私の読む「源氏物語」ー15-
亡き桐壺院の四十九日が過ぎるとそれまで院に留まって生活していた女御や女房達がそれぞれの里に帰っていった。年の暮れの二十日になると空も世の中も曇りがちになり藤壺中宮は淋しくなった院でひっそりと暮らしていた。藤壺は弘徽殿の大后の性格は良く承知しているので、これからは彼女は自分の思い通りのことをするであろう、この院は住みにくい場所となるからここにいるのもどうか、と桐壺院との思い出を抱いて住みにくくなり淋しくなった院を去って三条の里の屋敷に帰ることにした。迎えには源氏の妻である紫の上の父であり藤壺の兄でもある兵部卿宮が車を持ってきてくれた。この日は風と雪が強く藤壺が去ろうとしている桐壺院は人も少なくなり淋しいものであった。
そのような時に源氏が院を訪れてきた。源氏と藤壺は庭に降る雨を眺めながら昔話をしていた。兵部卿宮が庭にある五葉松が雪の重みにたゆんで下葉が枯れているのを見て、
蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ
下葉散りゆく年の暮かな
(木陰が広くその下で過ごしていたのであるが、この大きな松であった桐壺院が失せられて、その暖かい庇護にあった女達は散ってしまった年の暮れであるよ)
歌はさほどのものではないがそれでも聞いていた源氏は袖で目頭をそっと拭いていた。池の水が凍っているのを見て源氏は、
さえわたる池の鏡のさやけきに
見なれし影を見ぬぞ悲しき
(池が鏡のように氷が張り付いている、この鏡に見慣れた父の院の影がないのが淋しい)
と思うがままに詠ったのであるが出来は良くなかった。そばに仕えていた藤壺の女房である王命婦は、
年暮れて岩井の水もこほりとぢ
見し人影のあせもゆくかな
(今年も暮れになって岩井の水も凍ってしまいました。見慣れた人も見ることが出来なくなりました)
三人はさらにこもごも歌を詠ったのであった。
藤壺が里に帰って出迎えてくれた人々の挨拶は普通であったが、なんとなく現役でなくなった中宮として哀れに見え、藤壺も自分の里の屋敷に帰ったのであるが、なんとなく旅の仮寝の宿の感じがして、里を離れて内裏に参上した年数を考えていた。
桐壺院が薨去されたので世の人々が喪に服する諒闇の新年となった。世間は新しいことも出来ないので静かな年明けであった。まして源氏は昨年一昨年と不幸続きで気が晴れないままで屋敷に閉じこもっていた。源氏は二十四歳になった。官吏任免の除目の時などは桐壺院が存命中は言うに及ばずここ何年かは二条院の源氏の邸宅前に任官や昇進を願って源氏に挨拶に訪れる者達の車や馬が犇めいていたが、今年はその者達がめっきりと少なくなり、夜通し門前にたむろするので寝袋を沢山用意していたのであるが、それも全くなし、家人がゆっくりと働いているのを見て「これからはこのように淋しくなるのか」源氏はこの世がつまらないものになってきた。
御匣殿となって宮中に入った朧月夜は二月に尚侍と昇進して帝の側近くに仕えるようになった。それまでの尚侍は桐壺院の喪が明けると出家をしたので彼女はその後任として帝の側に仕えることになったのである。
彼女は弘徽殿大后の妹であるので朱雀帝の叔母に当たるという高い家柄の出身である、と共に優れた美貌の女性であった。その上人柄も穏和で在るので多くの宮仕えの中にあって飛び抜けて目立つ存在であった。
朱雀帝の母である弘徽殿大后は最近は実家に滞在することが多く、たまに参内する時は梅壺の部屋を利用するので、新しく尚侍となった朧月夜はかって姉の大后が使用していた弘徽殿を局として使用することとした。若くて美しい彼女が弘徽殿を住まいとすることで、弘徽殿の局は一気に生き返ったように若々しくなり、そこらの女房達も集まってきて賑やかな場所となった。そんな中で朧月夜も共に賑やかにはしゃいでいるが、心の中では一度だけ体を許しあった源氏のことを思い浮かべて忘れられなかった。源氏からはあの後こっそりと文が再三届くのであるが、彼女は、「こんな関係が世間にしれたらどうなることか」と危惧していたが、源氏は彼女が尚侍と昇進するやますます頻繁に文を送るようになった。
桐壺院が世にある時は、遠慮してあまり表向きに言葉を出すことがなかった弘徽殿大后は、院が亡くなられるや、すぐさまに心に思い詰めていた悔しいことの仕返しを考えていた。
源氏は最近、なにかと体面を傷つけられるようなことが起こるので、父君の桐壺院が亡くなられたら大后の仕返しがあるぞと思ってはいたのだが、このような女達の怨念のことを知らない源氏には、この空気の中に入っていく方法が考えられなかった。
源氏の義父である左大臣も右大臣の台頭を嫌って内裏に参上することを控えていた。亡くなった娘葵の婿にと源氏を当時の帝桐壺に願って今の帝朱雀の夫人にと考えていた弘徽殿や右大臣の希望をうち砕いたことで、大后は左大臣を恨んでいたし、左大臣右大臣の中もよそよそしかった。桐壺院の時代は左大臣は思うままに振る舞っていたのであるが、時代が変わって右大臣が政治を取り仕切るのを左大臣は苦々しく見ていた。
源氏は葵が生存していた時と同じように左大臣邸を訪れて、その当時にいろいろと身の回りを世話してくれた人達に細やかに気を遣い、葵との間に出来た二歳になる子供の夕霧と遊び回って以前とは変わらない態度であった。あまりにもうるさいまでにこのように子供と戯れているので、源氏は体をもてあます暇もなさそうで、通っていた女の所へもいく様子なく、あちこちと関係が途絶え、忍び歩きもつまらないようになって、とてものんびりと、今の方がかえって理想的な暮らしぶりである。
西の対にいる今や源氏の正妻となった紫の上が幸福なこととみんなが思っていた。紫の上の乳母である少納言は、「亡くなられた紫の祖母の尼君の祈りが通じたのであろう」と思っていた。紫の父親の兵部卿宮とも源氏は親しく文を交わしていた。紫とは異母妹弟達はあまり幸福な生活をしていないので、紫をねたむ心が多く、とりわけ紫の継母に当たる兵部卿の北の方は、昔の物語ではなく実際に紫をおもしろくなく思っていた。
賀茂社の斎宮には桐壺院と弘徽殿大后の間に出来た女三宮が朱雀院が帝の位についた時にその勤めに入ったのであるが、父桐壺院が亡くなったので喪にはいるために交代しなければならず、内親王に当たる者がいないために、桐壺院の弟である桃園式部卿宮の娘である朝顔姫が選ばれた。斎宮には内親王が選ばれるのであるが、内親王がいないので孫王に当たる朝顔姫が選ばれたのであった。源氏は朝顔を知ってからだいぶん月日がたつのであるが、それでも何とかして朝顔を自分の囲い者にしたいと考えていたが、このように斎宮となって手の届かないところに行ってしまう彼女に悔しい想いをしていた。朝顔姫の女房である中将に前からとおなじに文を送り続け、絶えることはなかった。情勢が昔と変わったことなどを、源氏は一向に構うことなくこのようにはかないことをいろいろと考えめぐらしていたのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー15- 作家名:陽高慈雨