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私の読む「源氏物語」ー20-

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 と源氏は返事を良清にさせた。聞いた入道の手の者はこの上なく喜んで、お礼申し上げる。早速源氏に、
「ともかく、夜のすっかり明けない前にお舟にお乗りください」
 ということで、源氏はいつもの側近の者だけ、四、五人ほど供にして乗船した。
 源氏が乗り込み用意が出来上がったら例の不思議な風が吹き出してきて、舟は飛ぶように走りまもなく明石に到着した。須磨から明石までは這って行けそうなわずかな距離であるが、時間もかからないとはいえ、やはり不思議な風の動きであった。

 明石の浜の様子は、なるほどなみなみでなくまことに格別であった。ただそこらに何でもない人が多くうろうろとする姿が見えるのが風情を削いでいると濱に上がった源氏は思った。入道の持っている領地は、海岸にも山蔭にも、季節につけて楽しめる海辺の苫屋、来世の救いを求めて勧業するのにふさわしい厳かな堂を山中の川のほとりに建て、これから先の生活用にと、秋の田の実を収める、米倉が並んでいた。四季折々に見所ある場所が設えてあった。
 入道の家族は高潮を恐れて、娘などは岡辺の高台の家に移して住ませていたので、源氏が案内されたこの海辺の館に気楽に過ごすことができた。
 源氏が舟から車に乗り移るころ日が上ってきて一行を照らし出す。それまでほのかにしか見えなかった源氏の姿がはっきりすると、入道は自分の老いも忘れ寿命も延びる心地がして、なるほど高貴な方であると笑みを浮かべて、まずは住吉の神をとりあえず拝み源氏を引き合わせてくれたことを感謝した。入道は月と太陽を一度に手に入れた心地がして、源氏の世話に懸命になったことは言うに及ばない。
 源氏が案内された入道の屋敷は、はでに見栄も張らずにこしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。源氏はこれを眺めて数か月過ごした須磨の屋敷よりこの上なく明るく、好もしい感じがした。部屋の飾りつけなど立派にしてあって、生活様式は都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しい拵えはこの屋敷の方がむしろ勝っていると源氏は思った。

 源氏は少落ち着いてから京への手紙を書き始めた。二条院から嵐の日にやってきたあの使者は、現在、
「ひどい時に使いに来たものだ」
 と疲れ果てて須磨の屋敷に留まっていたのを明石に呼んで、身にあまるほどの褒美を多く与えて手紙を持たせて京に返した。都で源氏が親しくしていた祈祷の師たち、しかるべき所々に、今回見た夢や入道のとった行動について詳しく書いて遣わしたのであろう。
 藤壺にはには、嵐にあってもう駄目かと思ったところ不思議にも助かった経緯を文にして送った。二条院からの紫の胸を打つ手紙の返事は、源氏もすらすらと筆を運ぶことができず、筆を置いては書き置いては書きと感情がこもってきて、涙を拭いながら書き上げていった。紫に対して格別の思いがあったのであろう。
「本当に何回も大嵐が襲ってきて生きた心地もしないこの世の終わりを体験し尽くしました、そうして今は俗世を離れ仏門に入りたいという気持ちが沸々と心の中に起こってきていますが、先に貴女からいただいた文に私が
『身はかくてさすらへぬとも君があたり
        去らぬ鏡の影は離れじ』
(わが身はこれから流浪の身になろうとも、鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていますよ)
 と貴女に詠うと、貴女はすぐに
『別れても影だにとまるものならば
     鏡を見ても慰めてまし』
(お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば、鏡を見て慰めることもできましょうに)
 と返歌された時の貴女の面影が私の脳裏から離れるときがないので、今のように京と須磨という遠く離れたままではとても仏門に入るということは出来ません。こちらでたくさんの嘆かわしいことは二の次にして、

 遥かにも思ひやるかな知らざりし
      浦よりをちに浦伝ひして
(遠く遥かより貴女のことを心配しています、知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても)
 自分は今夢の中にいるのだという心地ばかりして、まだ覚めきらないでいるうちは、どんなにか変なことを多く書くことでしょう」
 と、源氏はぽつぽつと筆を進めているのは当然のような、とりとめもないことを書き散らしているが、側からのぞき込みたくなる、「紫の上をたいそう並々ならぬご寵愛なさっておられる」
 と、傍らに控えている供の人々は見ていた。
その供の者もそれぞれ故郷に淋しい境遇を言伝をしているようである。
 絶え間なく降り続いた空模様も、すっかり晴れわたって、漁をする漁師たちも元気がよく張り切って仕事をしていた。須磨はとても淋しいところで、漁師の家でも数少なかったが、源氏はそれでも人が多いと嫌悪感があった。明石は人も多く騒々しいがまた一方で、源氏の心を格別にしみじみとするような処でもあったので、何かにつけて自然と気持ちが落ち着いてくるのであった。

 この居館の主人である入道。客人として招いた源氏に見せる自分の勤行の態度はたいそう悟り澄ましているが、それはただその娘一人を心配しての行為である、側で見ているとかえっておかしく思えるのも気の毒、時々源氏に愚痴をこぼすのを聞いているうちに、あの北山に瘧の治療祈願に上ったおりに良清から入道の娘のことを聞いていたことを思いだしていた。彼は源氏に娘のことを
「代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしている」
 とあの山で源氏に語っていた。それで須磨へ来て源氏の心に興味を持っていた、源氏は、「このような突然の出会いも運命の廻り合わせ、前世からの宿縁であったのか」
 と思うが、
「しかし、現在の我が身は罪を負った流され者である。このような身である間は仏の前の勤行より他のことは考えまい。都に置いた紫も、私が罪を負わず普通の場合であっても気分が悪いだろうが、それ以上に互いに約束したことと違うと思われるのも、気恥ずかしい」 と思い直すと、入道の娘に会いたいという素振りを見せなかった。それでも源氏は元気な男である。折にふれて、娘の「気立てや、容姿など、並み大抵ではないのかなあ」と、心惹かれないでもない。
 一方、源氏を招待した明石入道は、自分の提供したこの館には遠慮申し上げて、自身はめったに源氏の前に参上せず、離れた下屋に控えていた。がその実、入道はなんとかして毎日源氏をお世話申し上げたく一日が物足りなくお思い、「どうかして自分の願いを叶えて欲しい」と、仏、神をますます熱心にお祈った。