私の読む「源氏物語」ー24-蓬生
蓬 生 よもぎふ
源氏が潮の香りが高い須磨、明石で配流のわび住まいをしていたころ、都京でも多くの源氏と関係があった女が生活の援助も途絶えてしまい嘆き悲しんで苦しい生活をしていた。そうは言っても、生活の基盤がしっかりとある二条の源氏の屋敷に残って留守を守っている紫の上は、源氏がそばに居ないことは苦しいことであるけれども、どのような雁住まいであるか手紙を交わしながら、位を降りてしまった源氏のために着る無紋の衣服を辛い今を忘れるかのように、せっせと作って源氏の許に送っていた。これが源氏不在の淋しさを紫は慰める方法であった。源氏の配流によって真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発することが知らされずただ想像するだけであった女性たち、別れの挨拶もなく無視して行かれた恋人たちがそれであった。
末摘花と名付けた源氏の愛人の一人である、常陸宮は、父親王が亡くなってその後を心配してくれる人もなく、大変細々と暮らしていたところに源氏が現れて、色々と心配りをしてくれて援助を受けていたのであるが、その時は源氏は羽振りの良いときであり彼女への贈り物はたいした物ではないと思っていた。さほどでもない源氏の援助も困窮の末摘花には大空の無数の星が盥の水に目だって映る無上の恵みと思われ有り難く暮らしていたが、源氏の都落ちという事件が起きて深い間柄でもない女とのことは忘れられてしまい、須磨へ行った後は源氏から末摘花への援助は絶えてしまっていた。彼女は去っていった源氏を思い泣く泣く暮らしたままで月日がたっていった。
昔から居る女房は、
「なんと腹の立つ世の中ではないか。思いがけなく救いの神が現れたというのに、このような不幸な家にも光がさすものと、感謝しておりました物を、世の中の移り変わりとは言いながら、後ろに立つ人がなくなったことは悲しいことである」
とぶつぶつ嘆いていた。源氏と会う前の長い貧困な生活に馴れていた昔は、何とも言いようもない寂しい生活に慣れきっていたが、なまじ源氏から援助で少し世間並みの生活になった日々を送ったばかりに、再び援助が途絶えて昔の貧困生活に戻ってかえってとても堪え難く嘆くのであろう。
このままこの貧乏な宮家にいてもいいと思う女房は次第に少なくなり次々と里に帰ってしまった。女房たちの中には亡くなった者もいて、月日の過ぎるにしたがって、末摘花の女房の数が少なくなっていった。
元々源氏と知り合った頃から荒れた屋敷であった。庭は雑草が生えて狐の住かとなり、鬱蒼とした木々には梟の声が朝夕と鳴くのに耳慣れてしまい、人気があるからこそ、狐や梟は寄りつかなくなるものであり、木霊などの妖怪が、我がもの顔に庭に現れ、、何とも頼りがないことばかりが増えて行くようなので、残っている少ない女房達は主人の末摘花に、
「このようになりましたのではどうしようもありません。最近受領に任官した者が、ここの木立が風流であると、屋敷をお売りになりませんかと、伝を求めて聞いてきております。姫さまそうなさいませ、このように何となく恐ろしい家を離れて、気持ちの安まるところへ転居なさいませ。残っている女房達は恐ろしくてこれ以上我慢が出来ないと申しております」
と進言するが、末摘花は、
「なんと困ったことを言われる。人が聞いてどう思うでしょう。娘がまだ生きているにもかかわらず、父親の形見を何もかも失うことはできません、さてどうするか。このように恐ろしいほどに荒れてしまった屋敷であるが、父母の思い出を遺す屋敷と思って私は慰められているのですよ」
と言って涙を流す。
古い家柄であるので使用している道具類も大変古びているが丁寧に使用しているので磨きがかかっていて美しい。道具にちょっと目利きがきく者、この家の道具類は特に名のある職人が注文を受けて作った物だということを聞き、屋敷を尋ねてきてあまりの荒廃した生活に馬鹿にして安く買いとろうと交渉してくる、聞いて先ほど嘆いていた女房は、
「こんな境遇ではどうしようもありません、食べていかねばなりませんから」
とこっそりと末摘花の目に付かないようにして道具を売っては今日明日の糧に変えていたが、主人の末摘花に見とがめられてきつく叱られた。
「父上がわたしのためにとお考えになって、お作らせになった道具です。それが賤しい人の家の飾り物なるのはたまりません。亡きお父上のご遺志に背くことは出来ません」 と言ってこの後そういう勝手なことはさせなかった。
