私の読む「源氏物語」ー26ー絵合
絵 合
絵 合
源氏三十一歳春。源氏二十九歳の秋に前述したように六条御息所死去し、一年の喪中期間をおいて、その娘前斎宮が冷泉帝に入内する。斎宮の入内は、尼となった藤壺の希望でもあり源氏が全て事を運んだ。御息所の喪が明けるまでは斎宮には取り立てて後見をしてくれる人がなく、源氏は兄である朱雀院が変に気を回すだろうと思って、斎宮を自分の屋敷である二条院に移ってはとは言わなかった。ただ斎宮には内緒で大体の入内のことは自分で決めていた。
朱雀院は自分が斎宮を得ようと思っていたので大変残念に思った、しかし自分が冷泉帝に敗れたのであるから負けた人は沈黙すべきであると、手紙を送るのも止めてしまっていた。ところが斎宮が入内する当日になって彼女の許に朱雀院からのたいした贈り物が来た。衣服、櫛の箱、乱れ箱、香壼の箱には幾種類かの薫香がそろえられてあった。朱雀院は源氏がこれらの道具を見ることを予想して用意したのであった。
源氏が斎宮の処に来ていた時であったから、朱雀院から受け取った女別当はそのことを源氏に告げて贈られた品々を見せた。沢山の品々のなかから源氏はただ櫛の箱だけを丁寧に見ていた。繊細な作品でしっとりと上品な結構な品である。挿し櫛のはいった小箱につけられた飾りの造花に歌が書かれてあった。源氏はそれを読む、
別れ路に添へし小櫛をかことにて
遥けき仲と神やいさめし
(別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実にあなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか)
源氏は朱雀院の斎宮に対する諦めきれない恋の恨みが詠われていると思った。源氏は自分も斎宮にたいして恋心をもっていたので、兄の朱雀院の気持ちがよく分かり、成就することがない恋にさいなまれる気持ちから、
「斎王として伊勢下る時に始まった恋が、幾年かの後に斎宮としての職務を終えて帰京され、自由な身となった彼女に恋をうち明けても良いのに、弟の冷泉帝の後宮へ入ってしまうということをどんな気持ちで見ているのだろうか。帝の位から下がり、思いのままに行動が出来た地位から閑暇な地位へ退いた今の院は、主権から離れた寂しさということをしみじみと感じているのであろう」
と源氏は自分が斎宮を冷泉院に進めたことを反省するのであった。
この話を進める源氏は三十一歳、斎宮を諦めきれない朱雀院は三十四歳、斎宮は二十二歳、女御として添い寝をする相手の冷泉帝はまだ十三歳、このことを考えると、
「何故斎宮を冷泉帝の女御に宮中へ入れるようなよけいなことを自分は考え、朱雀院の心を悩ます結果を作ったのであろう、あの須磨へ流れたときは恨めしく思われたこともあったが、もともと優しい人情深い方であるのに」
と気持ちが乱れてしばらく挿し櫛の箱を眺めていた。
「このお返しの歌はどうされるのか、またお文はどう書いてあったのであろうか」
と女別当を通して斎宮に尋ねるのであるが、今更言ってもしょうがないことを女々しく述べている院であるので、斎宮は返事を書く気もしない。
「ご返事差し上げないのはとても失礼なことでしょう、ほっておくのもどうかと思いますよ」
と、女房たちが斎宮に注意をして催促している様子を源氏は聞いて、
「それは良くないことです。かたちだけでもご返事差し上げなさいませ」
源氏にそう言われることが斎宮にはまた恥ずかしくてならないのであった。伊勢へ下向の昔を思い出すと、清楚で美しい帝が別れを惜しんで泣きになるのを、当時は十四歳であった少女心に私との別れを悲しんでおいでの帝が目の前に浮かんできた。同時に、母の六条御息所のことも思われ悲しいのであった。そんな気持ちで斎宮は、
別るとて遥かに言ひし一言も
かへりてものは今ぞ悲しき
(別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が、帰京した今となっては悲しく思われます)
とだけ書いて院からの使いに渡し、使いの者それぞれに身分におうじて土産を渡した。源氏は斎宮がどのように返歌を贈ったのか見たかったのであるが言い出せずに帰っていった。
源氏は斎宮を冷泉帝の女御に勧めてはいるが、兄の朱雀院は女と見間違えるほどの美貌の持ち主であり、斎宮も院と結ばれるならばふさわしいほどの美人である、斎宮が院の許に入るのであれば無理がないのであるが、帝はまだ十三歳の髪を上げたばかりの子供である、そのようなところに二十二歳の斎宮が女御として参内するのはどうであろうかと人知れずに悩み胸を痛めていた。然し今となって中止するわけにはいかず、細かいことをすべて参議兼修理大夫に世話をするように命じて、内裏に向かった。源氏は、
