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私の読む「源氏物語」ー18-

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「本当に、この男はどんなに悲しんでいることだろう。あの禊ぎの日に誰よりも晴れ晴れしく振る舞っていたのに、無冠になるとは」 とおもうと、自分のことから、と思うと気分が落ち込んでしまった。
 源氏も馬から下りて、社の方を向いて参拝する。そうして神に暇乞いを告げた。

 憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ
     名をば糺の神にまかせて
(辛い世の中を今離れて行く、後に残る噂の是非は、糺の神のお裁きに委ねて)

 と詠む源氏の姿に右近将監は感激しやすい若者なので、自分に続いて祈りの歌を社に捧げた主人に心酔してしまった。
 御陵に参拝して源氏は、故桐壷院の御在世中のお姿をまるで眼前におられるように思い出していた。帝という最高の地位にあった方でも、この世を去ってしまってはもうどうしようもなく頼りにすることも出来ず源氏は言いようもなく無念であった。この度都を追われる身となったことの次第を事細かに訴えても、答えが返ってこない空しさについ涙が出てとまらない、「あれほど自分の死後のことをお考えになっていろいろとされたご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」 と、源氏は何とも言いようがない虚ろな気分になった。
 御陵は、手入れをする者がいないのか雑草が生い茂り、その中をかき分けて入っていく内に着衣が夜露に濡れる、月も雲に隠れて、森深みに背筋がぞっとする。帰る道が分かるかなと心配しながら、陵の前で頭を下げて参拝しているところに、桐壺院が源氏の前に御生前の姿そのままにはっきりと現れた。源氏は鳥肌の立つ思いでその姿を眺めていた。自然に口をついて亡き父に詠っていた。

 亡き影やいかが見るらむよそへつつ
     眺むる月も雲隠れぬる
(亡き父上はどのように私の現在の身を御覧になっていられますか、私を哀れと思われて涙をながされて私の目を曇らせ月の光を隠してしまわれた)

 すっかり夜が明けたころに源氏は二条院に帰って、東宮に文を認め藤壺が自分の代わりにと王命婦を春宮付に付けているので、その局に差し出すように使いを出した。
「今日、都を離れます。もう一度お目にかかれぬのが、数ある別れの嘆きの中でも最も悲しく思っています。私の身の回りすべてご推察いただき、春宮に差し上げてください

 いつかまた春の都の花を見む
       時失へる山賤にして

(いつ再び春の都の花盛りを見ることができるのだろうか、現世から離され山人となったわが身が)

 文は花が散ってまばらになった桜の枝に結び付けてあった。「源氏様からこのような文が」と命婦が春宮に御覧に入れると、幼い春宮はそれでも真剣な御様子で源氏の文を読んでいた。
「お返事はどのように申し上げましょうか」
 と、命婦が尋ねると、
「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」
 というのを「あっけないお返事だこと」と、命婦は八歳の幼い春宮をいじらしく思う。
 どうにもならない源氏と藤壺の恋に二人は心のたけを尽くした昔のこと、自分の手配りで二人の逢瀬を作った折々、二人が固く結ばれて愛し合う姿、次から次へと命婦は思い出されるにつけても、何の苦労もなしに二人は過ごすことができたはずの世の中を、お互いが自分から求めて苦しみを背負ったことが悔しくて、王命婦はそれが自分一人の責任のように思われた。命婦は源氏に返事を書いた、
「とても言葉に尽くして申し上げられません。春宮様にはお見せ致しました。御覧になって心細そうにしていらっしゃる御様子もおいたわしうございます」
 と、文面が整わないのは命婦の心が源氏の離京で動揺しているからであろう。

 咲きてとく散るは憂けれどゆく春は
     花の都を立ち帰り見よ
(咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども、再び都に戻って桜咲く花の都を御覧ください)
 時期が来るのをお待ちいたしております」

 と返歌を詠い、源氏に文を贈った後春宮に仕える女房達とも悲しい源氏のことを話をしいしい、御所中でみんなで声を抑えて泣きあった。
 少しでも源氏と関わりのあった人でさえ今回のことで嘆き惜しまない人はいない。まして、源氏は毎日側近く仕えてきた者から名も知らない下女、御厠人まで手厚く接していたので、「たいして長いことでもあるまいが、源氏様に会えない月日を過すことになるのか」と思い悲しんでいた。
 一般の人達も今回の源氏への処置を妥当だとは思っていなかった。源氏は七歳の読書始めの儀から今まで、帝の御前に昼夜となく出仕して、政治向きのことで帝に奏上されたことで聞き届けがなかったことは一度もない。、そのことで源氏の努力に助けられた者は多く、その恩恵を喜ばない者はなかった。高貴な上達部、弁官なども結構多かった。それより下級の者では数も分からない。それでも源氏の恩を知らないわけではないが当面は、厳しい現実の空気を察して源氏に挨拶をする者がない。みんなは源氏を惜しんで内心では朝廷を批判していたが、「身を捨ててまでお見舞いに参上しても、源氏のために何になろうか」と思うのであろうか、と源氏は想像してこの人達を誹謗することは自分としては体裁悪く思うのであるが、それでも「世の中というものは思い通りには行かない」とばかり、万事につけて納得していたのであった。

 出発の当日源氏は、正妻の紫の上と昼間はゆっくりと話をして過ごし、都を落ちる者達の例にならって深夜になって出発した。狩衣の衣装で目立たぬ姿に変え質素に見えるようにした。源氏は山の端から現れた月に向かって、
「月も出ましたな、もう少し高く上がって私を見送ってください。これから貴方を見ては沢山話をするようになるでしょう、一日、二日まれに京を離れても貴方に語りかけることが沢山ありますのに、これからの長い里暮らしに気が晴れない思いがしますので」
 と独り言のように言って御簾を巻き上げて紫を招くと、紫は別れの悲しさに泣き沈んでいたが、その気持ちを抑えて膝行して出て源氏の傍らに月の光に美しく照らされながらすわった。源氏は紫を見つめて、
「私が京を離れて里暮らしの中に死んでしまったならば、この女はどのようにしてこの世を送っていくのであろうか」と、不安で胸が締め付けられる思いをするが、このようなことを口に出して言えば、ますます紫を悲しませると思い、

 生ける世の別れを知らで契りつつ
       命を人に限りけるかな
(生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに、命のある限りは一緒にと言っては契りを結ぶことよ)
 人の世というものは、はかないものだよ」

 源氏は今の心境をわざとあっさりと歌にした。紫はそれに答えて

 惜しからぬ命に代へて目の前の
    別れをしばしとどめてしがな
(惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです)

 源氏は紫の返歌を聞いて、
「なるほど、紫の心は自分をそのように思っているのか」
 と、悲しむ紫を見捨てて出発しにくいのであるが、別れを惜しんで時間を延ばしていると夜が明けてしまい、きまりが悪いので、急いで出発した。