私の読む「源氏物語」ー16-
故桐壷院の御子息たちは父の院が在世中のことなどを思い出すと、ますます悲しくなり藤壺に、お見舞いの詞を申し上て帰っていった。源氏は、遺っていて藤壺にどう言葉をかけていいのか、目の前がまっ暗闇になりこのままで藤壺の前に出るものなら、「どうして、そんなにまで悲しむのか」と、人々が見咎めるにちがいないと思い、親王などが帰っていった後から、藤壺の前に参上した。。
参会者が次々と帰ってしまい、だんだんと人の気配がなく静かになって、女房連中、涙で鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっていた。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、眺めている源氏には昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく、じっとお気持ちを鎮めて、
「どう決意されてこのようにご出家なさることを急にお決めになったのですか」
と藤壺に尋ねる。藤壺は
「今初めて、決意致したのではございませんが、何となくみんなが私の気持ちを察して騒々しいようになってしまったので、私の決意も揺らいでしまいそうでしたので思い切って」
などと、いつものように、藤壺は王命婦を通じて源氏に返答をする。
御簾の中の様子は、おおぜいの女房達が伺候しているその衣ずれの音、音を立てないようにわざとひっそりと気をつけて振る舞っているのであるが、みんなの悲しみがの様子が外へ漏れくる、もっともなことで、源氏はその様子を悲しいと、聞いていた。
風、激しく吹き外は吹雪いて、御簾の内の匂いが香ってきてたいそう奥ゆかしい、黒方という薫香が流れてきて、仏前の名香の煙もほのかである。源氏が薫きこんである匂いまで御簾内の薫りと混じり合って素晴らしく、まるで極楽浄土が思いやられる今夜の様子であった。
藤壺の子供の春宮からの御使者も参上した。藤壺は過ぎた日に内裏で我が子に語った出家のことを思い出し、固い決意も堪えきれずになり、返事も最後まで十分に伝えることが出来そうにもないので、源氏は言葉を添えてあげた。
その場のみんなが悲しみに堪えられない時なので、思っていることが口に出ない。
月のすむ雲居をかけて慕ふとも
この世の闇になほや惑はむ
(月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても、なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか)
とご決意なさったことがどうにもならなく思います。出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」
とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、源氏は自分の心が乱れに乱れていることを、藤壺に知らせることが出来ないので、気が晴れない。
おほふかたの憂きにつけては
厭へども
いつかこの世を背き果つべき
(出家をすることで世間一般の嫌なことから逃れることが出来たが、わが子への煩悩はいつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか)
私の心の片方は、煩悩を断ち切れずにいます」
などと藤壺は源氏に歌を返してきたが、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。ここにいても悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで源氏は藤壺のまえから去った。
源氏は藤壺の屋敷から二条院の自分の屋敷に帰り、西の対にいる妻の紫の上を尋ねることもなく東の対の自分の部屋に籠もって、藤壺との愛を確かめ合うことが出来なかった恨み、また藤壺に気持ちのありったけを語ったことなどが今になると腹が立つやら恥ずかしいやら、横になっても眠ることができなかった。
一日中自分の部屋から出ることもなくただ独り考えている。そうしてこの世にあることがつらく自分も出家をしようかと思うのだが、亡き父桐壺院からの遺言で後見人となった春宮のことが気になっていた。
せめて母宮の藤壺が表向きの後見役にと、父院が考えておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このように出家なさり、もとの中宮という地位のままでいることが出来ない。その上自分までが春宮の後見が出来ないとなったらどういう事になるのか」などと、考え続け、夜を明かすことが多々あった。。
源氏は出家されると決まった以上藤壺のために、尼僧用の調度、衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、年内にすべての物を調えたいと急いだ。王命婦もお供をして尼になったのである。この人へも源氏は尼用の品々を贈った。その内容を詳しく語ることは仰々しいことになるので、省略した。考えてみると、このような折にこそ、趣の深い歌など詠うんものであるのに、何もないのは物足りないことである。
源氏が三条の藤壺の邸宅へ訪問しても、藤壺は出家した身であるので源氏とうち解けて王命婦を通さずに自身でお話をするのであった。源氏は藤壺をという男の欲望が全然心からなくなってはいないが、そんな行動は言うまでもなく、あってはならないことである。
年も改まった源氏二十五歳。桐壺院の喪も空けて宮中は正月の恒例の行事が次々と催され賑やかである。文人を宮中に呼び管弦や帝から題が出て詩歌を競う内宴、都に住む男女の仲から歌に巧みな者達を招いて、年始の祝
詞を足を踏みならして歌い舞う踏歌は正月の一四日または一五日が男、女踏歌は一六日に開催されていた。藤壺はそれを聞くと昔を思い出し桐壺帝と並んで見ていた頃をしみじみとした気持ちで記憶を追っていた。そして勤行をひっそりと勤めながら、出家したこの先のことを考えと、末頼もしく、源氏の強引な行動に振り回されたことなどを、遠い昔の事に思われた。いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に西の対の南側少し離れたところに建立された御堂で、特に心をこめて勤行をした。
源氏は藤壺邸に参賀に訪問したが、新年らしく感じられる飾り付けやその他がなく、屋敷の中は閑散とのんびりとして、働く人も少なく、藤壺中宮職の者で親しい者だけ淋しそうにうなだれて、思いなしか思い沈んだふうに見えた。
正月七日宮中で、左右馬寮から白馬を庭に引き出して天覧の後、群臣に宴を賜う儀式である白馬の節会。この日に青馬を見ると年中の邪気を払うという中国の風習によるもので本来は青馬を引いたのを、日本で白馬を神聖視したところから後に白馬に変更した。やはりこれだけは昔に変わらないものとして、女房などが見物した。所狭しと参賀に参集した上達部など、道一杯になって藤壺の屋敷前を通り過ぎて、向かいの右大臣宅に集まっていくのを、時代が変わって右大臣の世の中かと、しみじみと感じているところに、千人の人が集まったのかといってもよい立派な様子で、源氏が義理堅く年賀に訪問してきたので、藤壺はほっとして無性に涙がこぼれた。
訪問してきた源氏も、たいそうひっそりとしみじみとした屋敷の様子に、そこらを見回して、直ぐに言葉も出ない。様変わりした藤壺の暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。
「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」
などと口にしながら、あれこれと感慨を催されて、「音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり」と後撰集の素性法師の歌を、ひっそりと朗唱していた。その姿がまたとなく優美である。
作品名:私の読む「源氏物語」ー16- 作家名:陽高慈雨