「我が物顔に振る舞う親代わりと院が自分のことを感じるのではないか」
と朱雀院に気を遣うが、ただのご機嫌伺いに斎宮の前に進んだと、人には見えるように行動した。気の付く女房が多く斎宮の周りにいる上に、里に帰っていた者達も戻ってきたので、斎宮の周りは理想的な女房達で囲まれていた。その様子を見て源氏は、
「御息所が生きていたらどんなにお喜びになったことであろう」
と昔を思いだし、
「あの人を失ったことはこの世の損失である。洗練された高い趣味の人といっても、あれほどにすぐれた人は見いだせないのであると、風流な面では、やはり優れておられた」
と源氏はおりごとに御息所を懐かしく思った。
冷泉帝の母である藤壺も内裏に参内していた。朱雀院は彼女が産んだ子供ではないので遠慮をすることなくわが子に会いに来ていたのである。冷泉帝は斎宮の宮が参内していると聞いて緊張していた。その姿は側の人達は年のわりには大人びていると見ていたが、母親である藤壺は帝に、
「立派な大人の女子がお見えになるのだから、気後れするようなことなくしっかりとお逢いしなさいませ」
と注意をした。
藤壺は今回斎宮が入内することに
「大人の女と交わることは、恥ずかしいのではないだろうか」と心配をしていたのであるが、そのようなことも考えての上であるのか斎宮は夜遅くに内裏に上がってきた。斎宮は小柄で性格がおおようで伸び伸びしていて、なよなよとした柔らかい姿であるので、幼い帝は好感を覚えた。
弘徽殿女御である頭中将の娘とはもう二年も前からの交際であるので、冷泉帝、弘徽殿ともに幼いとはいっても夜は供に臥すのであるから二人はもう体の方も結び合っているのが当然である。斎宮は歳は多くてもまだ男を知らない女である、その夜臥し寝をした帝はすぐに男の行動を起こしたのに驚いたのであるが、そこは歳の差で、今まで聞かされていた男の行動を思いだし、急ぐ帝の気持ちをやんわりと受け止めて女との接し方を体で覚えさせる行動を取った。このことが母親である藤壺が斎宮を入内させた狙いであった。
絵 合
源氏三十一歳春。源氏二十九歳の秋に前述したように六条御息所死去し、一年の喪中期間をおいて、その娘前斎宮が冷泉帝に入内する。斎宮の入内は、尼となった藤壺の希望でもあり源氏が全て事を運んだ。御息所の喪が明けるまでは斎宮には取り立てて後見をしてくれる人がなく、源氏は兄である朱雀院が変に気を回すだろうと思って、斎宮を自分の屋敷である二条院に移ってはとは言わなかった。ただ斎宮には内緒で大体の入内のことは自分で決めていた。
朱雀院は自分が斎宮を得ようと思っていたので大変残念に思った、しかし自分が冷泉帝に敗れたのであるから負けた人は沈黙すべきであると、手紙を送るのも止めてしまっていた。ところが斎宮が入内する当日になって彼女の許に朱雀院からのたいした贈り物が来た。衣服、櫛の箱、乱れ箱、香壼の箱には幾種類かの薫香がそろえられてあった。朱雀院は源氏がこれらの道具を見ることを予想して用意したのであった。
源氏が斎宮の処に来ていた時であったから、朱雀院から受け取った女別当はそのことを源氏に告げて贈られた品々を見せた。沢山の品々のなかから源氏はただ櫛の箱だけを丁寧に見ていた。繊細な作品でしっとりと上品な結構な品である。挿し櫛のはいった小箱につけられた飾りの造花に歌が書かれてあった。源氏はそれを読む、
別れ路に添へし小櫛をかことにて
遥けき仲と神やいさめし
(別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実にあなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか)
源氏は朱雀院の斎宮に対する諦めきれない恋の恨みが詠われていると思った。源氏は自分も斎宮にたいして恋心をもっていたので、兄の朱雀院の気持ちがよく分かり、成就することがない恋にさいなまれる気持ちから、
「斎王として伊勢下る時に始まった恋が、幾年かの後に斎宮としての職務を終えて帰京され、自由な身となった彼女に恋をうち明けても良いのに、弟の冷泉帝の後宮へ入ってしまうということをどんな気持ちで見ているのだろうか。帝の位から下がり、思いのままに行動が出来た地位から閑暇な地位へ退いた今の院は、主権から離れた寂しさということをしみじみと感じているのであろう」
と源氏は自分が斎宮を冷泉院に進めたことを反省するのであった。
