私の読む「源氏物語」ー19-
と独詠する。いつものように目がさえている明け方の空、千鳥が舞い悲しい声で鳴いている。源氏は、
友千鳥諸声に鳴く暁は
ひとり寝覚の床も頼もし
(友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は、
独り寝覚めて悲しんでいるわたしも心強い気がする)
彼の他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていた。
深夜に手洗いに起きてそのまま経を唱える源氏の姿はかってはなかったことで珍しく、こんな主人を見捨てることができず、供の者は少しも側を離れることが出来なかった。
明石の浦は須磨から近く、ほんの這ってでも行けそうな近い距離なので、源氏の供をしてきた良清朝臣は、源氏が北山に瘧の治療のために登った時源氏に話したあの明石の入道と娘とを思い出し気を引こうとして、手紙を書いて送ったのであるが、娘からは返事もこない、代わりに父の入道が、
「申し上げたいことがあるから、こちらにちょっと来てください」
と言ってきたが「娘に会うことを承知してくれないようなのにのこのこ出かけて行って、がっかりして帰ってくることを想像するととても出かけることは出来ない」と、良清は気がふさいで明石に行かなかった。
自尊心がとてつもなく強い入道は、播磨の国ではこの地方の人は国守の一族だけがえらい者と思っているということを認識していない。彼は源氏が罪を得て都落ちして須磨にこうして来いると聞いて、娘の母である妻に言った、
「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の君が、朝廷から罰されて、須磨の浦に来ておられるという。これは娘が幸運の持ち主であるという証拠である。何とかこのような機会に、側室として娘を源氏の許に差し上げたいものです」
と言う。妻は、
「まあ、とんでもないことを言われます。京の人の噂を聞くと、源氏様にはご立派な奥方様たちがとてもたくさんいらして、その他にも、今回流された原因になったという帝のお妃とまで過ちを犯しなさって、そのような方が娘のような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」
と言う。入道は妻の言葉に腹を立てて、
「貴女は考え違いをしている。私はどうしても思うとおりにするからその心づもりでいなさい。何とか機会を作って、源氏様をここにお出でいただこう」
と、自分の想いを遠そうとする入道は頑固者に見える。この二人は娘を眩しいくらい立派に飾りたて大事に世話していた。母は、
「どうして、源氏様がご立派な方とはいえ、娘の初めての縁談に、罪に落ちて流されていらしたような方を考えるのでしょう。それでも源氏様が娘に心をおとめくださるようならともかく、そんなことあの高貴な源氏様が冗談にもありそうにないことです」
と言うので、入道は少しは妻の言うことも当たっていると返事もしないでぶつぶつと不平を言う。
「罪になるということは、かの唐土でもわが国でも、源氏様のように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。あの方をどういうお方でいらっしゃるとおまえは思っているのか。私は亡くなった桐壺の更衣は、わたしの叔父である亡き按察大納言の娘で自分のいとこの子でありますよ。彼女は素晴らしい評判の娘であることから、宮仕えにお出しなさったところ、桐壺の帝も格別に御寵愛あそばし、宮中には並ぶ者がなかったほどであった。そのため女御達の嫉妬が強く、それが原因で体を崩してお亡くなりになってしまったが、帝との子供の源氏様が生いきていらっしゃる事が大変嬉しいことである。女という者は気位高く生きるべきである。わたしが、このような田舎者だからといって、源氏様が馬鹿にしてお見捨てになることはあるまい」
などと入道は妻に言っていた。
入道達の娘はすぐれた器量ではないが、気持ちが優しく上品で、頭のいいところなどは高貴な女性に負けないようであった。彼女は自分の境遇を良いとは思っていない、
「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。身分相応の結婚はまっぴら嫌。長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」
自分の生涯をこのように考えていた。
しかし父入道は、仰々しく大切に育てて、一年に二度は幸運を授かるように住吉の神に参詣させるのであった。入道は神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。
須磨の源氏は、年も改まって春近くなり日が長くなりつつあり、庭に植えた桜の若木もちらほらと咲き出すが、何もすることがない。空も晴れてうららかな気分になると、今まで過ごしてきた間に起きたさまざまなことがお思い出され、今の身と比べてあまりの違いにふと涙を流すことが度々あった。
二月二十日を過ぎに、源氏は過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たち近況など、考えるとたいそう恋しくなり、「宮中南殿の桜は、満開になっただろう。去る年の花の宴の折に、あれは桐壺院最後の花宴であった、朱雀帝もたいそう美しく優美であり、わたしの作った句を朗誦して下さった」
とお思い出し、
いつとなく大宮人の恋しきに
桜かざしし今日も来にけり
(いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに、桜をかざして遊んだその日がまたやって来た)
源氏が暇ですることもなく退屈な時をもてあましていると、亡き葵の兄である頭中将が今は宰相に昇進して、人柄もよく世間の評判も、信頼も厚なっていたのであるが、源氏のことを考えるとこの世の中がどう違っているのか考えてもつまらなく思うようになり、
「噂が立って罪になるようなことがあってもかまうことはない」と、思い切って急に須磨の源氏の許を訪ねた。
お互い会うなり嬉しくて、涙を流して対面した。
源氏の住まいは、なんとなく唐風に出来ていて、その様子は絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらし、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、趣がある。
山で働く人のように、源氏は誰でも着用のできた衣服の色である黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、見るところ質素な衣装であるがそれを田舎風に着こなしていが、見るからになるほど流石にというほどの美しさである。
部屋の調度品も一時の間に合わせ物にして、源氏の居間はまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、道具、将棋などは手作りのようで、勤行念誦の道具はきちんと揃えてあり毎日勤行をしているように見えた。食事は土地の料理を作り客人のもてなしとし地方ならではの味にした。
海人たちが漁をして、いろいろな貝を持ってきたのを源氏は手元に運ばせて見てみる。漁師に海での生活などを尋ねると、彼らは毎日の辛さをいろいろと話す。。とりとめもない話であるが源氏は、「働く辛さや心労は誰でも同じことだ。身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと感じた。魚介類を持参してくれた漁師達に礼として衣類を与えると、彼らは嬉しくて生きていた甲斐があったと思った。源氏の飼っている幾頭もの馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、源氏達は珍しいものと見ていた。
「飛鳥井に宿りはすべしやおけ蔭もよしみもひもさむし御秣もよし」(催馬楽の飛鳥井)」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、話がはずんだ
作品名:私の読む「源氏物語」ー19- 作家名:陽高慈雨