私の読む「源氏物語」ー26ー絵合
帝と弘徽殿の女御とはもう二年になり何にも遠慮することなく睦まじく接していた、彼女も人柄が良く安心していたのであるが、この度新たに参内した斎宮の女御には、初めての夜の彼女の態度から少し恥ずかしいところもあった。然し後見となった源氏のこともあり、いかに恥ずかしいからといって遠ざけるわけにもいかず、添い寝は交代に同じ回数とするようにして、昼間の時間にうち解けて話し相手にするのはどうしても弘徽殿の女御に偏ってしまった。
弘徽殿女御の父親である頭中将は考えるところがあって娘を帝の女御に入内させたのであるが、新たに女御として斎宮が選ばれて入内したことについては少しばかり不満であった。
朱雀院は斎宮に贈ったあの飾り櫛の箱に入れた歌への斎宮からの返歌を眺めては、彼女に対する恋心を消すことが出来なかった。
そおのような心境のところに源氏が訪問してきた。院は元々兄弟であるのでうち解けてしみじみと語り合うのであるが、斎宮が伊勢から帰ってきてしかも自分は斎宮を我が女にしたいと考えて思い焦がれていることは全く言葉に出しては言わなかった。源氏も院が斎宮を思い慕っていることを分かってはいるものの顔にも出さずに院が今回のことを「どう思っているのか」と知りたくて、言葉の端々に何かと今回斎宮が冷泉帝の女御に入内したことを口にするのであるが、院が全く傷心しているのを間近に見ると、たいそう気の毒になるのであった。
「院がこれほどまでに執着する斎宮は、どれほどの美人であろうか」と源氏は思い自分もまだ御簾ごしに几帳を隔てての対面しかしていないので、一度会ってみたいという欲望が大きくなってきた。
何かの折りに油断されてちらりと見えることもあるだろう、心ゆかしさの深いお方であって欲しいと思うのであった。
このように弘徽殿と斎宮の二女御が間を空けることなく冷泉帝の側に付いているので、かねてから自分の娘を帝の側にと画策している兵部卿宮は付け入る隙が無く、
「そのうちに帝も成人して女を求めることになるだろうから、望みは捨てない」
と自分の想いが成功する日を待つことにした。弘徽殿と斎宮は何とかして帝を独占しようと競い合った毎日を送っていた。
冷泉帝は幼いが勉学の何事も良く出来るのであるが、特に絵を無性に好むのであった。本当に好きなのであろうか絵を綺麗に描くことが出来た。斎宮の女御も絵が得意であり見事な絵を描くので帝は大変興味を覚えて斎宮の女御ばかりに興味を持って盛んに絵を描かせ、さらに女として片時も離されなかったのであった。
内裏に勤める若い役人の中でも絵の描ける者を特に大事にする帝であったから、まして斎宮のような女としての魅力が一杯で美しい人が、優雅な絵を上手に墨で描いて、帝を抱きしめて横に臥しながら、帝と次はどう描けばよいか、筆太くに描くか細く描くか考えたりしている、そんな年上の女の自然な年下の男に対する愛情が男の心を益々煽ることになり、間を空けることなく斎宮の部屋に来ては女房を遠ざけて二人だけで絵を描き、御寵愛が見る見る盛んになった。そんな斎宮の行動は自分では気が付いてはいないが、かって母親の六条御息所が遙かに年下の男源氏と床を交わした姿と同じであった。
弘徽殿女御の父親である頭中将、現在は昇進して権中納言であるが、帝と斎宮女御が絵の才が取り持つ縁で親密さを増していると、側近くの女房達から聞いて、いかにも才能のある時代にあった人らしく、「負けてたまるか」と心を奮い立てて、優れた絵描きを多く召し抱えて、しっかり命じて二枚とない立派な紙を取り寄せて、多くの絵を描かせた。
「人気のある物語を絵物語に描き上げることが風情があって面白い作品になる」
と権中納言は考えて、流行の物語を選りすぐって全てを絵物語と描きさせた。みんなが知っている毎月の暦を絵にした物を、目新しい構想で描かせ、それに言葉を添えて帝に見せた。
弘徽殿女御の許で帝はそれを見て特に興味が湧き今一度見せてくれるように頼んでも二度とお見せしなかった。帝は斎宮にも見せてやりたいと思うのであるが、弘徽殿は仕舞い込んで出そうとはしなかった。そのことを源氏が聞いて、
「相変わらず中納言のやることは大人げないことよ」
と笑って、
「そんなに大事に隠して、お見せにならないのならば、大変なことでありますね。それでは私は昔の有名な絵をお見せすることにしよう」と帝に言って、二条の屋敷に帰り、古い物新しい物などの絵がしまってある厨子を開いて、紫と共に、
「これはどうか、今でも通用する絵だろうか」などと相談しながら選んでいた。
楊貴妃や王昭君は帝と死別する、縁起でない内容であるので、作品が立派であってもこれらを描いた絵は省くことにした。
先年須磨に流れたときの絵日記もとりだして、初めて紫に見せて色々と説明をする。
当時源氏の心の中に色々と悩みがあったことを知らなくて、今初めて見る人でさえ、絵心のある人ならば、涙が止まらないほどのしみじみとした絵日記である。まして、紫のように忘れることができない、また当時の夢のような体験を思い起こす源氏、二人にとっては、当時に戻ったように悲しい思いを再現するようであった。紫は源氏に今まで見せて貰えなかった恨み言を甘くせめた。紫は源氏にそっと、
一人ゐて嘆きしよりは海人の住む
かたをかくてぞ見るべかりける
(独り京に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる干潟を絵に描いていたほうがよかったわ)
淋しさが慰められたでしょうに」
と詠う、源氏は可哀想なことをしたと、紫を抱いて耳元でそっと囁く、
憂きめ見しその折よりも今日はまた
過ぎにしかたにかへる涙か
(辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます)
藤壺中宮だけにはお見せしようと源氏は思う。あまり見苦しくないものを一帖選んでお見せしようと色々と選んでいる、海岸の美しさを見事に描いた中にあの明石の君の屋敷を描いたものがあり、ふと「どうしているのだろう」と手を止めて考え込む。
源氏が絵を沢山集めていることをきいた冷泉帝の女御の一人である弘徽殿の父、権中納言は以前にまして懸命になって絵巻の軸、絵本の表紙、とじる紐などを最高の物を吟味して整えるのであった。
三月になって十日も過ぎると、冬のあいだ寒さに縮こまっていた体も心も春のぬくもりに解放されて空の青さとともにゆったりとしてくる。その頃になると内裏でも正月から続く節会も一段落して職員達もほっとしてのんびりとしている中で、絵画集めに源氏や権中納言が必死になっている。源氏は同じことならば絵を比べて見て良い物を帝にご覧にいれてはいかがか、と提案して両方の絵画を集めて帝の前に差し出すことにした。
両者が持ってきた絵画類は沢山の量であった。物語の絵巻は見て懐かしさを覚える物、梅壺に局を与えられてそこを住居とした斎宮の女御は、梅壺のお方とも呼ばれるようになった。彼女は昔の物語で多くの物が知っていて喜ぶ有名な名作を、弘徽殿女御は今流行の物語を内容細かく描かせて見た目の派手さを強調した。
作品名:私の読む「源氏物語」ー26ー絵合 作家名:陽高慈雨