末摘花一家はこんなに苦しい生活をしているにかかわらず、助けようとこの家を訪れる者はなかった。ただ姫の兄で後に醍醐の阿闍梨の君と呼ばれる人だけが、たまに山科の醍醐寺から京へ出てきたときに、妹の様子を見に寄るのであるが、処世のすべを知らず、兄も稀に見る古風な人で法師にも色々とあるがこの人は生活力はなく、この世とは縁のない聖人のような暮しぶりで、屋敷によっても庭の雑草さえ刈り取ろうとは思いつきもしない人であった。
このような状態で浅茅というチガヤが庭一面に広がって庭土が見えなくなっている。蓬は屋敷の軒に向かって争うように這い昇ってしまった。葎は『今さらにとふべき人も思ほえず八重葎して門鎖せりてへ(いまさら私を訪ねてきそうな人は思いうかばないが、生い茂った雑草のむぐらで門が閉まってしっまて、はいれないよ、とさけんでおくれ。)』古今集の歌のように西東の門を塞いでしまってそれはそれで番にはなるのであるが、崩れてしまった築地は馬や牛が通るたびに踏み固めて道のようになってしまい、春夏の気候がよい頃になると近所の悪童どもが入り込んで遊び回るのが気に入らない。
八月のある日風が激しく吹いたときに渡り廊下は倒れてしまい、納屋など板葺きの粗末な建物は屋根が飛んでしまい柱だけで建っている。そこにいた下人達もどこかへ行ってしまい、炊事の煙が立たない日が続いていた。本当に哀れな状態になっていた。 盗人のような荒くれ者もここは盗る物も無いと思うのか、これは問題にならないわ、と通り過ぎてしまう。こんな荒れ果てた屋敷であるが、さすがに母屋である寝殿だけは部屋の飾り付けは変わりないけれども、磨いたり掃いたりして掃除をする人がなく、塵は積もっているが昔の格式を現すれっきとした荘厳な住まいで、末摘花は主人として過ごしていた。
たいした作品でもない古い和歌や物語を読んで気晴らしにして、現在の生活の糧にしてと思うのだが、末摘花はこの方面にも遅れていた。わざと風流らしくするのはどうかと思うのだが、どうせ暇なときであるので同じような友人と文通をしたりして、若いのだから自然界を眺めて心を慰め流物だが、とにかく彼女は父親の宮が大事にして箱入りにして外の風に当てることなく育て上げたので、今になって心通わす友人などはなく古びた厨子を開いて『唐守』、『藐姑射の刀自』、『かぐや姫の物語』の絵巻物を取り出しては眺めていた。
源氏が潮の香りが高い須磨、明石で配流のわび住まいをしていたころ、都京でも多くの源氏と関係があった女が生活の援助も途絶えてしまい嘆き悲しんで苦しい生活をしていた。そうは言っても、生活の基盤がしっかりとある二条の源氏の屋敷に残って留守を守っている紫の上は、源氏がそばに居ないことは苦しいことであるけれども、どのような雁住まいであるか手紙を交わしながら、位を降りてしまった源氏のために着る無紋の衣服を辛い今を忘れるかのように、せっせと作って源氏の許に送っていた。これが源氏不在の淋しさを紫は慰める方法であった。源氏の配流によって真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発することが知らされずただ想像するだけであった女性たち、別れの挨拶もなく無視して行かれた恋人たちがそれであった。
末摘花と名付けた源氏の愛人の一人である、常陸宮は、父親王が亡くなってその後を心配してくれる人もなく、大変細々と暮らしていたところに源氏が現れて、色々と心配りをしてくれて援助を受けていたのであるが、その時は源氏は羽振りの良いときであり彼女への贈り物はたいした物ではないと思っていた。さほどでもない源氏の援助も困窮の末摘花には大空の無数の星が盥の水に目だって映る無上の恵みと思われ有り難く暮らしていたが、源氏の都落ちという事件が起きて深い間柄でもない女とのことは忘れられてしまい、須磨へ行った後は源氏から末摘花への援助は絶えてしまっていた。彼女は去っていった源氏を思い泣く泣く暮らしたままで月日がたっていった。
昔から居る女房は、
「なんと腹の立つ世の中ではないか。思いがけなく救いの神が現れたというのに、このような不幸な家にも光がさすものと、感謝しておりました物を、世の中の移り変わりとは言いながら、後ろに立つ人がなくなったことは悲しいことである」
とぶつぶつ嘆いていた。源氏と会う前の長い貧困な生活に馴れていた昔は、何とも言いようもない寂しい生活に慣れきっていたが、なまじ源氏から援助で少し世間並みの生活になった日々を送ったばかりに、再び援助が途絶えて昔の貧困生活に戻ってかえってとても堪え難く嘆くのであろう。
このままこの貧乏な宮家にいてもいいと思う女房は次第に少なくなり次々と里に帰ってしまった。女房たちの中には亡くなった者もいて、月日の過ぎるにしたがって、末摘花の女房の数が少なくなっていった。
