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私の読む「源氏物語」ー16-

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 月が明るく照っているので、「昔、このような月の夜は、亡き院が管弦の御遊をされて、華やかにしてくださった」などと、源氏は思い出していると、同じ宮中ながらも、院亡き後は変わってしまったことが多く悲しく感じていた。その気持ちを、
 
 九重に霧や隔つる雲の上の
  月をはるかに思ひやるかな
(宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか、雲の上で見えない月をはるかに思いめぐらしています)

 と、藤壺は王命婦を取り次ぎにして、源氏が帝と会い話をしてきたということを聞いて現在の宮中の雰囲気を歌にして源氏に伝えた。それほど離れた距離に藤壺が座っているのではないので、命婦との話声はかすかに、慕わしく聞こえる。源氏は側に寄りたいという辛い気持ちも自然と忘れ涙がこぼれた。源氏は早速返歌を贈った。

 月影は見し世の秋に変はらぬを
   隔つる霧のつらくもあるかな
(月の光は昔の秋と変わりませんのに、隔てる霧のあるのがつらく思われるのです)
霞も人の心となって人間の仲を裂くのでしょう、このようなこと昔ありましたでしょうか」
 などと、藤壺に告げた。
 藤壺は、我が子の春宮をいつまでも名残惜しく思い、いろいろと大切にしなければならないことを語って聞かせるのであるが、なにぶんまだ年若い幼子のことで深く考えないのを、ほんとうにこの先大丈夫かなと不安に思う。春宮はいつもはとても早く寝るのであるが、「母様がここを立たれるまでは起きていよう」と考えているのであろう。別れるのはとても残念であるが、そうはいうものの、後を慕い追いかけることが出来ないのを知って我慢している所なんか、藤壺はとてもいじらしいと胸が詰まる思いであった。

 源氏は弘徽殿の大后の甥である頭の弁が「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」と宮中で会った時に朗誦したことを考えると、気が咎めて、面倒な世の中よと思い、朧月夜の尚侍の君にも便りをすることもなく、時間がたってしまっていた。
 冬の初時雨が降る頃に、朧月夜はどう思ったのか、源氏に歌が贈られてきた。

 木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
  おぼつかなさのころも経にけり
(木枯が吹くたびごとに貴方のご訪問をお待ちしている間に、長い月日が経ってしまいました)

 と詠ってあった。淋しさを感じる季節である、源氏は心の中が寒くなっていた時であり、朧月夜が無理をして人に見られないようにとこっそり書き記したらしい気持ちを、とてもいじらしく思い、朧月夜の使いを待たせておいて、唐紙を入れている御厨子を開けて、特別上等なのをあれこれ選び、筆先を念入りに整えて認めてた。その姿がとても真剣で優美なので、女房たちは、
「どなたへの文なのかしら」
 と、互いにつっ突き合っている。
「お便り差し上げても、それでどうなるものでもないので、すっかり気落ちしておりました。そんな自分が情けなく思もっていたところに貴女からの歌を戴き、

 あひ見ずてしのぶるころの涙をも
     なべての空の時雨とや見る
(お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを、ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか)
 心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」

 などと、つい恋情のこもった手紙になってしまった。
 こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。 

 藤壺は、故桐壺院の一周忌の御法事に引き続き『法華経』全八巻を朝座・夕座の二度、四日間連続講説する法会、である御八講の準備にいろいろと気を遣っていた。
 十一月一日、故桐壷院の御命日である御国忌の日に、雪がたいそう降った。源氏から藤壺に便りを差し上げた。

 別れにし今日は来れども見し人に
   行き逢ふほどをいつと頼まむ
(故桐壺院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪はふってもその人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか)

 二人とも今日は悲しい日であるので藤壺からも返歌があった。

 ながらふるほどは憂けれど
         行きめぐり
   今日はその世に逢ふ心地して
(生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが、一周忌の今日は、故院の在世中のような思いがいたしまして)

 特に念を入れた筆跡でもないのに、唐紙に書かれていたのは上品で気高い気持ちが籠められていた。書風が独特で当世風というのではないが、他の人よりは優れていた。源氏は今日という日は、藤壺への想いを抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をした。

 十二月の十日過ぎころ、桐壺院の中宮であった藤壺が主催する御八講が執り行われた。たいそう荘厳な儀式であった。毎日供養の御経は宝玉の軸に羅の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであり、この世にまたとない物に準備させていた。普段のちょっとした法事にも、藤壺はこの世のものとは思えない立派な物を飾り付けているので、まして故院の事であるのでその見事さは言うまでもない。仏像の飾り、花机の覆いなど全ての調度品を見ていると、本当の極楽浄土に居るような気がしてくるほどであった。
 第一日は、自分の父でもあり先の帝でもあった故院のため。第二日は、母の亡き后のため。次の日は、故桐壺院のため、その朝座は『法華経』第五巻を講じる日なので、上達部他大勢参加する、右大臣の世となった世間の思惑に遠慮することもなく、おおぜい参加してくれた。今日の講師は、特に厳選された法師で、「薪こり」という、薪や水桶を持ち、捧物を持って、堂や池の回りを廻り歩きながら、次の和歌を唱える。
「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」
 そのほか讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。親王たちも、さまざまな供物を捧げて歩かれるが、源氏の心づかいはやはり他に比べようがなく立派な物であった。
 最終の日に藤壺は自分はこの日を終わると出家をする、ということを僧都から仏に報告させた。
 聞いた参会者はみんな大変な驚きで、兄の兵部卿、恋いこがれている源氏は何という大胆なことをと驚愕する。
 兄の兵部卿の親王は、儀式の最中に座を立って、几帳の中に入って妹の意志を確かめた。藤壺は決心の固いことを兄の親王におっしゃって、法事の終わりに、比叡山の天台座主を召して、受戒を受けて出家することを告げた。母方の伯父の横川の僧都が藤壺の近くに参上して藤壺の髪を切り下ろした時、宮邸中がどよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。普通の老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして、藤壺は前々から顔色にも出さなかったことなので、兄の親王も悲しくてひどくお泣きになった。
 法事に参加した大勢の方々も、藤壺の行動がしみじみ尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。