私の読む「源氏物語」-10-
「とても困りましたわ。色々とありまして源氏様が、お越しあそばしたそうですわ。いつも、始終姫と交際の紹介役をするようにと、やかましく言っていらっしゃるのですが、私の一存ではそのようなことは出来かねますと、お断り申しておりますので、あのお方は『自身でお話をおつけ申し上げよう』とかねてから言ってお出ででしたのです。どのようにお返事申し上げましょうか。軽い気持ちからのお出ましではありませんので、困ったことで。御簾ごしにも、源氏様の意向をお聞きになっては如何ですか」
と言うと、姫は恥ずかしくて、
「男の方とお話する仕方などは知らないのに」
と言って、奥の方へいざって入ろうとする態度は、とてもうぶな様子である。命婦は微笑んで、
「姫様は、お言葉や態度が子供じみていらっしゃいますのが、気がかりですわ。ご身分の高い方も、ご両親様が生きていらっして、手を掛けてお世話申していらっしゃる間なら、子供っぽくいらっしゃるのも結構ですが、今のようなお一人になられて心細いお暮らしで、相変わらず世間知らずに引っ込み思案でいらっしゃるのは、よろしうございません」
と諭すと、何と言っても、姫は人の言うことを良く聞く性質なので、
「お返事申さずに、ただ聞いていよ、というのであれば。格子など閉めてお会いするならいいでしょう」
「簀子などでは失礼でございましょう。強引で、軽薄なお振る舞いは、間違ってもなさるようなお方ではありません」
などと命婦はうまく言い含めて、二間の端にある障子を、自分で固く錠鎖して、お座蒲団を敷いて源氏を迎える準備を整える。
姫はとても恥ずかしく思ったが、このような高貴な方に応対する心得なども、まったく知らないので、命婦がこのように言うままに任せて座っている。乳母達老女などは、もう寝てしまっている時間なのでそれぞれの部屋に入って横になっている。ただ若い女房、二、三人が姫の側に控えているのは、世間で評判高い源氏の姿を、見たいものだと、期待もし緊張して控えている。姫は結構な衣装にお召し替えし、身繕い申し上げると、ご本人は、別に普段と変わらない様子である。
源氏は、忍びとはいえ、まことこの上ない様子、何とも優美で、
「風流を解する人にこそ見せたいが、見栄えもしない邸で、ああ、源氏様はお気の毒な」と、命婦は思うが、ただおっとりしていらっしゃるのを、
「安心で、出過ぎたところはお見せ申さるまい」と思うのであった。
「自分がいつも源氏から姫に会わせろと責められていた責任逃れにしでかした今夜のことで、気の毒な姫の恋心が動き出してくるのでは」
などと、命婦は不安に思っている。
源氏は、姫の身分を考えると、
「利口ぶったこの頃の女よりは、この上なく奥ゆかしい」
と思う。
御簾の向こうで、女房たちがもう少しお寄りになっては、源氏は勧められて少し座を進めた時に、かすかな香がした。その香りで自分の想像はまちがっていなかったと思い、長い間思い続げた貴女にへの思い、上手に姫に話しても、手紙の返事をしない人からは、直接の返辞を聞くことが出来なかった。源氏はどうしようかと考えていた、
いくそたび君がしじまに
まけぬらむ
ものな言ひそと言はぬ頼みに
(何度あなたの沈黙に負けたことでしょう、ものを言うなとおっしゃらないことを頼みとして)
嫌だと仰るならば、はっきりおっしゃってくださらなくては、申した私がつらいのですよ。」
源氏は歌とともに自分の想いを告げる。姫と乳母姉妹で、侍従という女房が才気走った若い女房であるのが、「とてもじれったくて、見ていられない」と思って、源氏の側によって、姫に代わって返歌を送る、さすがに才気のある女で、法華八講の論議の折、鐘を合図に沈黙することを「しじま」と言ったことにもとづいて、
鐘つきてとぢめむことは
さすがにて
答へまうきぞかつはあやなき
(鐘をついて論議を終わりにするように、
何も言うなとはさすがに言いかねます。
ただお答えしにくいのが、何ともうまく説明できないのです)
とても若々しい声で、格別重々しくないのを、姫の代理ではないように装って源氏に告げると、「姫の身分の割には馴れ馴れしい歌だな」と思うが、源氏は
「珍しいことなのが、かえって言葉に窮しますよ。源氏はまた、
言はぬをも言ふにまさると知りながら おしこめたるは苦しかりけり
(何もおっしゃらないのは口に出して言う以上相手に強く言っているのだとは判りますが、でもずっと黙っていらっしゃるのは辛いものですよ)
.
源氏は、当たり障りのないことを言って、姫が関心を引くように、また、真面目な言葉で言ったり、しかし、姫からは何の反応もない。源氏は思いきって、
「本当に貴女にこんなに語りかけても、一向にお返事なく、思う人が別にいらっしゃるのだろうか」
と腹が立ってきて、源氏は几帳をそっと押し開けて、するっと中に入ってしまった。
見ていた命婦は、
「まあ、ひどいことをなさる。油断させといて」と言って、ここにいては姫に気の毒である、知らない顔をして、自分の部屋の方へ行ってしまった。
先程から控えている若い女房連中、世に評判高い源氏のこと、制止も出来ないで、また大げさに叫ぶこともせず、ただ、思いも寄らない源氏の行動に中の姫が、何の心構えもないのを、心配するのであった。だが若い女房達の本心は、あの名高い源氏と姫がこれからどんな話をされ、どんな行動になるのかそっと几帳の中を窺っているのであった。
姫は、急に源氏が中に入ってきたのに驚いてまったく無我夢中で扇で顔を隠したまま、恥ずかしく身の竦むような思いの他は頭の中は空白になっていた。源氏はその態度を薄暗い灯火の光の中で見て「最初はこのようなのがかわいいのだ。まだ世間ずれしていない女で、大切に育てられているのがな」と、姫の大層な驚く姿を大目に見、それでも少し大層なと合点がゆかず、どことなく姫を気の毒に感じたようである。この驚いてすくむ姫の何処に心が引かれるのだろう、今夜はこのくらいにしてと、夜もまだ深いうちに帰ることにして几帳を出た。。
命婦は、「どうなったのだろう」と、目を覚まして、横になって聞き耳を立てていたが、「知らない顔していよう」と考えて、「お見送りを」と、指図もしない。源氏もそれをよいことに、そっと目立たぬよう帰った。
源氏は二条の院に帰って、横になっても、「やはり思っているような女性に巡り合うことは難しいものだ、あの姫の身分の高さから、その関係をすぐに絶つの波動であろうか」と、相手の姫の軽々しくない身分を、気の毒に思うのであった。あれこれと考えていると、頭中将がやってきて、
「ずいぶんな朝寝ですね。きっと夜更かしの理由があるのでしょう」
とからかうと、源氏は起きあがって、
「気楽な独り寝のため、寝過ごしてしまった。内裏からか」
「ええ。退出して来たところです。神無月に朱雀院の行幸は、今日、楽人や、舞人が決定される旨、昨晩帝から承りましたので、大臣にもお伝え申そうと思って、退出して来たのです。すぐに内裏に帰参しなければなりません」
と、急いでいるようなので、源氏は
「それでは、ご一緒に」
作品名:私の読む「源氏物語」-10- 作家名:陽高慈雨