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私の読む「源氏物語」ー24-蓬生

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 古い和歌は、物語風のもので味わい深い趣向で選び出し、題詞や詠み人がはっきり書いてあって、その意味のよく分るのは見ごたえもあるのだが、末摘花は色のない厚ぼったい梳き紙や、陸奥紙の毛羽たたせたものに書き写してある誰も知っている新味などは微塵もないようなものを何となく読みたいときに広げて見ていた。
 否も世の少し大人になった女が経を読み仏前に参るということは、誰も見ている者はないのに恥ずかしくて数珠などを手にすることもなく、古風な生活をしていた。

 さる年源氏が初めて末摘花と会ったときに、もの言わぬ彼女に変わって源氏に返事をしていた乳母の子供で侍従の女房というのが、末摘花の許を離れずにずっと付き添っていたのであるが、こちらの家が暇な時は斎院の許に通ってそちらの勤めをかねていたのであるが、その斎院も亡くなったので、勤めるところもないままに困っていたのであったが、末摘花の母親の妹で、身分違いの受領のところへ嫁いでいた人が居た。 侍従の女房は娘達を可愛がり、女房達の評判もいいので
「まったく知らないところへ勤めるよりは自分の母親も親しくさせていただいていたので」
 と思って、時々手伝いに出かけていた。末摘花は知ってのとおり人との付き合いが嫌いであったので、交際しようとはしなかった。
「末摘花の母親が受領と結婚したことを軽蔑し、一門の不名誉に思っていたので、彼女が生活が苦しいと分かっていても、援助は出来ないよ」
 と、侍従の女房に憎たらしく言いながらも、時々文を送っていた。   
 元来安定した生活を送っている人は、どうしても少し高めの身分の人に憧れその真似をして、なんとなく思い上がった性格の人が多いが、もと親王筋という高貴な家柄であってもこの末摘花の常陸宮家もこのように落ちぶれてしまっては、心が少し下品になってしまった叔母であった。
「私を受領の嫁と馬鹿にした姉の子供を、あんなに貧乏な生活をしているのだから、うちの娘の使用人としてここへ呼ぶことにしよう。彼女は古風なところがあるが、それがかえって娘達には好都合であろう」
 と思いつき、
「時々こちらにお出でなさい。貴女のお琴を娘達が聞きたがっていますので」
 と末摘花に言ってきた。
 このことを聞いた侍従の女房は、常々末摘花に注意しているのであるが、人と張り合うというのではないがとにかく遠慮がきついため誰とも親しくしないことを少し憎らしいと思っていた。
 こんなことがある中に、叔母の夫が大宰府の次官の大弐に昇進した。叔母は、娘達をこの京でそれぞれ嫁がせて、自分は末摘花を使用人として夫の任地である九州の太宰府に行こうと考えた。
 それで末摘花に、
「遠く九州の太宰府に向かうのは、貴女が一人で淋しくお暮らしであるのを、お訪ねもしないで申し訳なく思っていましたが、それも近くに住んでいるのでいつでもお逢い出来るという気安さからで、今回のように遠くに離れてしまうのはとても気がかりです。」
 と言葉たくみに九州行きを誘うのであるが、末摘花は一向に聞こうとしない、 
「まあ、憎らしい。ご大層立派なお心ですこと。そんなにあの方を思っていても、荒れ果てた屋敷に住む貴女を源氏様がお訪ねするなんて思っても見ないことですよ」
 と毒づいていた。

 本編の始まる前に源氏は罪を許されて都に帰ってきていた。源氏が都に戻ってくると人気の高い男の帰還で都中は沸きかえった。源氏は配流の生活で、人の心の動きを察し、胸中しみじみと悟ることがさまざまあった。自分のことを心配してくれた男も女も身分の上下を問わずにその人が固く思い続けていてくれたことをはっきりと知るのであった。そのように感じているのに源氏は末摘花のことを失念してしまっていた。そんな源氏を末摘花は表に出ることも出来ず心の中で、
「もう何の望みも限界である。須磨に落ちられて長い間不幸な境遇にいた源氏様のために、再び都に戻り宮廷に元の姿で復活する日があるようにと念じて暮らして来たのであるが、はるかに下の階級の人でさえも源氏復活の輝かしい地位を喜んでいる時にも、私はただよそ事として聞いていなければならない。源氏様が京から追われた時には自分だけが不幸に逢うと悲しんだが、帰ってこられて私はこの有様、この世はこんな不公平なものであるのか」
 と固く信じていた気持ちも砕けてしまい、自分の境遇が辛くて悲しいと末摘花は泣き暮らしていた。
 夫が太宰の大弐となった叔母は、
「それ見なさい、このように満足に暮らしても行けない、見栄えしない女を人並に取り扱うような男が何処にいますか。神仏は身分の低い者を良くお助けになるというが、このような有様になってもあの娘は父上の宮が生存されていたときのままの高慢な態度である。不憫な娘よ」
 と末摘花を生意気な女と思い、
「まだ決心が付きませぬか。思うとおりにいかないときはまだ見たことがない山野を尋ねるのが一番よろしい。田舎は暮らしにくいとお考えだろうが、そう悪いようには致しませんよ」
 叔母は言葉たくみに末摘花の九州行きを薦めるのを、いささかうんざりとしている女房達が聞いていて、
「そうなさればいいのに。もう良い身分でもあるまいし、どうしてこうまで姫は気位高いのだろう」
 とぶつぶつ言っている。
 末摘花の乳母の娘である侍従の女房は、いつの間にか叔母の夫の甥に当たる者と男女の仲となって、姫を置いて出発するのは不本意ではあるが夫に従って九州に向かわなければならないので、
「姫様を置いて京を離れるのがとても心配です」
 と、ともに九州に行こうと誘うのであるが、それでも、源氏に見放されて長くなるというのに末摘花はどうしても諦めきれない。彼女は、
「今のような状態に捨て置かれても源氏様は私のことを想い出されることがあろう。あのように固く結ばれたお方であるので、私がこのようにみすぼらしいので忘れられてしまったのであろうが、風の便りにでも私がこのように淋しく暮らしていることを聞かれたならば、必ずあの方はここを尋ねられることであろう」
 と、心中に思い続けてきている。家の様子はあのころよりも酷くなってはいるが、自分の意志でもって少ない調度品も売るようなこともせずに、以前からの気持ちを持ち続けて源氏の訪れを念じて暮らしていた。 気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている仙人とも言ってよいほどの気持ちの悪い容貌で、男の興味を惹くような美貌の持ち主ではない。これ以上彼女の顔に触れるのは気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。

 冬になるのに末摘花は頼りにする人もなく淋しく庭を眺めて日を過ごしていた。神無月に入り源氏は、亡き父桐壺院のため法華経八巻を朝座・夕座に一巻ずつ四日間に八人の講師により読誦・供養する法会である御八講を、京中から人を集めて盛大に催した。特に導師となる僧呂はそこらの者を呼ぶのではなくて、知識が深く、修行を積んだ高徳の僧を選んで招待したので、その中には末摘花の兄である、あの禅師も参加をしていた。
 禅師は法要を終えて帰宅の途中で末摘花の屋敷に立ち寄り、