私の読む「源氏物語」ー16-
ながめかる海人のすみかと
見るからに
まづしほたるる松が浦島
(物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと、何より先に涙に暮れてしまいます)
とまず源氏が歌を詠み藤壺に差し上げると、座敷の殆どを仏を祀るために空けてしまい脇の小部屋を住まいとしているので、ちょっと身近な感じで、藤壺は、
ありし世の名残りだになき浦島に
立ちよる波のめづらしきかな
(昔の俤さえないこのような所に、立ち寄ってくださるとは珍しいですね)
と返歌を口ずさんでいるのが、微かに聞こえるので、源氏は堪えていたが、ついに涙がほろほろとこぼれ落ちてきた。世の中を悟り澄まして尼の藤壺たちが見ているだろう、体裁が悪いので、源氏は言葉少なにして帰った。
「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」
「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、いつ人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」
「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、深見味が加わりになった、良いことではありますが、どうにも若い人には気の毒でなりませんね」
などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、源氏を褒めていた。藤壺も源氏とのことを思い出す事が多かった。
正月中旬の地方官の除目である司召のころ、藤壺付の人々は、当然得るはずの官職も得られず、一般の道理から考えても藤壺の推薦で、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、落胆している者がたいそう多かった。藤壺が出家をしたからと言って、直ちに今までの位や、千五百戸ある中宮の御封などが停止されるはずもないのに、今年は出家にかこつけて変わることが多かった。
すべての俗事は捨てて出家したのであるから自分はよいとしても、仕えている人々がこのように不公平な扱いを受けて、頼りにならない人に仕えて悲しいと思っているのを見ては、藤壺は気持ちの納まらない時もあるが、「私の身を犠牲にしてでも、春宮が無事に御即位が出来るならば」とだけ考えて、勤行に励むのであった。
藤壺は何となく身の危険と不吉なことを思うことがあるが、わが子春宮が不義の子であるがゆえに生涯負わねばならない罪障。それを自分に負わせて軽減してもらえるよう仏に祈り、自分の仏に対する信仰の厚さでこの苦しい今を乗り切るのだと覚悟を決め、心を安心させていた。
源氏も、藤壺の境遇を聞いては、ごもっともであると考えていた。源氏に付く人たちも藤壺付の役人と同じような扱いを受けていた。源氏は辛いことばかりあるので、世の中が面白くなくて、屋敷に退き籠もって外出することがなかった。
左大臣も、立場が全く反対に変わってしまい、そんな世の中の情勢が面倒になって、退職したいと願い出たのであるが、朱雀帝は、亡き父桐壺院が大事な後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と告げられた遺言を考えると、左大臣を見捨てることが出来ない方と堅く思っているので、退職することは無意味なことだと、何度も許すことがなかったのであるが、その帝の言葉を無理に断って退き籠もってしまった。
今では、弘徽殿の一族だけが、いやが上にも栄えることこの上ない。政治の重鎮であった左大臣がこのように政界から去って帝も心細く思うし、世の中の良識のある人は皆嘆くのであった。
左大臣の子息たちは、どれも皆人柄が良く朝廷に用いられて、一族は得意になっていたのであるが、立場が変わって右大臣の世となりすっかり沈んでしまい、亡き葵の兄である頭三位中将は特に前途を悲観している様子であった。右大臣の四の君と結婚しているのであるが、二人の中は桐壺の巻でも紹介したように、相変わらずあまりしっくりとしない、時々四の君の所に通っては、誠意のない婿であるということに反感を持たれていて右大臣一家から心外な扱い受けているので、右大臣は気を許した婿の中にはいれていない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまい現職のままで置いておかれた。だが頭中将はたいして気にはしていなかった。
源氏は、目立たないようにひっそりと暮らしていたが、世の中というものはその時々に変わる無常なものだと思え、このようなことが当然のことだ納得していた。そこで暇な物同士左大臣邸を訪問しては、頭中将と学問、管弦とともに一緒にしていた。
昔も、気違いじみてまで、張り合っていたことをお思い出し、お互いに今でもちょっとした事につけても、こんな境遇でも張り合っていた。
大勢の僧侶を招いて『大般若経』を転読する行事である春秋の「季の御読経」はいうまでもなく、臨時にあれこれと理由をつけては立派な法会を催したり、また一方、することもなく暇そうな学者連を呼び集めて、作文会(漢詩)、詩の隠してある韻を当てる遊び韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたり、気が変わって参内するようなことは全くなく、気の向くままに遊び興じているの。
このような源氏の日々をやがては非難する人が現れてくると思う。
夏の雨がしとしとと静かに降って、源氏は退屈している時に亡き正妻葵の上の兄である頭中将が適当な詩集類をたくさん従者に持たせて訪問してきた。源氏も文庫を開けて、まだ開いたことのない厨子の中から珍しい古書籍て由緒あるものを、少し選び出して頭中将の前に並べた。そうして手の空いている学者や殿上人に連絡をして源氏の屋敷に集まるようにした。そうしたら源氏のお呼びと言うことか、大勢が集まった。その全員を左方と右方とに分けて組を作り、すばらしい賞品を用意してお互い韻塞で勝負をすることになった。韻塞は漢詩の隠してある韻を当てる遊びである。
韻塞ぎの遊びが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多なってきて、世間でも有名な学者である人達も返答が出来ずにまごついている言葉を、源氏は回答するのでみんなが彼の学問の深さに驚くのであった。
「どうして、こんなに学問の造詣が深いのであろう」
「やはり前世の因縁で、全てが人に優っているのであるなあ」
と、参会者は褒めちぎる。そうして勝負の最後は頭中将の右方の組が負けた。
源氏の屋敷の韻塞ぎ勝負の二日ほど後で、頭中将が負けた罰の饗応の宴を開催した。大げさではないが、優美な桧破子類をはじめとして賞金の品がいろいろとあって、今日も先日集まったおおぜいを招いて、漢詩文などを作るのであった。
階段のもとの薔薇がわずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、源氏はみんなと管弦をくつろいで合奏をしていた。
頭中将の子供で今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとてもきれいで、笙の笛を吹いたりなどする。源氏は甥に当たるその子供をかわいがり相手をしていた。右大臣の娘四の君腹の二郎君であった。世間の関心が高くて、頭中将の一家は特別大切に扱っていた。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽の演奏が少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、その姿がとてもかわいらしい。源氏は、自分の着ている衣服を脱いで二郎君に与えになった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー16- 作家名:陽高慈雨