私の読む「源氏物語」- 11-
と言って、お見せなならないのも、ごもっともである。実のところ、とても驚くほど珍しいまでに源氏に生き写しの顔形、藤壺は源氏の子供ということは紛うはずもない、と良心の呵責に苦しく、「女房たちが、不審に思われた妊娠月の勘定の狂いを、どうして変だと思い当たらないだろうか。たいした事でもない小さなつまらないことでさえ、欠点を探し出そうとする世の中で、どのような噂がしまいには世に漏れようか」と藤壺は思い続けると、わが身がとても情けないと胸が苦しくなるのであった。。
源氏は命婦の君に、まれにお会いになって、切ない言葉を尽くしてお頼みなさるが、何の効果があるはずもない。若宮のお身の上を無性に御覧になりたくお訴え申し上げなさるので、
「どうして、こうまでもご無理を仰せあそばすのでしょう。そのうち、自然に御覧あそばされましょう」
と申し上げながら、悩んでいる様子、お互いに一通りでない。気が引ける事柄なので、正面切っておっしゃれず、
「いったいいつになったら、直接に、お話し申し上げることができるのだろう」
と言ってお泣きになる姿、お気の毒でたまらないのであった。
いかさまに昔結べる契りにて
この世にかかるなかの隔てぞ
(どんな約束を前世で交わしたのでしょう、この世に生まれてこのような二人の仲に隔てが出来てしまって、納得がいきません)
納得が出来ません出来ません」
と、源氏は言うのである。命婦は、源氏を拒みつつも心ひかれている藤壷の、惑乱する心の状態をよく知っていて、源氏・藤壷それぞれ苦悩する間に立つ命婦は、そっけなく放置することもできず、藤壷に代って返歌する。それだけ告げるのが恋の仲介をした者の義務だと思った
見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむ
こや世の人のまどふてふ闇
(若君を御覧になっている私も、思い悩んでいます、御覧にならないあなたはまたどんなにお悩みのことでしょう)
お二人ともお気の毒に思っています」
と。王命婦はこっそりと源氏に言った。
このように源氏は何も藤壺に声をかけられないままに、帰った。
藤壺は、このように源氏が度々訪れてくることを世間の人々が噂でもすれば煩わしいことになるので、いろいろと無理な考えもして、王命婦をも、以前のように信頼してまた気を許して近づけるようなことはなるべく避けてしまった。その後命婦に対しては、人目に立たないように、穏やかに接し、一方で、源氏をよく知る命婦を藤壺は気に食わないと思う時もある、命婦はとても身にこたえて思ってもみなかった心地がするようであった。
藤壺は生まれた子供を抱いて四月に内裏に参内した。子供は日数の割に大きく成長していて、だんだん寝返りなどを打つようになっていた。驚きあきれるくらい源氏に似ているのだが、、帝はご存知ないことなので、「他に類のない美しい人どうしというのは、なるほど似通っているものだ」と、源氏と藤壺の抱く我が子を較べて思うのであった。たいそう大切に慈しみになること、この上もない。源氏の君を、限りなくかわいいと愛していながら、世間が賛成しそうになかったことで、東宮に据えられずに終わったことを、とても残念に思っており、源氏が臣下として成長して次第に王者の風格、容貌を備えてくる様子、を見るにつけ、可哀想なことをしたと苦しんでいた中で、「このように宮家ゆかりの藤壺から、源氏と同様に光り輝いて生まれてきたこの子は、疵のない玉だ」と、思い大切になさるので、藤壺の宮は何につけても、胸の痛みである源氏のことが胸の中から消える間もなく、不安な思いをしていた。
いつものように、源氏中将が、内裏で管弦の練習をしていると、藤壺の女御から子供を抱き上げて、帝は源氏に、
「私の御子たち、大勢いるが、源氏よ、そなただけを、このように小さい時から明け暮れ見てきた。それゆえ、子供の頃のそなたを思い出されるのだろうか。そなたと、とてもよく似て見える。幼いうちは皆このように見えるのであろうか」
と言って、たいそうかわいらしいと思っていられるのが源氏には分かった。
源氏中将の君は、。生まれた皇子や皇子を抱かれた帝の顔を眺めている内に、顔色が変っていく心地がして、恐ろしくも、かたじけなくも、嬉しくも、哀れにも、心があちこちと揺れ動く思いで、涙が落ちてしまいそうである。皇子が声を上げたりして、にこにこしている様子が、とても恐いまでにかわいらしいので、自分がそのままこの若宮に似ているのだとしたら、この身をよほど大事にいたわらねば、というお気持になる。藤壺は、このように近くで源氏が我が子を見つめている姿にどうにもいたたまれない心地がして、冷汗が流れるのであった。源氏中将は、複雑な思いが心中に乱れるようなので、帝の前から退出した。
源氏は二条院の自邸に帰って横になり、「この胸のどうにもならない悩みが収まってから、葵の許へ出向こう」と考えていた。庭先の前栽が、どことなく青々と見渡される中に、常夏の花がぱあっと色美しく咲き出しているのを、折らせて、藤壺の傍の王命婦の君のもとに、文を書いた。書きたいこと、多くあるようだ。
よそへつつ見るに心はなぐさまで
露けさまさる撫子の花
(思いを込めて皇子を見ているが、帝のお子と思って拝しているが、実はわが子であると思うと気持ちは慰まず、涙を催させる撫子の花の花であるよ)
花を子のように思って愛することはついに不可能であることを知りました。」
とある。ちょうど人のいない時であったのであろうか、命婦は藤壺に御覧に入れて、
「ほんの塵ほどでもご返事を、この撫子の花びらにお書きになるぐらいの」
と申し上げる、ご本人も、もの悲しく思わずにはいられない時なので、
袖濡るる露のゆかりと思ふにも
なほ疎まれぬ大和撫子
(このやまとなでしこ、若宮があなたのお袖を濡らす涙のゆかりと思うにつけても、やはりこれをいとおしむ気にはなれません」
とだけ、かすかに中途で書き止めたような歌を、喜びながら差し上げたが、源氏は「いつものことで、返事はあるまい」と、力なくぼんやりと臥せっていらっしゃったところに届いた藤壺の返事で、胸をときめかし、たいそう嬉しいので、読むうちに涙が止めどなくこぼれた。
[第四段 源氏、紫の君に心を慰める]
東の対で、藤壺が出産して我が子ながら呼ぶことが出来ないことや、藤壺が逢おうともしない淋しさやと、つくづくと物思いに沈んでいる源氏だが、くさくさとしていてもどうにもならないと、気を取り直して源氏はいつものように、気晴らしにと西の対の紫の許に出向く。
取り繕わないで毛羽だってる耳際の鬢ぐき、うちとけた袿姿で、笛を吹き鳴らしながら、部屋に来ると、紫は、花が露に濡れたような感じで、可憐な姿で横になっている。愛嬌がこぼれるようで、源氏が帰ってきているのに早くお西の対へ渡ってこないのが、何となく恨めしかったので、いつもと違って、すねてるのであろう。端の方に座って、源氏が、
「こちらへ」
と呼びかけるが、素知らぬ顔で、
「潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き」」
作品名:私の読む「源氏物語」- 11- 作家名:陽高慈雨