私の読む「源氏物語」ー27ー松風
松 風
かねてより源氏邸の東に造営中の東の院が完成して、花散里が移ってきた。西の対や渡殿にかけて事務を執る政所や事務を執る者が控えるところを形通りに作った。東の対を明石の君の部屋にと源氏は決めていた。北の対は特に広めに作られて、一時の慰みにと体をかわし将来を約束をした女達を住まわせようと、部屋を細かく区切って造ってある、これも源氏の心が細かいところまで行き届いている結果であると周りの者は思った。
寝殿だけは誰にも与えずに自分のものとして時々訪れるときの自分の住むところとして、色々とこった調度品を入れて完成していた。
明石に置いてきた明石の君には絶えず文を送っては連絡を絶やすことはなかったのであるが、今回東に邸宅が完成してしかもそれは殆どが明石の君のために造営したのであるから上洛するように何回も連絡をするのであるが、彼女は未だに自分の身の程を考えては、
「大変高貴な御方とも何となくかけ離れてしまってもそれでもお互いの間柄が切れてしまうということをなさらない、そのような女の方を見ては、自分はどれほどの身分でもないので源氏様はどれほど私のことを思ってくださるのであろうか、そんな中に私は入っては行けない。この娘の不名誉なことが数々あるであろうそのようなことがあっては可哀想である。たまに源氏が訪れるのをただ待っているそんな自分を人がなんと嫌らしい女よと蔑むであろう」
と思い迷うのであるが、然しこのような田舎で源氏の娘として認めて貰えなく歳をとっていく娘も可哀想である、と源氏を恨むがそれでも断れきれずにいるのを、入道の親たちが娘の気持ちを聞いて「それも道理である」と言っては娘共々決心することが出来ずに思
い悩んでいた。
明石の君の母親は醍醐天皇の親王で中務の宮と呼ばれる人を祖父に持つ娘であったので、祖父が昔領地としていたところが大堰川のほとりにあった。
死後はそのままにほって置いたので屋敷は荒れてしまっていたのを、母親が思いだして、昔から領地の番をしている者を明石に呼び寄せて、明石入道が
「このままこの地で死に果てるのであろうと思っていたのであったが、この歳になって思いがけないことで都に住むようになったのであるが、いきなり賑やかな都に出てきては体が慣れていないので少し田舎びたところを住まいにして心を落ち着かせてからと、昔の屋敷をすみかにと思うのである。修理の費用は充分出すから人が住めるように改修してくれ」
と番人に頼む。番人は、
「最近は無人のままで相当に荒れ果てております。私は下屋を修繕してかろうじて住んでいます。ところが、この春より内大臣の源氏様が御堂を新築なさり、時々そこへお出でになるので大変騒々しいところになりました。沢山の職人が集まってきて新しいお堂を造営しておられますので、心静かな生活なんかとてもお出来になりますまい。」
「なんですって、源氏様が御堂を建てられると、かまわない。そちらに移ることも源氏様の援助があってのことで、私どもは源氏様を頼りにしようと思っているのだ。内部の修理はゆっくりと後からにして、まずは急いでだいたいの修理をして住めるようにしてくれ」
と番人に告げた。番人は
「私自身の所領でもありませんし、またその後誰一人領主としてこられる方もなく、ひっそりと静かに隠れるようにして私は住んでおりました。荘園の田畑も荒れてしまいこれではいけないと、少しばかりのお金をお払いして亡き民部大輔様にお断りして作物を作っておりました。」
と番人はその収穫したものを取り上げられるのではないかと心配し、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻を赤くして、口をとがらせて入道に訴える、
「そんな田畑のことはどうでも良いからいままで通りにするように、証書はここに持ってはいるが、なんと言っても私は一度は世を捨てた身である、その後のことは詳しくは知らないのでゆっくりと考えて結論を出そう」
と入道は源氏の威光を少しばかり傘に着せて番人に言い、収穫から少しばかり物納させて、急いで修理にかからせた。
入道がこのように大堰川のほとりに在る夫人の祖父の昔の領地に明石から出て移り住もうとして古い屋敷を修繕していることも知らないで源氏は、明石の君が一向に自分の催促にもかかわらず上京してこないことを不審に思い、
「姫が次第に成長して、このまま明石で住むようなことにでもなれば、源氏の姫として世の中から恥ずかしい思いをするのではないか」
と思うところへ入道から昔の妻の祖父の領地に屋敷を構えましたという知らせを受けた。源氏は明石の君が上京を渋っていたことが合点がいって安心し、入道の気配りに感心した。
源氏の側近の惟光朝臣は源氏の女遊びには欠かせない存在であるのでこの度も勿論源氏の命を受けて大堰の入道の屋敷に出向いた。あれこれと指示をしていずれ明石の君が住む屋敷として卒がないようにさせた。
「見晴らしのよい所に建てられていまして、あの明石の海岸のような感じの所もございました」
大堰から帰ってきた惟光が源氏に自分が見た感想を述べる、聞いていた源氏は、
「そうした住いであれば、きっと風情があるところであろう」
と思うのであった。
源氏が今建立している御堂は大覚寺の南側で、貞観十八年、嵯峨天皇の皇女正子内親王が父帝の離宮嵯峨院を大覚寺として開山したと言うが、その際近くの滝の音が心地よく響き滝殿と呼ばれたものに劣らない風情のある御堂であった。
明石入道が改修している山荘は川に面した所で、形のいい大木の松の多い中へ素朴に寝殿が建てられて、山荘らしい寂しい感じが出ている。源氏は内部の設備までも自分のほうから工事をさせようと思っていた。
源氏は腹心の部下をこっそりと明石に迎えにやらせた。こうなったならば仕方がない上洛するほかにないと明石の君は覚悟はするが、長年暮らしたこの浜を去ることが悲しくて、彼女は一人で遺ろうかと心が定まらず悲しんでいた。「どうして色々のことが私にとってはこのように気をもむことに成ったのだろう」
と彼女は、源氏と関係がない女の人を羨ましく思うのである。
明石の両親はこのようにお迎えを受けて京に上る幸福は、長年寝ても覚めても頭の中に願望として考えていたことで、願いが叶ったことがとても嬉しく思うのであるが、京に上がってからは明石に一人残る入道は娘と共に暮らすことが出来なくなり毎日が不安である、喜びと共に娘と別れる暮らしが悲しく「孫とも別れて暮らすことになる」と同じ事ばかりを考えていた。
母親も悲しかった、ここ何年と夫と別れて庵を結んで一人住み、娘が京に上がれば誰を頼りにこの地で住めばよいのであろう何もここに残る必要はないのである。ただ、受領として都から来た人と関係が出来た浅い関係であってさえ、いったん体が馴染んでしまったら、別れることは、精神的にも肉体的にも難しいことで一通りのものでない、まして、夫の入道のように変な恰好の頭や、片意地な気質はどうしても馴染めないのであるが、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない命が絶えるまではと、夫婦で暮らして来たのであるから夫人は急に別れ去るのも心細い気がする。
作品名:私の読む「源氏物語」ー27ー松風 作家名:陽高慈雨