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私の読む「源氏物語」ー19-

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「大変に遠い所から上京してまずはまっ先にお訪ねしまして、都のお噂をもと考えておりましたが、意外なことに、ここ須磨にこうしてお住まいのことを知りまして、とても黙って通り過ぎるなんて出来ませんし、また悲しうもございます。それでも知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、この地まで出迎えに多数来ておりますので、それらの目をやはり気にしなくてはなりません、そのような次第でお伺いできません。また改めて参上いたします」
 子の筑前守が参上し父の伝言をした。この子を源氏が大事にして、蔵人に任官させて目をかけてやったということもあって、筑前守は前に座る源氏の姿がとても悲しく辛いと思うが、ここにも人の目があるので、いろいろと噂をされることを憚って、ゆっくりと源氏と話も出来なかった。
「都を離れてからは、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」
 と源氏は嬉しく筑前守にいう。父親の太宰帥への返事も同様にした。
 筑前守は、涙を流して帰り源氏の現況を父に話す。帥をはじめ迎えの人々も不幸があったように一同泣き臥した。筑前守の妹である五節は、気を引き締めやっとの思いで源氏に便りを差し上げた。

 琴の音に弾きとめらるる綱手縄
     たゆたふ心君知るらめや
(琴の音に引き止められた舟を引く綱のように、ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか)
 色めいたような言い方で、お咎めくださいますな(いでわれを人なとがめそ大船のゆたのたゆたに物思ふころぞ(どうか私を誰も咎めないでください。大船がゆらゆらと揺れるように恋の思いに取り憑かれて心もゆらいで落ち着かないでいる時ですから)」という古今集の歌を借りていた。
 
 五節の文面に源氏は苦笑して読んでいたが自分も五節との逢瀬のことを浮かべていたから少し恥ずかしかった。

 心ありて引き手の綱のたゆたはば
     うち過ぎましや須磨の浦波
(わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば、通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を)
 さすらおうとは思ってもみないことであった」
 と「思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たきいさりせむとは(思いも寄らなかった。都の人と別れて田舎住まいの辛さにすっかりやつれてしまい、漁師達と網の綱をとって漁をするような暮らしになろうとは)」古今集の歌を源氏も借りて。太宰府に流される時に明石の駅長に詩を残した菅原道真のように源氏が思われ五節は親兄弟に別れてでもここに残りたいと思うほど源氏に同情した。

 都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ源氏を恋い慕うようなことが多かった。東宮は誰よりも源氏のことを思い忍び泣いていた。この様子を見ている乳母や、それ以上に藤壺から派遣されている王命婦は、ひどく悲しい思いで春宮を見ていた。
 春宮の母である藤壺は、東宮の身の上に何事か襲ってくるような恐ろしいことばかり思うのであったが、源氏大将も須磨に流れるという流浪の身となってしまったのをひどく悲しく嘆いていた。
 源氏の兄弟親王たち、親しくしていた上達部など、源氏が都に不在になった初めのうちはお見舞い申し上げ、しみじみとした漢詩文を作り交わし、世間から源氏の詩文の素晴らしいさをほめられるので、弘徽殿の后宮がそのようなことを聞いて、厳しいことを言う。「朝廷から叱責を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。源氏は風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、その男に、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」
 などと言う言葉が世間に聞こえてきたので、源氏と関わっては厄介なことだと思って、今まで手紙を送っていた者が一斉に止めてしまったので、様子を知らせてくれる者が全くなくなってしまった。。
 二条院の紫の上は、源氏と別れて時が経つにつれて気分が落ち着かなくなった。源氏の住まいであった東の対に仕えていた女房たちも、源氏の言いつけでみんな紫の住まいである西の対に移った当初は、紫を「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、だんだんと仕えていくうちに、紫が心が優しくて美しい、日常の生活面についての心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って里へ帰る者もいない。良家から来ている女房たちにはしっかりと姿を見せて話をする。女房達は紫のことを「たくさんいる夫人方の中でも格別源氏が寵愛されているのも、もっともなことだわ」と紫のことを見ていた。

 源氏の須磨での生活は、長くなるにしたがって彼はとても我慢できないと思ったが、「自分さえ驚くほどの住まいなのに、どうして、紫を呼んで一緒に暮らせようか、そんな住まいではない」と自分の浅い考えをうち消す。 この屋敷の場所が場所なだけに、すべて様子が違って源氏を知らない下賤な者達のことを源氏はまだ直接に見たことがなかったので、供の者とこれらの者達が話し合う声がすぐ近くで聞こえることも、心外なこととしかおもわれない。
 時々煙がとても近くで立ち上るのを源氏は、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっと思っていたが、住まいの後ろの山で、柴をいぶしているのであると教えてもらった。珍しいので、詠った

 山賤の庵に焚けるしばしばも
    言問ひ来なむ恋ふる里人
(賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように、しばしば訪ねて来てほしいわが恋しい都の人よ)

 冬になって雪が降ると空模様もぞっとするほど寂しく見えるので、琴を心にまかせて弾き、良清に歌をうたわせ、大輔、横笛を吹いて管弦の遊びをする。心をこめてしみじみとした曲を弾くと、他の楽器を弾いている者は止めてしまい涙を拭いあっていた。
 昔、胡の国に遣わしたという王昭君の故事で、唐の前漢の元帝の宮女で元帝の命で匈奴(キヨウド)の呼韓邪単于(コカンヤゼンウ)に嫁し、夫の死後その子の妻となったという。絶世の美人で胡地にあって怨思の歌を作り、服毒自殺と伝説になった女のことを思い、「自分以上にどんな気持ちであったろう。この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、自分にも実際に起こるような気がして、
「胡角一声霜後夢 漢宮万里月前腸」(和漢朗詠集、王昭君)(物悲しい湖人の角笛の音が沙漠の夜空に冴える。故郷の漢の国の都は万里のかなたに遠ざかって、月の光に腸を断つ。昭君の胡地における生活のひとこま)の詩句を朗誦する。
 月の光が明るく差し込んできて源氏のわび住まいである、奥の方まで素通しである。和漢朗詠集にある「故宮付破宅」の歌
 向暁簾頭生白露 
 終宵床底見青天
(家が壊れて明け方には簾のたれる鴨居のあたりに露が降りており、夜もすがら床に寝ながら屋根の穴から青空がのぞかれる)
 のとおりのようである。。沈もうとする月が、寒々と見えるので、源氏は、
「天廻玄鑑雲将霽 唯是西行不左遷」
 と菅家後集のうたを独り口ずさみ、

 いづ方の雲路に我も迷ひなむ
   月の見るらむことも恥づかし
(どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう、月が見ているだろうことも恥ずかしい)