私の読む「源氏物語」- 11-
君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ
盛り過ぎたる下葉なりとも
(あなたがいらしたならば良く馴れた馬に秣を刈ってやりましょう、盛りの過ぎた下草であっても)
と歌を詠み出す様子はこの上なく色気たっぷりである。
笹分けば人やとがめむいつとなく
駒なつくめる森の木隠れ
(笹を分けて入って行ったら人が注意しましょういつでも馬を懐けている森の木陰では)
厄介なことだからね」
貴女の側には何時も男が居るからという意味で言って、源氏が立ち去ろうとすると、典侍は袖を取って、
「この歳になるまで、こんなつらい思いをしたことはございません。今になって、一生の恥を」
と言って泣き出す様子、とても大げさである。源氏は、
「そのうち、お便りを差し上げましょう。心にかけていますよ」
と言って、振り切ってお出になるのを、懸命に取りすがって、「橋柱、そんなことをおっしゃって、このまま切れてしまおうというおつもりですか」と恨み言を言うのを、帝がお召し替えが済んで、障子の隙間から見ていたのであった。「似つかわしくない仲だな」と、とてもおかしく思い、
「浮気心がないなどと、お前達女房がいつも困っているようだが、どうだい源氏はそうは言うものの、なかなかやるではないか」
と言って、笑われるので、典侍はばつが悪い気がするが、恋しい人のためなら、濡衣をさえ着たがるそうだからか、大して弁解も申し上げない。
女房たちも、「意外なことだわ」と、源氏と典侍の仲を取り沙汰するのを、頭中将、聞きつけて、「御殿の男と女の関係なら知らないことのないこのわたしが、気がつかなかったことよ」と思うと、いくつになっても止まない女の好色心を見たく、典侍に言い寄ったのであった。
典侍はこの頭の中将君も、、人よりは素晴らしいので、「あのつれない方の気晴らしに」と頭の中将とも関係が出来た、だが真から関係をしたい人は源氏お一人であったとか。多情でも大変な選り好みだことよ。と思ったが、本当に睦みたい人は、お一人であったとか。大変な選り好みだことよ。
頭の中将と原典侍との関係は二人とも固く秘密を守っていたので、源氏は全く知らなかった。典侍は源氏を見かけては、自分と逢ってくれない恨みを言うので、源氏は典侍の歳のことを考えると女として終わりに近いことをかわいそうに思い、慰めてやろうと思うのであるが、やはり彼女老いた肉体を考えるとうっとうしくて、先に一寸した出来心から関係をした時の彼女の肉体を思い出すと、年老いた身体を愛撫する気になれない、それで何日も逢おうとはしなかった。ある日夕立があって、その後の涼しい夕闇に紛れて、源氏が温明殿の辺りを歩き回っていると、この典侍、琵琶をとても美しく弾いていた。彼女は帝の前で殿方の管弦の遊びに加わりなどして、殊にこの女にに勝る人もない琵琶の名人なので、典侍の弾く琵琶は、源氏への思いがこもっていて、とてもしみじみと聞こえて来る。弾いている曲は『催馬楽』の「山城」である、
「山城の狛のわたりの瓜つくりななよやらいしなやさいしなや瓜つくり瓜つくりはれ瓜つくり我を欲しといふいかにせむななよやらいしなやさいしなやいかにせむいかにせむはれいかにせむなりやしなまし瓜たつまてにやらいしなやさいしなや瓜たつま瓜たつまてに」。 と、声はとても美しく歌うのが、自分も楽をたしなむ源氏にはちょっと腹が立った。「白楽天が聞いたという鄂州の女の琵琶もこうした妙味があったのであろう」と、源氏は耳を止めて聞いていた。典侍は弾き終わって、とても深くため息をついて思い悩んでいる様子である。源氏が、「東屋の真屋のあまりのその雨そそぎ我立ち濡れぬ殿戸開かせ鎹もとざしもあらばこそその殿戸我鎖さめおし開いて来ませ我や人妻」の「東屋」を小声で歌って近づき、
「殿戸開かせ」
までを謡い、典侍の心を誘う。
聞いて典侍は、
「鎹もとざしもあらばこそその殿戸我鎖さめおし開いて来ませ我や人妻」
と、後を続けて歌うのも、普通の女とは違った気がする。
立ち濡るる人しもあらじ東屋に
うたてもかかる雨そそきかな
(誰も訪れて来て濡れる人もいない東屋に、
嫌な雨垂れが落ちて来ます)
と嘆く源典侍を、源氏は自分一人が彼女の怨み言を負う筋ではないが、「嫌になるな。何をどうしてこんなに嘆くのだろう」と、思う。
人妻はあなわづらはし東屋の
真屋のあまりも馴れじとぞ思ふ
(人妻はもう面倒です、他に通う男のいるあなたとは、あまり親しくなるまいと思います)
と言い捨てて、源氏はこの場から行ってしまいたかったのであるが、それではあまりに典侍を侮辱したことになると思って、典侍の望んでいたように彼女の室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談などを言い合っているうちに、源氏もこう逢い方も悪くない気がして、典侍に近より胸の中に抱かれた。そして二人は身体を寄せ合って一つ床に伏していった。
頭中将は、源氏がたいそう真面目ぶっていて、いつも自分の行動を非難するのが癪にさわっていたので、源氏がこっそりと女の所へ通っている場所が多くあるらしいのを、「何とか発見してやろう」と思い続けていたところ、自分がこっそり訪ねてきた典侍の所へ源氏が先に訪れていたのを見つけ、嬉しいと思い、「このような機会に、少し脅かして、源氏を驚かせ、これに懲りたか、と言ってやろう」と思って、そっと二人をそのままにして置いて、出る機会を待っていた。
風が冷たく吹いて来て、次第に夜も更けかけてゆくころに、二人は睦み事も終え静かになったので、少し寝込んだろうかと、頭の中将はそっと二人が寝ているところへ入って来る、源氏は、自分が女にしてきた行為に嫌な気分がしていたので眠れない気分なので、目が冴えていた。物音をふと聞きつけて、この中将とは思いも寄らず、「いまだ典侍に未練のあるという修理の大夫であろう」と思い、年配の人に、このような二人の情事を、見つけられるのは相手のことも考えると、何とも照れくさいので、
「ああ、厄介な。帰りますよ。夫が後から来ることは、はじめから分かっていたのに私を騙して、ひどいな、貴女は」
と言って、乱れた下着だけの姿で脱いだ直衣だけを取って、屏風の後ろに入っていった。 中将、おかしさいのを堪えて、引き廻らしてある屏風に近寄って、ばたばたと畳み寄せて、大げさに振る舞って源氏をあわてさせると、典侍は、年取っているが、ひどく上品ぶった艶っぽい女で、以前にもこのようなことがあって、肝を冷やしたことがあったので、馴れていて、ひどく気は動転していながらも、「この君をどうなされてしまうのか」と心配で、震えながらしっかりと中将を捕まえて取りすがっている。源氏は、「誰とも分からないように逃げ出そう」と思うが、女と寝た後のだらしない恰好で、冠などをひん曲げて逃げて行くような後ろ姿を思うと、「まことに醜態であろう」と、ためらっている。。
中将、「何とかして自分だとは知られないように」と思って、無言で、ただひどく怒った形相を作って、太刀を引き抜くと、女は、
「あなた様、あなた様」
と、典侍は中将に向かって手を擦り合わせて拝むので、あやうく笑い出してしまいそうになる。闇の中であるから誰が誰とも分からないのである。
作品名:私の読む「源氏物語」- 11- 作家名:陽高慈雨