私の読む「源氏物語」- 13-
「どうしてお出かけにならないのですか、わたくしどもだけでこっそり見物するのでは、私たちの気持ちが収まりませんし嬉しくもありません。関係のない人でさえ、今日の見物には、まずご主人の源氏大将殿をと、賎しい田舎者までが拝見しようと言うことですよ。遠い国々からも、妻子を引き連れて上京して来ると言いますのに。御覧にならないのは、あまりなことでございますわ」
と女房たちが喧しく言うのを葵の母大宮が聞いていて、葵に、
「今日はちょうどあなたの気分もよくなっていることだから。見に行かないのは女房たちが可哀想ですよ、しかも源氏様が総大将ですというのに、行っていらっしゃい」
それで葵も俄に行く決心をして、出発の用意を言いつけた。
日が大分昇ってから支度も源氏大将の妻としての正式ではなく簡素にして屋敷を出発した。
車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。貴族の女の乗用らしい車が多くとまっていて、町の一般人が少ない所を選んで、じゃまになる車は左大臣の威光をぶっつけて皆除けさせた。その中に外見は網代車の少し古くなった物にすぎぬが、御簾の下のとばりの好みもきわめて上品で、ずっと奥のほうへ寄って乗った人々の服装の優美な色も、車の入り口に座っている童女の上着の汗袗の端の少しずつ洩れて見える様子にも、わざわざ目立たぬふうにして、高貴な女が来ていることが分かるようにした車が二台あった。その車に従ってきている供人達は口々に
「この車にお乗りの方は、あなた方が追い払えるような軽い身分の方ではありませんぞ」 と喧しく言って車に手を触れさせない。
双方ともに若い従者がいる、すでに祭りの酒に酔って、気が荒くなっているのである。手荒いやりかたで車を除けようとするのである。馬に乗った左大臣家の老家従などが、
「そんなにするものじゃない」
と止めているが、酒が入って勢い立った暴力を止めることは不可能である。
車の中は今日の主人公の斎宮の母親の六条御息所である。彼女はこっそりと最近訪れのない源氏の姿を見ようと忍び姿で見物に出かけたのである。素知らぬ顔をしていても左大臣家の者はうすうす皆それを知ってはいた。それで、
「それくらいのことでいばらせないぞ、大将さんの引きがあると思うのかい」
源氏の愛人である御息所に対する当てこすりの言葉を葵の上の供の者が口々に言う。その中には源氏の供の者もいるので、その人達は御息所をおかわいそうに、と思うのであるが、止めにはいるのも煩わしいことになるかと知らぬ顔をしていた。
とうとう、葵の一行は車を前の方に立ち並べてしまったので、御息所の一行は奥の方に押しやられて、何も見えない。御息所は悔しい気持ちはもとより、このような忍び姿を見破られたのが、ひどく悔しいかった。車の轅を据える台なども脚は皆折られてしまって、ほかの車の胴へ先を引き掛けてようやく中心を保たせてあるのであるから、体裁の悪さもはなはだしい。どうしてこんな所へ出かけて来たのかと御息所は思うのであるが今さらしかたもないのである。見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車を避けて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、
「行列が見えて来た」
と周りの見物人が騒ぐ声がした。それを聞くと、さすがに久しくほったらかしにされて恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する女の弱さではなかろうか。「笹の隈桧の隈川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」(桧隈川のほとりに馬を止めてしばらく水を飲ませてやって下さい。その間、私はせめてあなたのお姿だけでも見ておりましょう)と言う古今集の歌を思い出しながら御息所は行列が少しでも止まってくれて、愛しい源氏の姿がかいま見られればと念じていたが、源氏が馬もとめず見向きもせずに通り過ぎたにつけても、なまじちらと姿を見ただけにかえって心も尽きはてる思いである。
なるほど、今日は何年に一回あるかないかの大祭であるので、多くの公卿たちがいつもより趣向を凝らして飾った幾台もの車、自分こそはと競って見せている着ている衣装の端を御簾の外に出してみせる出衣、中にいる人物は何くわぬ顔だが、ほほ笑みながら流し目で見物の中の美人の女に目を止める者もいる。源氏の車は、他の車と違って「宰相」とはっきり分かるので、あちらこちらと目を動かすわけにもいかず、真面目な顔をして御息所の前を通り過ぎた。御息所のお供の人々が源氏に向かってうやうやしく、敬意を表すが、すっかり無視されてしまった有様、彼女は一目でもこちらを見てくれたならとこの上なく堪らない気持ちであった。
影をのみ御手洗川のつれなきに
身の憂きほどぞいとど知らるる
(今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで、そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる)
と、思わず涙のこぼれるのを、女房の見る目も体裁が悪いが、晴れの場での輝かしくすばらしい源氏の姿を見なかったら、どんなに心残りなことだったろうと、御息所は思うのであった。
斎宮に従う者達は身分に応じて、装束、供人の様子、たいそう立派に整えている、中でも、殿上を許されている上達部はまことに格別であるが、「宰相」の源氏一行の立派さには圧倒されたようである。大将の臨時の随身に、殿上人の近衛府の長である将監などが務めることは通例ではなく、特別の行幸などの折にだけあるのだが、今日は右近の蔵人の将監が源氏に供奉している。定員意外の随身どもも、容貌、姿、眩しいくらいに整えて、源氏が大切にされている様子、その行列で世間みんなに知らされていた。
中流以上の婦女が徒歩で外出する時、小袖・単・などを身丈につけ、腰帯で中結し、余りを腰に折り下げる。腰部が広く、裾のつぼんだ形状から壺装束という。その姿で見物する下級職の妻、また尼など平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてかと醜く思われるのであるが、みんな行列を追いかけて倒れたりふらついたりしながら見物している、いつもなら、「よせばいいのに、ああみっともない」と言われるが、今日は特別で、源氏が供奉しているので、それを見ようとするのは無理ないことだ。口もとがすぼんで、着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者が、手を合わせて、額に当てながら拝み申し上げているのも。馬鹿面した下男までが、自分の顔がどんな顔になっているのかも考えずに嬉色満面でいる。まったく目を止められることもないつまらない受領の娘などまでが、精一杯飾り立てた車に乗り、気取っているのが、おもしろい。さまざまな見物人たちの集まりであった。
まして、都の彼方此方にいる源氏の情人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。 朝顔の姫君の父宮。桃園式部卿の宮。この方は桐壺帝の弟に当たる。桟敷席で行列を観覧していたのであるが、源氏を見て、
「まこと眩しいほど美しくなって行く。神などつい魅入られるかもしれない」
作品名:私の読む「源氏物語」- 13- 作家名:陽高慈雨