私の読む「源氏物語」- 11-
と口ずさんで、紫の君は、磯の草のように、源氏と逢うことが少ないという不満の気持ちを訴えた。そうして口を覆っている様子、たいそう色っぽくてかわいらしい。源氏は、
「まあ、憎らしい。このようなことをおっしゃるようになりましたね。みるめに人を飽きるとは、しょっちゅう逢ってるなんてお行儀の悪いことなのですよ」
と言って、人を召して、お琴取り寄せて弾かせなさる。
「箏の琴は、中の細緒が切れやすいのが厄介だ」
と言って、平調に下げて糸を調べる。調子合わせの小曲だけ弾いて、紫の許に押しやると、紫はいつまでもすねてもいられず、とてもかわいらしく弾くのである。
紫の小さいからだで、左手をさしのべて、弦を揺らす手つき、とてもかわいらしい、源氏自身は笛を吹きながら教えていた。紫はとても賢い子供で、難しい調子の楽も、一度さらっと全部を弾くともう憶えてしまう。何事にも高貴な姫らしく見えることに源氏は満足していた。「保曾呂惧世利」という雅楽の一
つで、変な名前であるがそれを面白く源氏が笛で吹くのに合わせて紫は琴を弾いた。幼いのに調子を違わずに弾きこなしていた。上手くなる手筋であると見てとった。
大きな灯火である大殿油を点けて、二人で絵を見ていたが、
「そろそろお出かけの時間ですよ」
と、従者が声をかけてきた。
「雨が降ってきそうです」
と言う声も聞こえてきた。紫は心細くなってしてしまった。そんな紫の髪を源氏はなぜながら、
「私がいないと淋しいの」
と、声をかけると小さくうなずく。
「私も紫を一日見ないともう淋しくて苦しくなりますよ。貴女が小さいうちは、私が気安く出かけることが出来ると皆さん思いますので、出かけなくてまず、ひねくれて嫉妬する人の機嫌を損ねると、うっとうしいので、暫く間はこのように出かけるのですよ。貴女が大人になったら、他の所へは決して行きませんよ。人の嫉妬を受けまいなどと思うのも、長生きをして、思いのままに一緒に暮らしたいと思うからですよ」
などと、こまごまと機嫌を取ると、紫は恥じらって、何とも返事を申し上げなされない。そのまま源氏の膝に寄りかかって、眠ってしまったので、とてもいじらしく思って、
「今夜は出かけないことになった」
と言うと、皆立ち上がって、御膳などをこちらに運ばせた。紫を起こして、
「出かけないことになった」
と、告げると機嫌を直して起きた。一緒に食事を召し上がる。紫はほんのちょっとお箸を付けて、
「では、お寝みなさい」
と不安げに思っているので、このような人を放ってはどんな道であっても出かけることはできない、と源氏は思う。
このように、紫に引き止められ二人共に仲良く遊んでいるのを、自然と漏れ聞く人が、葵の上に申し上げたので、女房達が口々に、
「誰なのでしょう。とても失礼なことではありませんか」
「今まで誰それとも知れず、そのようにくっついたまま遊んだりするような人は、上品な教養のある人ではありますまい」
「宮中辺りで、ちょっと見初めたような女を、ご大層にお扱いになって、人目に立つかと隠していられるのでしょう。分別のない幼稚な人だと聞きますから」
などと、葵の周りの女房たちも噂し合っていた。
帝も、「このような女の人がいる」と、聞かれて、
「気の毒に、左大臣が心配しているそうだ、なるほど、まだ幼かったお前を婿にして迎え、一生懸命にこんなに世話してきた気持ちを、分別できない年頃でもあるまいに。どうして葵に冷淡な仕打ちをするのだ」
と、源氏に忠告されるが、源氏は恐縮しで、お返事も申し上げられないので、「葵が気に入らないようだ」と、源氏をかわいそうに思いになる。
「だがそなたは、好色に振る舞っているということだが、内裏の女房たちなどと、浅からぬ仲に見えたり、噂も聞かないようだが、どのような人目につかない所をあちこち隠れ歩いて、こんなに女から怨まれることをしているのだ」と源氏に問うた。
帝はかなり歳をとっていたが、女好きはなかなか衰えることなく、そのため帝の周りに奉仕する采女、女蔵人などの容貌や気立ての良い者を選んで採用していたようであった。だから、源氏がちょっと浮いた話しかけでもすれば、それに受け答えして知らない顔をする者はないので、そんな女に囲まれて源氏は見慣れてしまったのであろうか、
「本当に、内裏では不思議に女遊びをしなさらない」
と、女房達が試しに源氏にしなだれかかって冗談を言いよったりすることもあるが、源氏はそんな女に恥をかかせない程度に軽くあしらって、本気になって女と遊ぶようなことはしない、
「真面目な格好をしていてつまらない」
と、思う源氏と一夜を共にと願う女房もいる。
そんな中にだいぶん歳のいった典侍で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われているのであるが、男好みな性質であって、その点では人を顰蹙させている女がいた。源氏はなぜこう歳がいっても男との遊びがめられないのであろうと不思議な気がして、ある日、典侍に戯談を言いかけてみると、相手になってきた。源氏は典侍をいい歳をしてと、あさましく思いながらも、やはり年配の女として変な衝動を受けてつい夜を共にしてしまった。
源氏には不つりあいな老いた情人であるので典侍との仲を噂されては困るから、源氏は女房達や殿上人にさとられないように、ことさら表面は典侍に対して冷淡にしているのを、その女は関係が出来た仲なのにどうしてと、源氏の態度を恨んでいた。典侍は源典侍と呼ばれていた・
源典侍が帝の御髪梳りの仕事を終えて、帝は衣装の係りの女房を呼び着替えに出ていった後に、他に人もなく、帝の前に伺候するためか、この典侍、いつもよりこざっぱりとして、源氏が後ろから見ると、姿形、髪の具合が艶っぽくて、衣装や、着こなしも、とても派手に洒落て見えるのを、
「何とも若づくりな」と、苦々しく見ている一方で、「どんな気分でいるのか」と、やはり何もしないのは惜しいような気がして、裳の裾を引っ張って注意を引くと、夏扇に派手な絵の描いてあるので顔を隠して振り返ったまなざし、源氏をひどく流し目を使って見つめるが、その目は、皮がげっそり黒く落ち込んで、肉が削げ落ちてたるんでいる。
源氏は「似合わない派手な扇だな」と、自分の持っている扇と取り替えて彼女の扇を見ると、赤い紙で顔に照り返すような色合いで、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてある。その端の方に、筆跡はとても古めかしいが、風情がなくもなく、歳を取って誰も相手にしてくれないという意味の歌、
大荒木森の下草老いぬれば
駒もすさめず刈る人もなし
(大荒木の森の下草が盛りを過ぎ固くなってしまったので、馬も食べようとしないし、刈る人もいない)
の一節「森の下草が老いぬれば」などと書き流してあるのを、「他に書く言葉もあるのに、嫌らしい趣向だ」とつい笑ってしまう、
「ひまもなく茂りにけりな大荒木森こそ夏の蔭はしるけれ
と言う歌もありますよ、貴女の大きな蔭の下には男達が宿りをしているでしょうに」
と皮肉を言って、いろいろと話しているのも、不釣り合な話し相手と、人が見るかと気になるが、女はそんな心配はさらさら思っていない。
作品名:私の読む「源氏物語」- 11- 作家名:陽高慈雨