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私の読む「源氏物語」ー18-

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 須磨での生活の道具は、どうしても必要な品物類を選び目立たない簡素な物にした。隠遁所で読む漢籍類は『白氏文集』などの入った箱を選び、その他に琴を一張を持っていくことにした。大げさな調度類や、華やかな着る物などは一切持っていかに事にした。さながら仙人のような振る舞いを考えていた。
 二条院に働く女房たちをはじめ、後のこと万事、すべて西の対にいる紫に頼んだ。紫は源氏の留守をあずかるれっきとした女主人と世間にはっきりと決めたことになる。源氏という名で臣下に下った際に桐壷帝から譲られた所領の荘園、牧場をはじめその他にある領地、証文など、すべて紫に渡した。その他二条院内にある倉の並んだ一画や納殿の管理そ紫の乳母少納言を信用になる者として、源氏腹心の家司たちを付けて、取りしきるように命じて置く。
 源氏に付いている中務、中将などといった源氏の夜を慰めてきた夜伽の女房たちは、源氏が体だけの関係と冷淡に扱われることに恨めしいとは思っているが、源氏と夜を過ごす時の源氏の扱いの巧みなところに幸福感があり満足していた人たちであったが源氏が去った後は、何を楽しみに女房勤めができよう、いっそ、お暇を頂こうかと思ったのであるが、
源氏が女達に、
「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、西の対の紫の所に伺候しなさい」
 と告げたので東の対で働いていた女房たち、皆西へ集まってきた。
 後に残る者が生活に困らないように全てのものを残し、左大臣の屋敷にいる子供の乳母たち、花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品まで心を配って差し上げていた。

 朧月夜の尚侍の君へは大変連絡をするのが難しかったが、その困難をおかして文を送った。
「私の離京にお見舞いくださらないのも、私の立場を考えてもっともな事と思っています。いよいよ京を去る時になってみますと、貴女との逢瀬のことが思い出され、悲しいと思われることも、恨めしさも強く感ぜられます。この気持ちはなんと表現してよいか分かりません

 逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや
     流るる澪の初めなりけむ
(あなたに逢えないことに涙を流したことが、
流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか)
 こんなに貴女への執着が強くてはとても仏様に救われる望みもありません」

 源氏は何処でこの文を見られて彼女の許に届くかどうか不安なので、詳しいことは書くことが出来なかった。
 受け取った朧月夜は恋い慕う源氏のことを大層悲しく、文を読んでぐっと悲しさを堪えていたが、涙が袖に落ちてこぼれるのをどうすることも出来なかった。やがて筆を執りしばらく呆然としていたが、

 涙河浮かぶ水泡も消えぬべし
   流れて後の瀬をも待たずて
(涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう、生きながらえて再びお会いできる日を待たないで)

 朧月夜は涙を流しながら心乱れてやっと書いたのであるがその筆跡はまことに深い味わいがあった。もう一度源氏に逢えないかと思うが、とても無理なことと考え直して、今回の騒動の加害者である一族が多くて、自分は一方ならず人目を忍んでいる、あまり無理をして文を差し上げることは出来ないと、源氏には返書を送らなかった。。

 明日は都を離れるという日源氏は、夕暮から父桐壺院のお墓にお参りしようと北山へ向かった。明け方近くに月の出る日に当たったので途中で藤壺入道の処に挨拶に寄った。。 この日は藤壺は自分の座の前に御簾を隔てて源氏の座をつくって迎えた。最近は王命婦を間にして源氏と応対するのであったが。今日は源氏との別れということか、自身で直接話をする。すぐに藤壺は源氏がこのように都を追われることから、彼が後見人として亡き桐壺院から東宮の助けになってくれと遺言されたことが出来なくなり、これからは都には春宮を援助する者が全く居なくなる、と春宮のこれからのことを大層心配して話した。
 源氏がまだ幼かった頃からの間柄であり、さらにお互いが心憎からず思い、まして他言は出来ないが体の関係もあり、二人の間には春宮という子供まで生まれているので、二人の話は、しみじみと胸に迫るものが多かった。 源氏は藤壺を気品といい隠された彼女の肉体といい慕わしく素晴らしいと日頃の気持ちがむらむらと湧いてきた、今日のように向かいあって直接話が出来る機会がまたとないと、それとなく言いたいのであるが、こんな事を言うとまた藤壺は出家した身に何を言うかと思うだろうし、自分も、言った言葉でかえって心が乱れるであろうと、ただ、
「この度このように思いもかけない罪に問われ都を追われることになりました、思い当たる原因はただ一つのことであります。天罰の恐ろしさは恐ろしゅうございます。惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて東宮の御世だけでも、安泰であればと願っておりますが」
 とだけ藤壺に語るのも、もっともなことである。
 藤壺も、すっかり今回の源氏の事件を知っているので、源氏と会見して胸がどきどきするばかりで、言葉を返すことが出来ない。源氏は無言の藤壺にあれこれと思い続けていたがとうとう涙が流れてきて泣き出す、その源氏を藤壺はとても言いようのないほど優艷であると見ていた。
 「山陵に詣でますが、院へのお言伝は」
 と藤壺に聞くが、藤壺は返事が出来ずにひたすら気持ちを鎮めようとしていた。

 見しはなくあるは悲しき世の果てを
   背きしかひもなくなくぞ経る
(院は亡くなられ生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を、出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています)
 
 二人とも悲しみが激しいので思ったことを充分歌に詠みこむことができなかった、

 別れしに悲しきことは尽きにしを
   またぞこの世の憂さはまされる
(故院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに、またもこの世のさらに辛いことに遭います)
 かろうじて藤壺に返歌を贈った。

 月が明るく輝いて山の端から出てきたのに合わせて藤壺の許を源氏は去った。供する者は僅かに五、六人ほど、雑役の下人も主人と気心の知れた者だけを連れて、源氏は馬である。罪に問われずにあれば、参議兼大将の源氏は六人の公的随身を賜る。それに親しい殿上人や私的随身などが供回りを務め大きな行列になって賑やかに道中をした。それを思うと供の人は勿論源氏までも以前の外出と違って淋しい行列にとても悲しく思うのである。その淋しい行列の中に、去る斎院の御禊の日に源氏の仮の随身を務めた右近尉兼蔵人が、源氏の随身を無事に勤めた功労で、当然得るはずの五位の位も延期になり、さらに殿上人からはずされて、右近将監の官職剥奪され、源氏に申し訳がないと供の一人に混じっていた。
 その彼が下賀茂社が見えるような処で、ふと何かを思い出したように馬から下りて、馬の轡を取り、馬上の源氏を見上げてから社に向かって

 ひき連れて葵かざししそのかみを
      思へばつらし賀茂の瑞垣
(お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと、おかげがなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様」
 と大声で源氏と自分の身の不運を嘆いて詠むのを、源氏は聞いていて