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私の読む「源氏物語」ー27ー松風

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 先日、逢坂の関で源氏は、昔思いを掛けて追いかけたにもかかわらず遂に自分の女とならなかった空蝉、その亡き夫である常陸の守の息子である蔵人が一度職を解かれていたのがこの度帰任して靭負尉となり、今年晴れて五位の位を得ていた。幼年より少年になってすがすがしい顔で源氏の佩刀を取りに寄ってきた。御簾の中の明石の影を見つけて、 「この何年かの間貴女のことを忘れてはいませんでした、恐れ多いことと御前に出るのを遠慮いたしておりました。明石の浜風を想い出させるような今朝の空気でしたが、ご挨拶に伺う方法がなくて」
 と恐縮した顔をする、明石付の女房が主人の意を受けて、「白雲の八重立つ山の峯にだに住めば住まるる世にこそありけれ」「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」と古今集や、他の歌を言葉の中に取り入れて、
 「ここ大堰の里は山並みが重なる中にありまして、まったく島の間に隠れたようなあの明石の浦に劣りません、ここの松を見ながら昔の相手はいないものかと思っていたが、私どもを忘れていない人がいらっしゃったとは、本当に頼もしく思います」
 と若い成り立ての靭負尉に言う。彼は明石の浦を懐かしんで言うのに、古歌を知ったかぶって多用する女房の気どった態度に腹が立ったのであるが、
「それではまた」
 ときちんと挨拶をして、源氏の許に向かった。

「そこをどいてどいて」と喧しく先駆けの供の者が、源氏を一目見ようと集まった人達をかき分ける中を、威儀を正して堂々と歩いていき、車の尻に迎えに来ていた頭中将、兵衛督を乗せて、源氏は、
「簡単に私の隠れ家を見つけられてしまった」
 と大変粗末な屋敷を見つけられてしまって源氏はしゃくにさわり、つらそうであった。「昨夜のあの素晴らしい月夜に、悔しいことに参加出来なかったことが残念でたまりませず、今朝は朝早く起き出して霧の中を急いでこちらに参りました。山の紅葉はもう少し間があるようですが、この野原の美しさは今が最高でございましょう。何とかという朝臣の鷹狩りに参加いたしまして、そんなに大がかりなものではありませんが,なんと遅れてしまいました。あの鷹狩りはどうなりましたやら」
 なんて言っている
「今日は桂殿に参るぞ」
 と一言告げて源氏はそちらに向かった。桂院の方は急な源氏の訪れと併せて宴会で大騒ぎになり、鵜飼をする者たちを夜の趣向に、また鵜が捕る鮎を御前にと考えたのであるが、源氏は鵜の鳴く声に、須磨、明石の海女達が大声で話していたのを思いだしていた。
 鳥を捕ろうとして野原で夜明かしした若い公達は、少しばかり捕獲した鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして源氏の許に参上した。杯が何度も廻ってきて相当の量を源氏は飲んだように思い、川の近くなので酔いのために川にはまろうものなら大変なことだと、酔いを理由にして一日桂院で過ごした。

 酔いが一応回ったところで各自が順番に漢詩を作って、月が明るく真上に差し出たころに、管弦のお遊びが始まって、宴はますます賑やかに華やかになった。 
 殆どの人が演奏出来るのは、琵琶、和琴ぐらいで、笛は得意な人だけが携えてきて吹き始めた、季節に合った曲を選んで調子よく吹き立てる、それに川風が乗ってきて風雅なものである。月が高く上り、一面を澄んだ感じにする、夜がやや更けていったころに、都から殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
 この殿上人達は帝の前に伺候していたのだったが、帝が管弦の遊を催していたのだが、ふと、演奏を止めて一同を見回して、
「今日は六日の物忌み開けの日に当たる、何時も源氏が参るのだが今日はどうして参上しないのだ」
 と尋ねられたので、桂の院にこうしてお泊まりになっている由を聞かれて、尋ねて見よとのことであった。使いは、源氏はあまり知らない蔵人弁官であった。帝の文が届けられた。

 月のすむ川のをちなる里なれば
     桂の影はのどけかるらむ 
(月が澄んで見える桂川の向こうの里なので、
月の光をゆっくりと眺められることであろう)
 羨ましいことよ」

 と歌があって源氏は有り難く少し固くなって読んだ。
 宮中帝の前で演奏するよりもこちらの方が気が楽である、ひとしお身にしみ入る楽の音を満喫して、酒もうまく、源氏はまた酔いが加わった。源氏はふと思った、ここには引き出物の準備がない、使いを大堰に出して、
「大層なものでない引き出物を探して参れ」
 と命じた。使いは有り合わせの物を持ってきた。衣櫃二荷に入っているの中から選び出して、帝の使い蔵人弁はすぐに帰参するので、使者の褒美にと源氏から女の装束を肩に掛けて渡した。そうして源氏から帝への返歌、

 久方の光に近き名のみして
      朝夕霧も晴れぬ山里
(桂の里といえば月に近いように思われますが、それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です)

 帝の桂院への行幸を期待しているのであろうか源氏、古歌を朗誦する、「久かたの中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる」(私のおりますのは月の中に生い育つという桂の名をもった里ですから、月の光のようなお后さまのお引き立てだけを頼りにいたしております)これは古今集の中の伊勢の歌、この歌は伊勢が体をこわして桂で静養していた折りに、七条后(藤原温子)が見舞いの歌を下さった、その返事に送った歌である。そして須磨や明石から眺めたあの淡路島を思い出して、新古今集にある凡河内躬恒の歌「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所がらかも」(淡路で、あれは月かと淡く遠く見た月が近く見える今夜は、場所がらなのであろうか)。躬恒が「場所柄からであろうか」と言うように所によって、自分の心の在りようによって月は違うのであろうか、と淋しそうに語り始めたので、酒が回ると涙が出てくる者達はしみじみとして酔い泣き始めるであろう。源氏はそっと歌を詠う、

めぐり来て手に取るばかりさやけきや
       淡路の島のあはと見し月
(都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は、あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか)

 頭中将がそれに応えて、

 浮雲にしばしまがひし月影の
   すみはつる夜ぞのどけかるべき
(浮雲に少しの間隠れていた月の光も、今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう)

 その場にいた左大弁という人は亡き桐壺院時代にも親しく源氏に仕えていた人であったが、今日もこの場にいて、月を亡き桐壺院に例えて、

 雲の上のすみかを捨てて夜半の月
      いづれの谷にかげ隠しけむ
(まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間にお姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう)

 人それぞれ詠いたい気持ちはあるでしょうがこの辺でうち切ろう。
 歌が出てからは、お互いの地位や家柄の垣根がなくなりうち砕けて話し合うことが出来た。このような集まりが長い間続くことを人々は願った。人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気であった。源氏は二条院を出て四日目の朝になった、いくら何でも今日はぜひ帰らねばならぬと心を残したまま急いで席を立った。