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私の読む「源氏物語」--14-

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 心外な事ばかりで、疲れ、心が閉ざされるように感じられる世の中も、さらに一切厭わしくなって、「このような幼い我が子さえいなかったなら、念願どおり仏門に入れるのだが」と、思うにつけては、真っ先に二条院西対の紫姫が寂しくしているだろうと、ふと思うのであった。
 夜は、御帳台の中に独りで寝ると、宿直の女房たちは近くを囲んで座っているのであるが、妻の葵が横にいないのは寂しくて、「時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを(時もあろうに、秋に人が死に別れてよいものだろうか。生きている人を見ても恋しく思われるような、心細くて悲しい季節なのに)」という壬生忠岑の歌が頭に浮かんできて少し寝ては目を覚ますので、声のよい僧ばかりを選んでそばに置き念仏を唱えさせる、その称名が暁方など、堪えられないように響いてくる。

 「晩秋のしみじみとした味わいが増して聞こえる風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れない独り寝に、夜眠れず目覚めにくい朝に霧が立ちこめていた。そのような朝、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、誰かがちょっと置いて去っていった。「新鮮で、気のきいた感じ」なことをすると思ってよく見ると、御息所の筆跡である。
「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。

 人の世をあはれと聞くも露けきに
  後るる袖を思ひこそやれ
(人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが、
先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします)

 ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、あなたの悲しみを偲びかねまして」
 とある。「いつもよりも優美な筆跡だなあ」と、すぐに手放すのが惜しくてしみじみと見ていた。物の怪として葵にとりついた彼女と源氏は「知らぬ顔して弔問なさることだ」と嫌な気がした。
 そうかといって、返事を差し上げないのも気の毒で、御息所の名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろと考える。源氏は、
 「死んだ葵は、いずれにせよ、早死にする運命であったのだろうが、どうして御息所の魂が葵に取り憑くあのようなことを、まざまざとはっきりと見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、自分の気持ちながらも、やはり御息所が嫌になったあのときの気持ちを捨てることができなかった。さらに源氏は、
「このままでは斎宮のご潔斎にも差し障りが多いことだろう」などと、長い間考えがまとまらなかったが、「わざわざ下さった手紙の返事しないのは、おもいやりがないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
 「すっかりご無沙汰いたしました。常に気には掛けていましたのですが、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。

 とまる身も消えしもおなじ露の世に
    心置くらむほどぞはかなき
(生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に、貴女の心にわだかまりを残して置くことは、今となってはつまらないことです)
 お互いにわだかまりを捨てましょう。喪中の身からの手紙は御覧にならぬかもしれないと思って、私の方もこれ以上多くは申し上げません」
 と源氏は返事を御息所に贈った。
 六条の御息所は自分の家にいた時だったので、文をこっそりと読んで、源氏が表面自分の気持を述べながら「わだかまりが残っている」「貴女も私に対する思いやりを消してください」など、御息所が怨霊になったことを暗に批判している様子を、彼女も内心気にとがめていることがあったので、はっきりと源氏の気持ちを理解して、「やはりそうであったのか」と思うにつけ、とても堪らない気持ちである。御息所は、
 「やはり、私にとってとても辛いことである。私の怨霊のことが噂になって、桐壺院の耳に入り院はどのようにお考えになるだろう。院の皇太弟であった亡き夫、故前坊は同腹のご兄弟という中で、たいそうお互い仲好かった、自分は娘の斎宮の将来のことを、こまごまと頼まれて亡くなったので、桐壺院は『父宮の代わりに、そのままお世話しましょう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、暗に女御とならないかという、度々の勧めのあったことも、まことに恐れ多いこととご辞退したのである、ところが考えてもみなかったのに、源氏と恋仲になり、このように年がいもなく若い男とむつび合いをして、そのあげく、今度のような面目ない評判まで流してしまう」
 と、悩みに日を送っていると、いつものような落ち着いた状態ではない。
 御息所は自分では悩み苦しんでいるのだが、世間一般には、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名で、今回娘の斎宮が一年間の潔斎のために野の宮へ移ると、いろいろと近頃はやりのことを考え出しては、「殿上人どもで文学好きな若者など、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、仕事としている」などという噂が立った。このことを聞いた源氏は、
 「もっともなことだ。御息所は風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、私に愛想をつかされて伊勢にお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいことだろう」と、御息所は源氏にとっては忘れられない存在であった。

 源氏は葵の四十九日までは左大臣邸にこもっていた。この間は経験したことのない所在なさの毎日を送って気持ちが落ち着かなかった。葵の兄である頭の中将は三位の中将と昇進しており、源氏が気の毒に思われて、毎日源氏の部屋に参上しては、世間話など、真面目な話や、またお互いが好きな女との遊びやらの話などをして、源氏の気持ちを慰める。その女の話の中で、あの中年すぎた源典侍の話は、笑いの種によく登場した。源氏は、
 「ああ、もう言わないで、気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑しなさるな」
 と諌めになる一方で、いつも面白いと思っていた。
 あの十六夜の月に、暗くてはっきりとは見えなかった夜のこと。末摘花の巻で紹介したとおり、源氏が初めて末摘花を訪れ、暗い中で頭の中将に見つけられた時のことなど、その他の、いろいろな浮気話を互いに暴露し合う、そうして最後には必ず、世の無常を互いに嘆いては涙ぐんでしまうのであった。
 時雨が降って、何となくしみじみといろんなことが頭に浮かんでくる夕方、頭の中将が、十月一日の冬の衣裳への衣更。
十月一日の冬の衣裳への衣更で鈍色の喪服の直衣指貫を今までのよりは淡い色のに着かえて、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じで源氏の所にやってきた。
 そのとき源氏は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を何となく眺めていた。風が吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、劉 禹錫という唐の詩人の書いた『劉夢得外集』第一「有所嗟」の詩句「相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知」を口ずさむ。