私の読む「源氏物語」-10-
と、源氏は中将に返事する、中将は姫は源氏に返事を送ったなと勘ぐり「分け隔てされたな」と思うと、まことに悔しい。
源氏は、常陸宮邸に住むあの姫のことを深く思い込んでいるのではないが、返事も寄越さないつれない女なのかと、気持ちは醒めてしまっているのだが、このようにこの中将がしきりに言い寄っているのを、「数多く恋文を送った方が有利なのかも。それで中将に得意顔して、源氏が最初に送った恋文を無視しましたのよ、などと言われたら、おもしろくない」と思い、命婦に真剣に姫と交際できるようにならないかと相談をした。
「あの姫は、私の気持をどう思っているのかさっぱり分からず、私の文にも見向きもしないのが情けない。私の気持ちを浮気と疑っているのだろう。いくら何でも、私は女に対して薄情なことのできる男じゃない。いつも相手のほうが気短に私から離れて行く、相手の気持ちがゆったりとしたところがなくて、心外なこと思っている。それが自然とわたしの方の落度のようにもなってしまった。親兄弟などの世話をしたり、人を恨んだりすることもなく、気兼ねなく暮らしている人は、かわいらしものだが」
と命婦に言うと、
「いいえ、そんな、源氏様が愛しになるような相手にあの姫はなれそうもない気がいたします。非常に内気で、おとなしい点はちょっとそこらのお方とは違って珍らしいほどの方ですが」
命婦は自分が見知った姫のことを事細かに源氏に語る。
「気が利いていて、機転が効くところはないようだ。とても子供のようにおっとりしているのが、私にはかわいいものだ」 源氏は忘れることが出来ないので、ことあるごとに命婦に姫との仲を取り持つように言うのであった。
そんなことがあった後から源氏は、瘧病みを患ったり、北山に加持を受けにいて若紫に会い、藤壺との秘密の関係から藤壺が妊娠したりして、源氏の心にゆとりのない状態で、春夏が過ぎた。
そういう訳でこの話は前後が後先になってしまったが、夕顔の死(秋八月)の後「若紫」と同年の春正月から始まる物語である。
「夕顔」は源氏が十七歳夏から立冬の日までの物語。「若紫」は源氏が十八歳春三月晦日から冬十月までの物語、この「末摘花」の帖は源氏が十八歳春正月十六日頃から十九歳春正月八日頃までの物語であるから、源氏が瘧を患って北山に登り、そして山を下って本復して内裏に昇り帝に挨拶をしたりする中で、帝の愛人である藤壺の女御と密かに通じて、藤壺は妊娠するのであるが、この間にも、女漁りが続けられていたことになる。
源氏の異常な女好みがここにはっきりとしてきてこれからの彼の行く先がどうなるのか興味が尽きないのである。
[第五段 秋八月二十日過ぎ常陸宮の 姫君と逢う]
秋に入って源氏は、心を静かにし考えをまとめていた。うるさかった夕顔の宿に泊まって聞いた砧の音も、自然に懐かしく思い出される。常陸宮邸には度々お手紙を差し上げるが、相変わらず返事がない、源氏の世間知らずから、姫の態度がおもしろくなく、負けてはなるものかという意地まで加わって、命婦にたびたび催促をする。
「どういうつもりなのかあの姫は。いったいこのようなことは、今までにないことだよ」
と源氏はとても不愉快に思って命婦を責めるので、大輔の命婦は源氏が気の毒で、
「源氏様と姫様が身分がかけ離れて、不釣り合いなご縁だと、姫に申し上げたことはありません。ただ、万事につけて内気な性格が強すぎて、お返事なさらないのだろうと存じます」
と命婦は源氏に答えると、
「それが世間知らずというものだ。年が若いとか、また親がいて何かと注文を付けるために自分の意志では行動が出来ない人たちこそ、世間知らずで好いのだが、姫のように一人ぼっちで淋しい生活をしている者は、異性の友だちを作って、それから優しい慰めを言われたり、自分の淋しさをその男性に聞かせたりするのがよいことだと思うがね。私はもう面倒な結婚なんかどうでもいい。あの古い家を訪問して、荒れた縁側へ上がって話すだけのことをさせてほしいよ。姫の承諾がなくとも、私を姫に近づけるように段取りをしてくれないか。短気を起こして無理な行動には決してでないから」
源氏は命婦に頼み込む。
女の噂を関心も持たないように聞いていながら、その中のある者に特別な興味を持つような癖が源氏の中に芽生え始めていた。そんな時に命婦は、源氏内裏泊まりの時の世間話のついでに、何の気なしに語った常陸の宮の姫のことを、そのあと合わせろと何回も命婦の責任だと言われるのを迷惑に思っていた。命婦は、
「何となく気が重く、姫も、いまだに恋愛の経験もないし、女らしい男を引きつける魅力もない、源氏様を手引したことによって、姫が喜ぶようなことになればいいのだが、きっと気の毒なことになるだろう」と思ったが、源氏がこのように本気になって頼むので、命婦は更に考えた「源氏の頼みを聞いてあげないのも、姫がいかにも変わり者のように決められてしまうことになる。父親王が生きていらしたころでさえ、現代離れしている家だ世間で言われて、尋ねてくる人もなかった、まして今のように草深い荒れた屋敷に、浅茅生を分けて訪ねて来る人もまったく絶えているのに」。
常陸宮の姫に今都でもっとも噂の高い源氏からこのように、時々手紙が届くのを、近くに仕える女房たちも、もし縁あって二人が深い仲になれば、この荒れた屋敷も見違えるほど立派になることは間違いないと思い、笑顔をつくって姫に、
「やはりお返事をなさいませ」
と、勧めるが、姫はあきれるくらい内気なご性格で、源氏の文を全然見ようともしないのであった。
それを聞いて命婦は、策を巡らした。
「適当な機会に私が源氏様を物越しに姫と話が出来るようにしてあげよう。源氏が気に召さなかったら、そのまま終わってしまってよし。また、気に入られて、一時的にでも通いになって二人の身体の関係があっても、誰からもとやかく言われることはないであろうし、この屋敷にもいない」
などと考え、命婦自身も色事にかけては自由に振る舞う性分であるので、姫の兄に当たる父の兵部の大輔にも、源氏の行動を、相談も報告もしなかった。
八月二十日過ぎ、大輔の命婦は姫と共に常陸宮邸に居た。月の出が遅い、夜の更けるまで待ち遠しい、星の光ばかりきらきらと空に輝き、松の梢を吹く風の音が秋の淋しさを伝えてくる、姫は昔のことを話し涙を流している。
「ちょうど良い機会だ」と命婦は思って、源氏にお越しになりませんかと案内を差し上げた。源氏はいつものようにお忍び姿で常陸宮邸にやってきた。
月がようやく出て、荒れた垣根を照らすのを源氏は気味悪く眺めていると、命婦が姫に琴を勧めたのか、姫が音を高くせずに静かに弾くのが、悪くはない。命婦は「もう少し、親しみやすい、今風の感じの曲調で弾かれたらいいのに」と、開けっぴろげな性格である命婦はじれったく思っていた。源氏は人目のない邸なので、安心して入って、雑用の女に命婦を呼ばせた。命婦は今初めて気がついた顔して、姫に
作品名:私の読む「源氏物語」-10- 作家名:陽高慈雨