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私の読む「源氏物語」ー18-

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 二条院から伏見までの道中、源氏は紫の姿が面影のようにありありとまぶたに浮かんで、胸がせつないまま、舟に乗り淀川に出て難波に向かった。難波から大船に乗り換えて日の長いころに加えて追い風が吹き、まだ申の時刻(午後四時頃)に須磨の浦に到着した。 源氏はほんの少しの旅でもこのような船旅の経験がないので、心細さ物珍しさは普通の人以上であった。難波の大江殿と言うところはかっては賑わっていたのであろうが、ひどく荒れていて松の木だけが昔の屋敷跡として形跡をとどめていた。源氏は中国の屈原の故事を想い出して

 唐国に名を残しける人よりも
     行方知られぬ家居をやせむ
(唐国で名を残した人以上に私は行方も知らない侘住まいをするのだろうか)
 
 と讒言により都を追放され僻地の淵に身を投じて自殺をした屈原のことが自分のことのように思われてひとり詠った。
 須磨の浦の渚に打ち寄せる波の寄せては返すのを見ていると、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも返る波かな」と在原業平が伊勢物語の中で詠っている歌を口ずさみ、誰でも知っている古歌であるがこうして旅の空で詠うと、珍しく聞こえるのか供の人々は源氏の淋しい心の中を思っていた。振り返って来た方向を見ると、遠く山は霞がかかってまことに、「十一月中長至夜三千里外遠行人」(白氏文集)という漢詩があるのをおもいだして源氏は「三千里の外」というのはこんな気持ちのものかと「わが上に露ぞ置くなる天の川門渡る舟の櫂の雫か」(私の上にどうやら露が降りているようだ天の川の川門を渡っている彦星の舟の櫂の雫なのだろうか)という古今集の歌にある櫂の滴も源氏には耐えきれない。

 故郷を峰の霞は隔つれど
     眺むる空は同じ雲居か
(住みなれた都は峰に霞がかかった山々で遠く隔てられたが、悲しい気持ちで眺めている空は都もここも同じ空なのだ)

 と源氏はひとり詠い、見るもの全てが辛く悲しく思われるのであった。

 げんじが須磨で生活をするための住まいは、阿保親王の子で在原行平中納言、この人は有名な在原業平の兄であるが、「田村の御時に事に当りて津の国の須磨といふ所に籠りはべりけるに、宮のうちにはべりける人に遣はしけるという詞書きと共に、
 わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ(ひょっとして私のことをどうしているかと尋ねる人がいたならば、須磨の浦で泣き悲しみながら侘びしく暮らしていると答えてください)と古今集にある歌を詠んだ住まい近くであった。海岸から山に入った、身にしみるばかりの寂しい山中であった。
 源氏はこれから住まいとする小さな屋敷を眺めていた。垣根の様子が都と違うのを珍しく思う、茅葺きの建物、その建物に続いている回廊のような葦で葺いた建物、なんとなく風情の感じる造作であった。須磨の山里にふさわし風変わりな住まいである、「今のように罪を被って流されてきた状態でなく遊山の旅であるならば、興趣深く感じたであろうが」 と、京でかってきままに忍び歩きをして鄙びた夕顔の宿や紫の実家である常陸宮邸の荒廃した邸宅に訪れた頃のことをお思い出していた。
 近い所にある荘園の管理者の帳を呼び寄せて、これからのことを、源氏の腹心の家来良清朝臣が細かいことまで命じて取り仕切るのを、二条院ではそこまでのことはしないのにと下級の職員がしていることまでを細々と動き回って指揮しているの良清に源氏は供の数が少ないことを思い感に耐えない。須磨に来て何日もたたない内に、風情がある屋敷に手入れをさせた。庭の池に注ぐ遣水の水路を深くし、不足している植木類を植えたりして、すっかりと源氏は落ち着いた。須磨の国守も源氏とは親しい家来筋の者なので、彼国守は目立たないようにいろいろと源氏の世話をしてくれた。源氏が罪人である生活にも似ず、人がおおぜい出入りするが、源氏にはまともに話相手となりそうな人もいないので、他国に来た心地がじんと染みてきて、ひどく気が滅入ってしまった。
「さて毎日どう過ごしていこうか」
 と先のことが思いやられる。

 源氏は須磨の生活に慣れてだんだんと気持ちが落ち着いてきたころ、季節は梅雨時期に入って毎日がうっとうしい、気持ちが晴れないままにいると京のことが心配になってきて、なにしろ源氏は恋する女や心配しなければならない事柄が多くあるので、まず紫との別れで彼女が悲しんでいた姿、東宮の身の上、左大臣邸に遺してきた我が子が無邪気に動き回っていたことを始め、あちらこちら女達を気遣った。
 京へ使者を送ることにして文を書き始めた。紫に贈る文と、藤壺に送る書面は、思い入れが深いので涙が溢れてきて筆も思うように進まない。藤壺にはには、

 松島の海人の苫屋もいかならむ
    須磨の浦人しほたるるころ
(出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか、わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです)
「悲しさは常のことですが、過去も未来もまっ暗闇といった感じで、『君惜しむ涙落ちそひこの河の汀まさりて流るべらなり』という古今六帖の歌の気持ちです」

 朧月夜の尚侍の許には彼女の側近の女房中納言の君への私信のようにしてその中に、朧月夜当ての文を入れて、
「都で何となく過ごした日のことが自然と頭の中に浮かび上がって来るに従って、貴女と抱き合ったことが目に浮かんできます、

 こりずまの浦のみるめのゆかしきを
      塩焼く海人やいかが思はむ
(貴女を胸に抱きたくてとても逢いたく思っています、あなたは私のことをどう思っておいででしょうか)

 源氏がいろいろと心を尽くして書いたその他の文の内容は想像してください。
 左大臣にも、また子供の乳母である宰相の女房のもとに、子供の養育のことを書き記していた。