を着て、上着は脱いだ結び帯の略装で、すでに長くなっている髪が、雪の上で裾を広げて鮮明にきれいに見えた。小さい童女は子供らしく喜んで走りまわるうちには扇を落としてしまったりしている。
童女たちは雪だるまを作っていたが大きく丸めようと、欲張るから、転がすことができなくなって困っている。童女の半分は東の妻戸の外に集まって、自身たちは紫付きであるので出て行けないのを残念がりながら、庭の源氏付きの童女たちのすることを見て笑っていた。
源氏は傍らの紫に、しっとりと、
「何時のことであったろうか、雪の日に何を考えてか藤壺中宮は庭に雪の山を作らせになった。雪山を作ることは昔からよく誰もがしていたことであったが、中宮は趣向を凝らしてちょっと変わったこしらえにされたものでした。どのようなことをなさるにも、少し変わったことをなさるのが珍しく、今思い出しても亡くなられたことが残念でたまらない思いですね。
何時お会いするにもとても距離を置いていらして、直接お会いすることはとてもできませんでしたが、内裏に参上した折に、私を心安い相談相手としてお考えくださいました。
私もご信頼申し上げて、あれこれと何か事のある時には、文を差し上げてご相談申し上げましたが、表面的には物に馴れている巧者らしいところはお見せにならなかったが、十分に満足するお答えを頂いたもので、あれほどの方がこれからさきおられんましょうか。 しとやかで柔らかい感じの方でいらっしゃる一面、奥ゆかしい風情があるところはまたとないお方であった。
紫、あなたこそは、中宮様に血縁の近い女性だけあって、あの方によく似た感じがします。ただちょとだけ少しあなたは嫉妬をする点だけが違うかもしれませんね。たいして違っていらっしゃらないようですが、貴女は少しこうるさいところがあって、利発さの勝っているのが、困りますね。
作品名:私の読む「源氏物語」ー28-朝顔 作家名:陽高慈雨