私の読む「源氏物語」ー27ー松風
源氏に言われて京より派遣された明石の君付の若い女房たちは、京を思って憂鬱な気持ちで塞ぎこんで勤めていたのであるが、京へ帰れることを嬉しく思う一方で、美しい浜の風景から離れることを、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と思うと、寄せては返す波に、涙に袖が濡れがちであった。
秋にもなればもの悲しい気持ちになる上に娘との別れがやってきた。その前夜から秋風が涼しく吹き虫の音も激しく聞こえてきていた、あけがになって海の方を見ていた入道は、娘との別れが悲しくて眠ることも出来ず、涙を流して鼻をすすりながら、仏に娘のことを託して勤行していた。出発を前にして不吉な言葉を言わないようにしているのであるが、別れの悲しみに堪えることが出来ない泣き崩れていた。
源氏と明石の君との間に出来た姫は大層美しく夜に光るという珠のような輝きを見せて腕の中から離したこともなかった、姫もそんな入道にとても馴ついていて、二人の仲は普通ではなかった。入道は自分が仏門に入った身であるのでそのことが気になるのであるが、「一時たりとも姫を見ないではいられない」と入道の身であることを遠慮はしなかった。
行く先をはるかに祈る別れ路に
堪へぬは老いの涙なりけり
(姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して、堪えきれないのは老人の涙であるよ) 全く縁起でもないことを思う事よ」
と言って涙をぬぐって人には見えないように隠すのである。妻であるが仏門に入ってしまった明石の君の母の尼君は、
もろともに都は出で来このたびや
ひとり野中の道に惑はむ
(ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は
一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう)
と泣き崩れるのは尤もなことであると思う。尼の母親は、長年入道と共に過ごしてきた年月の間の色々な出来事を想うと、今日このように当てにならないことを当てにして都へ出発するのは、昔の世界に戻るのだと言っても考えてみると頼りないことである。この父母の姿を見て明石の君は、
いきてまたあひ見むことをいつとてか
限りも知らぬ世をば頼まむ
(京へ行っていつかまた再びお会いできると思っていても、命というものは何時絶えるか分からないものですから頼りにできましょうか)
都まで送ってきて下さいませ父上様」
と彼女は懸命に頼むのであるが、入道はあれやこれやと、そのようなことは出来ないことを娘に慰めながら言うのであるが、それでも内心、都までの道中のことがたいそう気がかりであった。
明石入道は妻の尼と娘を前にして、これが最後の別れとなると思い胸の内にあることを話し始めた、
「私が都を捨ててこのような辺鄙な土地に任官したのは、ひとえにお前達の生活を豊かにするためであったのであるよ、だが然し播磨の守として赴任したのであるが想うようなことではなかったので、それではまた都に戻ろうかと考えた。そうして昔は受領であった連中と仲間になり、草ぼうぼうの荒れた家を手入れしようにも金もなく仲間からは笑われ者になり、親の名を汚すことになる。そこへもって、一度は都を捨てて明石に下った者が、好くもまあおめおめと都に戻ったものよと笑われ者となることは必定で、そこを我慢をしてこの地に過ごす打ちにお前も大きくなり、色々と世の中のことが分かる年ごろとなってきた。
そうなるとまたこのような田舎に住むことが悔しくなり、お前のように美しい女が錦を捨てて隠れ住むということは、父親として気が晴れない毎日であるようになった。そこで私は入道となって仏、神に、私個人の考えに娘を引き込んでしまい、このような僻地の庵に住まわせるようなことになり、どうか娘に幸いを恵み給えと、祈願を尽くした結果、神仏がお認めになり都の高貴な方である源氏様をお引き合わせになり、更に御子まで授かる喜びをお与えくださいました。
そうなればこのような淋しい海辺に住まうことは恐れ多いことで、源氏様との仲も固い絆で結ばれていることでもあり、孫の顔が見られなくなるのはまことに淋しいのであるが、自分は入道となって世の中からは決別した身である我慢しなければならない。お前と姫は世を明るく照らす兆候がはっきりと現れています、その二人が暫くの間このような父母の田舎者の心を乱したのは何かの縁であったと思う。天上界に生まれた人が、その果報が無くなったとき、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちると言う。私もその一人として今日、永遠に別れることにする。
もしも私の寿命が尽きたと聞いても、死後のこと考えるでない。死という逃れることが出来ない別れに、心を動かして軽はずみな行動はしないこと。」
と言って更に、
「私は煙となって天に昇る前まで姫君のため昼夜六時に専心して念仏・読経・懺法などを勤めることにする。これはまだ姫のことが心を離れないことからである」
とここまで言って先はもう涙で言えなくなった。
忍びの迎えといっても内大臣源氏のことであるから簡素な物ではない。沢山の車を続けるのは仰々しいし、一部分ずつ分けて行動するということも厄介である、明石の君に供をする人々も大人数であるので、できるだけ目立たないようにして、船で出発することに決めた。
辰時(八時)に船は港を離れた。
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」古今集の歌に詠われている情景通りに船は渚から離れて行く、見送る入道は仏に仕える身を忘れて煩悩の世界に帰り、呆然として一行を見送っていた。尼君は長年住み慣れた明石の浦を離れて今更都に帰るのは、この地に思い残すことが多く、泣き伏していた。
かの岸に心寄りにし海人舟の
背きし方に漕ぎ帰るかな
(彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが、捨てた都の世界に帰って行くのだわ)
明石の君は
いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ
浮木に乗りてわれ帰るらむ
(何年も秋を過ごし過ごしして来たが、頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう)
船頭が思っていたとおりの追い風によって、予定していた日に京にはいることが出来た。明石の君の意向によって人に気づかれないようにと行列を簡素にして都入りをした。
明石の君と母の尼君が山荘に入ってみると改修された様子も風情があって、長年住み慣れた明石の海辺にも似ているようで、京に場所が変わって越してきた気もしない。尼君は特に昔のことが自然と思い出されて、しみじみとあたりの風景を眺めて懐かしさにふけっていた。元々はなかった廊などが新たに取り付けられていてそれがまた風流な様子である、川から引き込んだ遣水の流れも心地よい曲線を作って池に流れ込んでいた。改修工事はまだ細かなところは出来上がっていないが、住み込んでしまえば改修することもないような状態であった。
源氏は尤も信頼している家司に命じて明石の君の京到着の祝宴の準備をさせた。しかし、彼自身は妻の紫にどう口実を作って言おうか迷っているうちに数日たってしまった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー27ー松風 作家名:陽高慈雨