この話を進める源氏は三十一歳、斎宮を諦めきれない朱雀院は三十四歳、斎宮は二十二歳、女御として添い寝をする相手の冷泉帝はまだ十三歳、このことを考えると、
「何故斎宮を冷泉帝の女御に宮中へ入れるようなよけいなことを自分は考え、朱雀院の心を悩ます結果を作ったのであろう、あの須磨へ流れたときは恨めしく思われたこともあったが、もともと優しい人情深い方であるのに」
と気持ちが乱れてしばらく挿し櫛の箱を眺めていた。
「このお返しの歌はどうされるのか、またお文はどう書いてあったのであろうか」
と女別当を通して斎宮に尋ねるのであるが、今更言ってもしょうがないことを女々しく述べている院であるので、斎宮は返事を書く気もしない。
「ご返事差し上げないのはとても失礼なことでしょう、ほっておくのもどうかと思いますよ」
と、女房たちが斎宮に注意をして催促している様子を源氏は聞いて、
「それは良くないことです。かたちだけでもご返事差し上げなさいませ」
源氏にそう言われることが斎宮にはまた恥ずかしくてならないのであった。伊勢へ下向の昔を思い出すと、清楚で美しい帝が別れを惜しんで泣きになるのを、当時は十四歳であった少女心に私との別れを悲しんでおいでの帝が目の前に浮かんできた。同時に、母の六条御息所のことも思われ悲しいのであった。そんな気持ちで斎宮は、
別るとて遥かに言ひし一言も
かへりてものは今ぞ悲しき
(別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が、帰京した今となっては悲しく思われます)
とだけ書いて院からの使いに渡し、使いの者それぞれに身分におうじて土産を渡した。源氏は斎宮がどのように返歌を贈ったのか見たかったのであるが言い出せずに帰っていった。
源氏は斎宮を冷泉帝の女御に勧めてはいるが、兄の朱雀院は女と見間違えるほどの美貌の持ち主であり、斎宮も院と結ばれるならばふさわしいほどの美人である、斎宮が院の許に入るのであれば無理がないのであるが、帝はまだ十三歳の髪を上げたばかりの子供である、そのようなところに二十二歳の斎宮が女御として参内するのはどうであろうかと人知れずに悩み胸を痛めていた。然し今となって中止するわけにはいかず、細かいことをすべて参議兼修理大夫に世話をするように命じて、内裏に向かった。源氏は、
「我が物顔に振る舞う親代わりと院が自分のことを感じるのではないか」
と朱雀院に気を遣うが、ただのご機嫌伺いに斎宮の前に進んだと、人には見えるように行動した。気の付く女房が多く斎宮の周りにいる上に、里に帰っていた者達も戻ってきたので、斎宮の周りは理想的な女房達で囲まれていた。その様子を見て源氏は、
「御息所が生きていたらどんなにお喜びになったことであろう」
と昔を思いだし、
「あの人を失ったことはこの世の損失である。洗練された高い趣味の人といっても、あれほどにすぐれた人は見いだせないのであると、風流な面では、やはり優れておられた」
と源氏はおりごとに御息所を懐かしく思った。
冷泉帝の母である藤壺も内裏に参内していた。朱雀院は彼女が産んだ子供ではないので遠慮をすることなくわが子に会いに来ていたのである。冷泉帝は斎宮の宮が参内していると聞いて緊張していた。その姿は側の人達は年のわりには大人びていると見ていたが、母親である藤壺は帝に、
「立派な大人の女子がお見えになるのだから、気後れするようなことなくしっかりとお逢いしなさいませ」
と注意をした。
藤壺は今回斎宮が入内することに
「大人の女と交わることは、恥ずかしいのではないだろうか」と心配をしていたのであるが、そのようなことも考えての上であるのか斎宮は夜遅くに内裏に上がってきた。斎宮は小柄で性格がおおようで伸び伸びしていて、なよなよとした柔らかい姿であるので、幼い帝は好感を覚えた。
弘徽殿女御である頭中将の娘とはもう二年も前からの交際であるので、冷泉帝、弘徽殿ともに幼いとはいっても夜は供に臥すのであるから二人はもう体の方も結び合っているのが当然である。斎宮は歳は多くてもまだ男を知らない女である、その夜臥し寝をした帝はすぐに男の行動を起こしたのに驚いたのであるが、そこは歳の差で、今まで聞かされていた男の行動を思いだし、急ぐ帝の気持ちをやんわりと受け止めて女との接し方を体で覚えさせる行動を取った。このことが母親である藤壺が斎宮を入内させた狙いであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー26ー絵合 作家名:陽高慈雨