元々源氏と知り合った頃から荒れた屋敷であった。庭は雑草が生えて狐の住かとなり、鬱蒼とした木々には梟の声が朝夕と鳴くのに耳慣れてしまい、人気があるからこそ、狐や梟は寄りつかなくなるものであり、木霊などの妖怪が、我がもの顔に庭に現れ、、何とも頼りがないことばかりが増えて行くようなので、残っている少ない女房達は主人の末摘花に、
「このようになりましたのではどうしようもありません。最近受領に任官した者が、ここの木立が風流であると、屋敷をお売りになりませんかと、伝を求めて聞いてきております。姫さまそうなさいませ、このように何となく恐ろしい家を離れて、気持ちの安まるところへ転居なさいませ。残っている女房達は恐ろしくてこれ以上我慢が出来ないと申しております」
と進言するが、末摘花は、
「なんと困ったことを言われる。人が聞いてどう思うでしょう。娘がまだ生きているにもかかわらず、父親の形見を何もかも失うことはできません、さてどうするか。このように恐ろしいほどに荒れてしまった屋敷であるが、父母の思い出を遺す屋敷と思って私は慰められているのですよ」
と言って涙を流す。
古い家柄であるので使用している道具類も大変古びているが丁寧に使用しているので磨きがかかっていて美しい。道具にちょっと目利きがきく者、この家の道具類は特に名のある職人が注文を受けて作った物だということを聞き、屋敷を尋ねてきてあまりの荒廃した生活に馬鹿にして安く買いとろうと交渉してくる、聞いて先ほど嘆いていた女房は、
「こんな境遇ではどうしようもありません、食べていかねばなりませんから」
とこっそりと末摘花の目に付かないようにして道具を売っては今日明日の糧に変えていたが、主人の末摘花に見とがめられてきつく叱られた。
「父上がわたしのためにとお考えになって、お作らせになった道具です。それが賤しい人の家の飾り物なるのはたまりません。亡きお父上のご遺志に背くことは出来ません」 と言ってこの後そういう勝手なことはさせなかった。
末摘花一家はこんなに苦しい生活をしているにかかわらず、助けようとこの家を訪れる者はなかった。ただ姫の兄で後に醍醐の阿闍梨の君と呼ばれる人だけが、たまに山科の醍醐寺から京へ出てきたときに、妹の様子を見に寄るのであるが、処世のすべを知らず、兄も稀に見る古風な人で法師にも色々とあるがこの人は生活力はなく、この世とは縁のない聖人のような暮しぶりで、屋敷によっても庭の雑草さえ刈り取ろうとは思いつきもしない人であった。
このような状態で浅茅というチガヤが庭一面に広がって庭土が見えなくなっている。蓬は屋敷の軒に向かって争うように這い昇ってしまった。葎は『今さらにとふべき人も思ほえず八重葎して門鎖せりてへ(いまさら私を訪ねてきそうな人は思いうかばないが、生い茂った雑草のむぐらで門が閉まってしっまて、はいれないよ、とさけんでおくれ。)』古今集の歌のように西東の門を塞いでしまってそれはそれで番にはなるのであるが、崩れてしまった築地は馬や牛が通るたびに踏み固めて道のようになってしまい、春夏の気候がよい頃になると近所の悪童どもが入り込んで遊び回るのが気に入らない。
八月のある日風が激しく吹いたときに渡り廊下は倒れてしまい、納屋など板葺きの粗末な建物は屋根が飛んでしまい柱だけで建っている。そこにいた下人達もどこかへ行ってしまい、炊事の煙が立たない日が続いていた。本当に哀れな状態になっていた。 盗人のような荒くれ者もここは盗る物も無いと思うのか、これは問題にならないわ、と通り過ぎてしまう。こんな荒れ果てた屋敷であるが、さすがに母屋である寝殿だけは部屋の飾り付けは変わりないけれども、磨いたり掃いたりして掃除をする人がなく、塵は積もっているが昔の格式を現すれっきとした荘厳な住まいで、末摘花は主人として過ごしていた。
たいした作品でもない古い和歌や物語を読んで気晴らしにして、現在の生活の糧にしてと思うのだが、末摘花はこの方面にも遅れていた。わざと風流らしくするのはどうかと思うのだが、どうせ暇なときであるので同じような友人と文通をしたりして、若いのだから自然界を眺めて心を慰め流物だが、とにかく彼女は父親の宮が大事にして箱入りにして外の風に当てることなく育て上げたので、今になって心通わす友人などはなく古びた厨子を開いて『唐守』、『藐姑射の刀自』、『かぐや姫の物語』の絵巻物を取り出しては眺めていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー24-蓬生 作家名:陽高慈雨