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私の読む「源氏物語」--14-

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八月に行われる中央官の人事である秋の司召が行われる予定なので、源氏も参内をすると、葵の兄弟達も昇進を望みたいのがやまやまなので、源氏の周りから離れようとはしないので、源氏の皆後に続いて宮中に参内した。
 左大臣邸は男たちが宮中に出掛けていて人が少なくひっそりとしていた。そんな中で葵が急にいつものように胸をつまらせて、酷く苦しみだした。家人が宮中に知らせたのであるが兄弟達が帰るのを待たずに葵は亡くなってしまった。宮中では知らせを受けた源氏はじめ左大臣家の者が足も地に着かない感じで、皆が皆、退出したので、除目の夜であったが、このような大きな支障で、万事ご破算になってしまった。
 葵死すという騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の天台座主、何某と言う大僧都たちも、迎えることができない。それまで、葵の病状はここまで回復すればもう大丈夫と、一家の者が気を緩めていたところに、葵の急死という大変なことになったので、邸の内の人々、混乱している。このことを聞いて方々からのご弔問の使者など、次第に立て込んできたが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになってしまった。源氏はじめみんなの悲嘆は大変なもので、源氏のなげきは極度に達していたように見えた。
 葵の身体に物の怪が度々取り憑き、物怪のために葵が一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思い再び息を返すかと考えて、枕などもそのままにして、二、三日物の怪が抜けて葵が目を覚ますかと葵の屍を一同でみつめていたが、だんだんと死体が変わりはじめてきたので、もうこれまで、と源氏達は諦めた。その決定をした時に誰も彼も、本当に悲しい思いをしたのである。
 源氏は、悲しい事に加えて御息所の物の怪という厭わしいことが加わって、これまでも物の怪を、「嫌なことだ」と思っていたが、源氏はあらためて、魂が身体から抜けだして物の怪となりかねない男女の絡みを害ありて避けるものと考え直した。男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、どれもうれしく思われなかった。桐壺院におかれても、お悲しみになられ、左大臣邸に御弔問申し上げあそばされる様子、このことはかえって面目を施すことなので、葵の父左大臣は嬉しい気も混じって、大臣は涙の乾く間もない。
 大がかりなご祈祷によって、葵が生き返りなさる、と人の申すことに従ってさまざまにあらゆる方法の祈祷を試み、また一方では葵の屍が傷んで行く様子を見ながらも、源氏はなおも諦め切れずにいたが、その効もなく日にちばかりが過ぎていくので、もはや仕方がないと諦めて、鳥辺野に葵を送らせになった。源氏をはじめ一家の悲しみは悲嘆の極みあった。

 都のあちらこちらからまた都の外から葵の葬儀に集まった人々、都中の寺から参集した念仏僧などが、葬儀場である大変広い野辺に隙間もないほど犇めいていた。桐壺院からは申すまでもなく、藤壺后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他いろいろな家からの使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上る。左大臣は愛娘を失った悲しみに立ち上がることもできず、
 「このような晩年になって、若くてこれからという盛りの娘に先立たれ、悲しみによろよろと這いずり回るとは」
 と恥じ入って泣くのを、大勢の参会の人々がお気の毒と悲しく見守っていた。
 葬儀は夕方から葬儀の野辺送りが始まり、火葬場に以外を送り一晩中かけて荼毘にふし、明け方に遺骨を拾って帰る。肉親の者は漆黒の闇夜を焦がす火葬の炎と煙、そして遺骨を拾って帰るときの朝露が心に深く残る。
死は世の常のことだが、人の死に目に遭うのは一人ぐらいか、その程度で、多くは経験しないことだからであろうか。源氏は今まで、三歳の時に母、六歳の時に祖母に死別しているが、直接死に目に遭ったのは夕顔だけである、だから多くの死に目に遭遇していないから、心に受けた痛手は大きい、たいそう悲しんだ。葵の上の葬送は八月二十余日。二十三夜月に近い月が空にかかり、有明の月となって西の空に残るころ、空も風情も情趣深く感じられるころに、葵の父左大臣が闇に悲しみに沈んで取り乱している様子を源氏は見て、親心の悲しみはもっともなことと、見るのも痛ましいので、彼は空ばかり自然と眺めていて、

 のぼりぬる煙はそれとわかねども
    なべて雲居のあはれなるかな
(空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが、おしなべてどの雲も葵の煙と混じり合っているようで、しみじみと眺められることよ)

 葬儀も終わって源氏は葵のいた左大臣邸に帰っても、少しも眠れない。過ぎ去った二人の過ごした年来の様子を思い出し、
 「どうして、葵は最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気に走ってしまった。それにつけても、どうしてひどい仕打ちと思ってしまったのだろう。葵は結婚生活中、私とは親しめない心から打ち解けてくれなかったと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。」
 などと、源氏は悔やむことが多く、次々と思い出している。それも今となってはどうしようもないことである。鈍色の喪服を着るのも、夢のような気持ちである、「自分が先立ったのならば、葵はこれよりも色濃く染めた衣を纏っていただろう」と、思う気持ちから、

 限りあれば薄墨衣浅けれど
    涙ぞ袖を淵となしける
(きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが、
涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている)

 と詠んで、念仏読経をしている。源氏の姿はますます優美な感じがして、経を声をひそめて読みながら、「法界三昧普賢大士」と唱えているが、勤行慣れした法師よりも殊勝であると人は見た。生まれたばかりの若君を見ては、「結び置きし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし」という後撰集の歌を思い出し、ますます涙がこぼれ出て来た、「このような子を遺してくれなかったら」と、赤子に気を紛らしていた。
 葵の母の宮は沈み込んで、そのまま起き上がれず、命も危なそうに見えるので、家人はまた慌てて、ご祈祷などを始めさせる。

 悲しい日がとりとめもなく過ぎて行く、四十九日の法事の準備などをしなければならない日が近づいてきている、思いもかけない葵の死で、悲しみは尽きず大変である。できの悪い子供であっても、親というものはかわいいのが当たり前のことで、若くして親をおいて亡くなるとはどんなに辛い思いであろう。まして大宮は、葵の他に姫君がいらっしゃらないのを、常々物足りなく思っていたのに、その一人娘を失ったということは袖につけた宝玉が砕けたという事よりも残念であった。
 源氏は、二条院にさえ、立ち寄ることもせず、しみじみと心深く嘆いて、勤行を几帳面にして、日夜を過ごしていた。関係の方々には、お手紙だけを差し上げていた。
 物の怪で葵を死に至らしめた六条の御息所には、娘の斎宮は、宮中の初齋院が左衛門府に設けられたで、その司に入たので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、源氏は訪問したり、手紙までも送ったり貰ったりはしない。