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私の読む「源氏物語」- 13-

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 だからといって、このまま娘と別れて京に留まる気持ちになるためには、「あの車争いの時のように、これ以上の恥はないほど、下々の者までが自分を源氏から見捨てられた女と見下げているらしいことも、そんな世間体にさらされている自分が堪えがたい『伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる海人の浮きか』(私は伊勢の海で釣をしている漁師の浮子なのだろうか。心一つを定めることがてきずに、ふらふらさせている)と古今集の歌を思い浮かべながら御息所は、寝ても起きても悩んでいる。そのせいか魂が浮いてふらふらしているように感じて体調も思わしくなかった。
 源氏は初めから御息所が伊勢へ行くことにきっぱりと不賛成であると、言い切ることが出来ず、自身も余りこのことに関わりたくなかった、御息所には
「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、私をいやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、最後まで私をお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
 源氏はこんなふうにだけ言って京に残られるように留めているのであったから、御息所はそうした心の悩みを忘れようと思って娘の御禊に出ていったのであるが、かえってあの葵との車争いに巻き込まれて却って心が深く傷ついたのであった。
 左大臣邸の葵夫人は物怪がついたような容体で非常に苦しんでいた。父の左大臣や母たちが心配するので、源氏は他の女の所へ行くことが出来ない状態なのである。自邸の二条院の紫の許へなどへもほんの時々帰るだけであった。葵との夫婦の中は決して睦まじいものではなかったが、正妻として関係のあるどの女性よりも尊重する気持ちは十分源氏にあって、しかも今は自分の子を妊娠しての煩いであったから憐みの情も多く加わって、物の怪を排除する修法や祈祷も大臣家でする以外にあちらこちらの名のある修験者にいろいろと源氏は悪霊退散の祈祷をさせていた。口寄せの女を通じて物怪、生霊がたくさん出て来て、いろいろと名乗りをする、大方は退散させたが、物の怪達を乗り移らせるための童子である憑坐に移そうとしても、頑として移らずにただじっと病む夫人に取り付いて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、それでいて片時も離れようとしない物怪が一つだけあった。
 左大殿邸では、源氏の正妻葵が物の怪に憑かれたようで、ひどく病が重く、誰もが嘆き悲しんでいる時で、源氏が外にある女の所へ忍び行くのも不都合な時なので、自邸の二条院に遠慮がちに時々は帰る。何と言っても、葵を正妻として重んじて特別に大事な人としているのであるが、その葵が妊娠という目出度いことも加わって苦しんでいるので、可哀想なことと心配の余り、御修法やこれはいいと言うことを、二条院の自分の部屋で、多くの修験者を呼び寄せて修法を行わせていた。 なかなか退散しない物の怪が一つあるのを、左大臣家の左大臣や葵の母の大宮が源氏の通い所の女の一人が嫉妬してであろうと、思い当たるところを言い出してみる、
「あの六条の御息所、二条院に囲われている君など、源氏がそう深く寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」 ということになり、占いを良くするという陰陽師などを呼び寄せて占わせる。しかしこれといった人物を当てる者がなかった。
 物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母というような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。葵夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。
 先の帝の桐壺院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
 世間の人々がみな葵の病を心配しているという噂話を御息所は聞くたびに、腹が煮えかえってくる。ここ数年来張り合うと言う気持ちは全くなかったのであるが、、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所の気持ちの中に怨念が生じてしまったのを、葵一家の者は、そこまで御息所が恨みに思っているとは気づかなかったのであった。こんな源氏に愛されて身ごもった葵に万一のことがなければよいとだれも思った。 

 源氏が余り寄りつかなくなったこと、斎宮の禊ぎの日葵の供たちに受けた乱暴、このような悩みのせいで、御息所は身体の加減が、普段のようではなく感じるので、斎宮と別れて別の御殿に移って、修検者を呼んで祈祷などをさせて心の悩みを消そうとする。そのことを源氏は聞きつけて、久しく逢うことがなかった御息所が、どのようなお加減でいられるのかと、可哀想に感じ、葵のこともあるが無理をして御息所を見舞いに六条の屋敷まで参上した。斎宮の娘が住まいするところで、祈祷は妨げられるので御息所は別の所に住まいしていた。
 いつも二人が逢う棟とは別の所の仮のご宿所なので、源氏は人に知れないように本当にこっそりと訪れた。
 先ず源氏は御息所の心を静めようと、心ならずもご無沙汰していることなど、詫び言を縷々と申し上げて、葵の上の病状を説明し、御息所にそれゆえの無沙汰と了解を求めた。
「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変心配していますので、こういう折は他出を控えようと思い、少し落ち着きましたらと考えておりました。貴女が万事おおらかにお許しいただけるならば、まことに嬉しいのですが」
 などと、源氏は御息所にこまごまと話す。彼女がいつもよりも弱々しく見えるのを、源氏は娘との別れを間近に控えて無理もないことと、しみじみと可哀想に哀れに見ていた。 一夜共に語り合い久しぶりに肌を合わせてお互いを確かめ合ったのであるが、それでも、心から打ち解けぬまま明け方に、源氏は帰っていった。その後ろ姿を御息所は美しいと思い昨夜の身体の余韻もあって、やはり源氏を振り切って伊勢へ別れて行くことは、考え直さずにはいられなかった。
「正妻の葵の方に、ますます愛情が深くなっていくのも、妊娠というおめでたが生じたので、気持ちが葵の所に納まってしまうのに違いない。それなのに源氏の君をこのように待って待って待ち尽くすのは、私の心は燃えつくしてしまうかも知れない」
 と、御息所は源氏に逢った嬉しさよりも、かえって物思いを新たにしていた。そんな気持ちの所に源氏から後朝の文だけが、夕方に届けられた。後朝の文は別れてすぐ朝の内にあるものなのにと軽い不満があった。
「ここ数日来、葵は少し回復したようだったが、また急にとてもひどく苦しそうな様子になりましたので、どうしても目を放すことができませんで」
 と源氏が文の遅れの言葉を、「例によって言い訳を」と、御息所は見るが、

 袖濡るる恋路とかつは知りながら
   おりたつ田子のみづからぞ憂き
(袖を濡らす恋とは分かっていながら、そうなってしまうわが身の疎ましいことよ)
 悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水、とはよく言ったもので本当ですね」

 と御息所は源氏に送った。