私の読む「源氏物語」--14-
「葵を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、夕霧を見捨てないで、仕えて下さい。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは。」
と、皆に気長く留まることを源氏は女房たちに言うが、
「それでは、ますますお越しになることが間遠になられることだろう」
と一同は思うと、ますます心細く寂しくなってきた。
葵の父の大臣は葵に使えていた女房たちに、身分や年功でに従って、葵の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないでそっと形見分けをした。
源氏は、こんなことをしてぼんやりと日を送っていてもしょうがないと、桐壺院へ参内し、左大臣邸を去ることにした。車を引き出して、前駆の者などが参上する出発の準備の間に、源氏の悲しみを知っているかのように時雨がはらはらと降ってきた。木の葉を散らす風、急に吹きつけてそこらを吹き上げてしまう。源氏と別れを見送るために伺候している女房たちは吹く風に、何となくとても心細くて、少し乾いていた涙がまた湧き出してきて女房たちの袖が再び湿っぽくなってしまった。
夜は、二条の院に帰る予定とあって、源氏の侍所の人々も、左大臣邸を去って二条院で待つのであろう、それぞれが左大臣邸を離れたので、今日が最後というのではないが、左大臣邸の人たちは悲しく思っていた。
左大臣も奥方の宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。源氏は大宮の許へ手紙を差し上げた。
「桐壺院におかれても私を御心配されていますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、心が悲しみに掻き乱されるばかりで、ご挨拶申し上げるのも、皆様がかえって悲しさを増すに違いないので、そちらにはお伺い致しませずに出立いたしました」
と書き送った。読まれた大宮は、悲しみの涙で目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。葵の上との死別や、残された若君、左大臣夫妻とのこと非常に悲しんで、袖を涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。人生の悲哀の中に包まれて源氏もともに泣きくれていた、その姿は、こんな悲しみの時でも目立って艶やかに女房たちの目に映るのであった。
源氏は、葵のこと、夕霧のことをはじめとして思い続けることがとても多く、涙を流す様子はしみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美であった。大臣は、長い間かかって涙を抑えになって、
「歳をとると、些細なことにでも涙がこぼれるものですが、今回のような娘との死に別れという大きな悲しみに合いますと、涙の乾く間もなく。乱れた心を、とても鎮めることができません。人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好に私が見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。あなたからお話のついでに桐壺院に、そのように取りなして奏上なさって下さい。余命がいくらもない年寄の身で、娘に先立たれたのが辛いのでございますよ」
と乱れる心を無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。源氏も何度も鼻をかんで、
「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりましたが、それが直接我が身に降りかかるとは予想もしなかったことで、悲しみは、譬えようもないものだと。大臣の様子を院に奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」
と源氏は大臣に答えた。大臣は、
「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、出発を急がせになった。
源氏が周囲を見回すと、几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同ひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、源氏は気の毒なことを、と見て、大臣は
「かわいらしい夕霧が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りになると、自ら慰めておりますが、思い詰めてあとさきの考えられない女房などは、今日を最後の日と、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月が跡形もなくなってしまうのを、嘆いているように思われます。この屋敷でゆっくりとくつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはこの屋敷に落ち着かれるものと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
と言いながら、涙を流した。源氏は、
「とても考えの浅い女房たちの嘆きでございますな。仰いますように、いずれはここでながらく住まうことになるだろうと、それまでは気楽にと思っていまして、自然とこちらで日を過ごすことが僅かでありましたが、かえって今では、ご無沙汰ができにくくなりました。いずれお分りになるでしょう」
と言って源氏は車に乗り込む、それを大臣は見送りなさって、屋敷に入りになると大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き場も、室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われ、蝉の脱殻のような心地であった。
帳台の前に、硯などが散らかしてあって、手習いの書きくずしを拾って、目を絞めて涙を堪えながらみているのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいる。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜてあった。
「みごとなご筆跡だ」
と、書きくずしを手にしたまま空を仰いでぼんやりとしている。これからは源氏を他人として接することになるのが、残念に思われるのだろう。『長恨歌』の一句「鴛鴦瓦冷霜花重、旧枕故衾誰与共」とあるところに、源氏の歌が
なき魂ぞいとど悲しき寝し床の
あくがれがたき心ならひに
(亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう、共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから)
また、おなじ『長恨歌』「霜花重」を「霜の華白し」と替えて、
君なくて塵つもりぬる常夏の
露うち払ひいく夜寝ぬらむ
(あなたが亡くなってから塵の積もった床に、
涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか)
先日、歌につけて大宮に源氏がさし上げられた時、手折られた花なのであろう、枯れて混じっていた。
妻の宮に見せなさって、
「今さら言ってもしかたがないが、葵が先立つという悲しい逆縁の例は、世間に結構あるのだがと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように悲しむために生まれて来たのであろうかと、前世の因縁に思いを馳せながら、悲しみを覚まそうとしているが、やはり、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれない、そのうえに源氏の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
作品名:私の読む「源氏物語」--14- 作家名:陽高慈雨