私の読む「源氏物語」ー19-
「自分一人のためにこの者達は、片時でも離れたくない親、兄弟、身分相応に抱えている大事に思っている家人に別れて、こんな山里でさまよっているとは、都に残してきた者はどう思っているだろう」と思うと惟光始め付き添ってきた者達が気の毒で、「自分がこのように沈んでいる様子を、あの者達は心細いと思っているだろう」と考えて、昼間は何かと言葉をかけたりして紛らわし、別にすることもないので、色々な色彩の紙を継いで短い文を書いたり、珍しい唐の綾などに、色々な絵を描いて気を紛らわしし、出来上がった屏風の絵が素晴らしかった。
源氏は京にあっては供の人々が話す海や山の風景を、頭の中で想像していたのであったが、このように須磨に来て山や海の風景を目の当たりにすると、なるほどこのように自然の風景は自分の想像も及ばないものであると分かり、特に海岸の磯のたたずまいをまたとないほど素晴らしいと感じたのか何枚も写生をした。。
「近年の名人と言われる千枝や常則などを呼んでこの線画にを付けてもらいたいものだ」
と言って、供の者達は源氏の素描を見て残念がっていた。こんな源氏の優雅な性質に、色々の世の出来事を忘れて側に親しく仕えられることを嬉しいと、四、五人ほどが、いつもぴったりと源氏の側に伺候していたのであった。
夕暮れの庭に花が色とりどりに咲き乱れてちょっとした見所のある様子を、源氏は海が見える廊下に立って、ゆっくりと眺めている様子が不吉なまでに美しく、こんな鄙びた場所柄かこの世の人とは供の者には見えない。白い綾で柔らかな布で織った紫苑色の着物をまとって濃い縹色のお直衣、帯をゆったりと締めてくつろいだ姿で、
「釈迦牟尼仏の弟子」
と仏前に向かっての第一声を唱えてゆっくりと読経を始めた。その声がまた供の人に美しく聞こえた。
沖の方をいくつもの舟が船頭たちが大声で歌いながら漕いで行くその歌声がここ山荘まで聞こえてくる。その舟がここからはかすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように見える、雁が列をつくって鳴く声がまるで舟の楫の音に似て聞こえるのを、じっと見つめていて涙がこぼれるのをそっと袖で払う手つき、手にもつ黒い数珠とともに美しく夕日に映えている美しさは、その源氏を眺める故郷に残した女性を恋しがっている供人達の心をすっかり慰めてしまったようであった。
源氏が
初雁は恋しき人の列なれや
旅の空飛ぶ声の悲しき
(初雁は恋しい人の仲間なのだろうか、旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる)
と目の前の景色を読むと、供の良清がそれを受けて、
かきつらね昔のことぞ思ほゆる
雁はその世の友ならねども
(次々と昔の事が懐かしく思い出されます、
雁は昔からの友達であったわけではないのだが)
供の民部大輔、
心から常世を捨てて鳴く雁を
雲のよそにも思ひけるかな
(自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を、ひとごとのように思っていたことよ)
源氏に心酔して供に加わった前右近将監、
常世出でて旅の空なる雁がねも
列に遅れぬほどぞ慰む
(常世を出て旅の空にいる雁も、仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう)
道にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
と返歌をした。将監の親が常陸介になって赴任したにもかかわらず同行しないで、源氏の供としてこの須磨に来たのであった。心中ではしまったと悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。
月がとても明るく出たので、源氏は「今夜は十五夜であったのだ」と思い出して、宮中での色々の催しが恋しく、「あちらこちらで女達は月を眺めて物思いにふけっているであろう」と想像するが、月の顔ばかりが自分を見つめている。源氏は白居易の漢詩
「八月十五夜禁中獨直、対月憶元九 銀台金闕夕沈沈 銀台金闕 夕沈沈
獨直相思在翰林 獨直 相思うて翰林に在り
三五夜中新月色 三五夜中 新月の色
二千里外故人心 二千里外 故人の心
渚宮東面煙波冷 渚宮の東面は煙波冷ややかに 浴殿西頭鐘漏深 浴殿の西頭は鐘漏深し
猶恐清光不同見 猶ほ恐る 清光同じく見えざらんことを
江陵卑湿足秋陰 江陵は卑湿にして秋陰足る
と朗誦すると、いつものように涙がとめどなく込み上げてくる。この歌は次のような意味である。
宮中の金や銀の立派な建物に、夜は静かに更けて行く。私はただ一人で宿直して、君を思いながら翰林院に居る。十五夜の今夜、出たばかりの月の光二千里の遠く、昔ながらの友である君は何を想っているだろうか。君の居る渚宮の東面、煙る波が冷たげに池の面を覆っていよう。私の居る浴殿の西辺、鐘が時を告げて深く響いていく。やはり気にかかる、この清らかな月光を同じには見えないのではないか。君の居る江陵は低地で湿っぽく、秋は曇りの日が多いそうだから。
藤壺が、「九重に霧やへだつる雲の上の月を遥かに思ひやるかな」(「賢木」)一昨年の九月二十日と詠んだそのことが言いようもなく恋しくなり、二人の間の折々のことを思い出し泣かずにはいれない。供の者が
「夜も更けてしまいました」
と申し上げたが、なおも源氏は廊下で夜露に濡れるにまかせて部屋に入らない。
見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ
月の都は遥かなれども
(見ている間は暫くの間だが心慰められる、また廻り逢える月の都は、遥か遠くであるが)
その夜、朱雀帝と親しく昔話などをした時の帝の姿が亡き桐壺院にとてもよく似ていたことを、恋しく思い出し、
「去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香(菅家後集、九月十日)(去年の今夜、清涼に侍す。秋思の詩編、独り断腸。恩賜の御衣、今ここにあり。奉持して毎日、余香を拝す)」
と菅原道真の有名な漢詩を朗誦しながら部屋に入った。源氏も御衣を本当に肌身離さず、側に置いていた。
憂しとのみひとへにものは思ほえで
左右にも濡るる袖かな
(辛いとばかり一途に思うこともできず、 恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ)
都恋しと罪を負った辛さとを左右の袖にかけてひとり歌を詠っていた。
その頃、太宰府の大弍が公務で任地から上京した。その道中で源氏を見舞いに須磨に立ち寄った。沢山の一族、娘たちも大勢で旅は大変なので、正夫人の北の方は舟で上京する。浦伝いに風景を見ながら来たところ、この須磨の海岸が他の場所よりも美しいので、心惹かれて眺めていると、「源氏大将がここに住まわれている」と舟の者の誰かが言うと、関係のないことなのに若い娘たちは興味が高い人物なので舟の中にいてさえ気になって緊張していた。まして、源氏とは関係のあった五節の君は、このまま綱手を引いてもらって通り過ぎるのも残念に思っていた。海岸の方から琴の音が、風に乗って聞こえて来ると、源氏の住まい、人柄、聞こえる琴の音の淋しい感じなど、風流を解する者たちは皆源氏の今の姿を想像して泣いてしまった。
大宰の帥は、源氏に挨拶をするために上陸した。源氏に
作品名:私の読む「源氏物語」ー19- 作家名:陽高慈雨