私の読む「源氏物語」ー20-
この明石入道は年齢は六十歳くらいになっているが、きれいな老人でいかにも好ましく、熱心な勤行のためか痩せぎみで、人柄がよいせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、いろいろな故事をよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもあるので、源氏は古い話などを語る入道の言葉を聞いていると、少しは退屈しのぎになった。
源氏の須磨に来るまでの過去数年来の生活は、公私に忙しく、入道の語る古い話は源氏が聞いたこともなかったこの須磨明石近在の故事来歴を少しずつ丁寧に話すので、「このような土地や人を理解しなかったら、残念なことであったろう」と話をおもしろいと思う。
入道はこのように源氏と親しく語ることも出来るようになったが、それでも源氏がたいそう気高く立派な様子に、娘を源氏に縁づけたいと妻に言ったものの、言い出しにくく、入道の思いをそのまま源氏に話すことができない。
「気がせいてならぬ、残念だ」
と、妻と話して溜息をついていた。
娘の明石の君は、「普通の身分の男の方でさえ、まあこのぐらいで良いのではないかという男は見当たらないこの田舎に、源氏を隙見した時から、こんな美貌を持つ人もこの世にはいるのであったか」と驚歎はしたが、かえって彼女はわが身のほどが思い知らされて、とても源氏には近づけないと思うのであった。両親がこのように事を進めているのを、「不釣り合いなことだわ」と思うと、何でもなかった時よりもかえって源氏のことで物思いが深刻になった。
四月になった。衣更えのご装束、御帳台の帷子など、風流な様に作って入道が万事にわたってお世話するのを、「気の毒でもあり、これほどしてくれなくてもよいものを」と源氏は少々迷惑に思うが、人柄がはきりっとした態度で高貴性を保ち上品なので、そのまま入道のするのに任せた。
京からも、ひっきりなしにお見舞いの手紙が、つぎつぎと沢山送られてきた。穏やかな夕月夜の晩に、海の上に雲もなく遠くまで見渡されるのが住みなれた二条院の池の水のように思わず見間違え「わが恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(私の恋は行く先も分からないし、終わりもない。逢うことが落ち着き場所だと思っているだけだ)と古今集の凡河内躬恒の歌が想い出されて何とも言いようなく都が恋しい。源氏は自分がどこへともなく流離って行く気がして、「淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも」(淡路であれは月かと淡く遠く見た月が近くに見える今夜は場所柄なのであろうか)同じ躬恒の歌を思い、目の前に見える淡路島を見つめた。
「あはと遥かに」と歌の中の言葉を口にして、源氏は詠う、
あはと見る淡路の島のあはれさへ
残るくまなく澄める夜の月
(ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで、すっかり照らしだす今宵の月であることよ)
源氏は長いこと手を触れなかった琴を、袋から取り出して、ほんの軽く掻き鳴らす様子を、見ている供達は心が動いて、しみじみと互いに悲しく思い合っていた。
源氏はやがて体を整えて「広陵」という曲を、もてる力一杯尽くして一心に弾いた。入道の屋敷の岡辺の家でも、松風の音や波の音に響き合って聞こえてくる源氏の琴の音を、嗜みのある若い女房たちは身にしみて感じていた。楽名前を知りもしないあちこちの山に住む者達も、源氏の琴の音に誘われるようにそわそわと浜辺に出てきて寒さを忘れて聞き惚れていて、風邪をひくありさまであった。
経を上げていた入道も源氏の琴の音を耳にするとじっとしていられず、亡き人の供養法を止めてしまって、急いで源氏の前に参上した。
「まったくあなた様の琴の音が耳に入りますと、仏門に入り一度捨て去った俗世も改めて思い出されそうでございます。来世に願っております極楽の有様も、かくやと想像される今宵の、妙なる音でございます」
と涙とともに褒めちぎる。
源氏自身も、かって宮中での四季折々の管弦の行事に出演した、琴の名手や笛の上手い人の音、または唄う人の声の出し具合、その時々の催しにおいて絶賛された様子、帝をはじめ、多くの方々がなるほどと感心されたことを、他人も自分もそのときの様子をお思い出して、あれは夢であったのかと思い出しながら、掻き鳴らしている琴の音が寒く淋しく聞こえる。
入道老人は感激の涙を止めることができず、岡辺の家から琵琶や箏の琴を持ってこさせ、自分は琵琶法師になって、たいそう興趣ある珍しい曲を一つ二つ弾き出した。
源氏に箏の琴を進めたところ、源氏が少し弾くのを聞いて、源氏がさまざまな方面にたいそうご堪能だと入道は感心した。実際には、さほどだと思えない楽の音でさえ、その状況によって引き立つものであるが、広々と何もない海辺である上に、かえって、春秋の花や紅葉の盛りである時よりも、ただ何ということなく青々と繁っている木蔭が、美しい感じがする。水鶏が鳴いているのは、「まだ宵にうち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ誰が門さして」と唄って、しみじみと味わいのある面白みが出てきた。
音色も素晴らしい二つの琴を、源氏は優しく弾き、楽器に感心して、ふと独り言を言う、
「この琴は、女性が優しい姿でくつろいで弾くほうがいいな」
と、聞いて入道はわけもなく微笑んで、
「源氏様のお弾きなる姿以上に優しい姿の人は、男も女もどこにございましょうか。わたくしは延喜の帝醍醐天皇のご奏法から弾き伝えること、四代になるのでございますが、このようにたいした腕もない身で、この世のことは捨ててしまって楽のことは忘れておりますが、ひどく気の滅入ります時は、掻き鳴らしておりましたが、不思議にも、それを見よう見真似で子供が弾きまして、自然と私の祖父の親王の奏法に似ているのでございます。「松風に耳慣れにける山伏は琴を琴とも思はざりけり」の歌の山伏のように上手く聞けない私の耳では、松風の音を妙なる音と聞き誤ったのでございましょうか。どうか源氏様何とかして、娘の琴を一度こっそりお聞きになって下さいませ」
と源氏に体を震わして入道は訴える、涙も流してた。
源氏は、
「私の琴など琴とお聞きにならない名人揃いの所で、大変なことをしてしまった」
と言って、箏を押しやり、
「どういう訳か昔から箏は女が嗜むものであった。嵯峨天皇のご伝授で、女五皇女繁子内親王の宮が、その当時の名人であったが、その御系統で、特に伝授を受けた者はいません。ただ現在、有名な人々は、まったく自己満足程度に過ぎないが、この明石にそのように隠れて伝えていらっしゃるとは、実に興味深いものですね。ぜひとも、聴いてみたいものです」
と入道に言う。答えて、
作品名:私の読む「源氏物語」ー20- 作家名:陽高慈雨