私の読む「源氏物語」-10-
「さあ、いかがなものでしょうか、とてもお気の毒なお暮らしをして、めいりこんでいらっしゃる方に、男の方を御紹介することなどはできません」
その言葉を聞くと源氏は心中に思った。「なるほど、それももっともだ。急にお互い親しくなるような身分の者は、その程度の安っぽい身分なのだ」源氏は相手の身分を考え、自分も立場を重く見る性質なので、命婦に、
「それでも私の気持ちを姫に、それとなく伝えてくれよ」
と頼み、他に女との会う約束でもあったのか、ひっそりと帰ってしまった。それを見送りながら命婦は、
「帝が、源氏様がき真面目なので、困ったものだとよく仰られますが、貴方様を良く知る私には、おかしく思うことが時々ございます。このようなお忍び姿を、帝にお見せしたら、どう御覧になれましょう」
と源氏の背に向けて言うと、源氏は戻ってきて、笑いながら命婦に、
「他人が言うように、欠点を言い立てなさるな。私の行動を好色な振る舞いと言うのなら、どこかの女の男遊びの有様は、弁解できないだろう、大輔の命婦さん」
命婦は、
「多情な女だと私のことを源氏が決めていて、おりおりこんなことを面と向かって言われ恥ずかしい」
と思って何とも返答しなかった。
寝殿の方にこっそりと行けば、姫の様子が覗けるかも知れない、源氏は静かに寝殿の方に向かった。透垣がわずかに折れ残っている物蔭に、そっと立つと、少し前から自分と同じように覗き見をしようと立っている男を見つけた。「誰だろう。姫に懸想している色男がここにもいたのだなあ」
と思い、源氏は相手に分からないように蔭に入って隠れてしまった。
その男は葵の兄の頭中将であった。
二人はこの夕方そろって内裏から退出したが、源氏はそのまま左大臣邸の葵の許にも寄らず、更に源氏の屋敷二条院でもなく、別の方角に行ったのを、頭の中将は、どこへ行くのだろうと、好奇心が湧いて、自分も行く所があるのを中止して、源氏の後を付けて窺うのであった。粗末な馬で、狩衣姿の身軽な恰好で来たので、源氏は頭の中将が後を付けているのを気付かない。この屋敷に来て源氏は寝殿に入るとばかり思っていた中将は、予想と違って、源氏が命婦の部屋のある別の建物に入ったので、合点が行かずにいた時に、琴の音がしてそれに耳をとられて立っていたが、帰りは何時になるかなと、心待ちしているのであった。
源氏は、物陰にいる男を誰とも分からず、自分は相手から見つかっていない、抜き足に通り過ぎようとすると、男が急に近寄って来て、
「置いてきぼりあそばされた悔しさに、お見送り申し上げたのですよ。
もろともに大内山は出でつれど
入る方見せぬいさよひの月
(ご一緒に宮中を退出しましたのに、行く先を晦ましてしまわれる十六夜の月ですね)」
と、さも秘密を見つけたように言われたのが源氏は癪だが、頭の中将だと分かると、少しおかしくなった。
「驚かすでないよ」と源氏は頭の中将をにくったらしい奴と思いながら、
里わかぬかげをば見れどゆく月の
いるさの山を誰れか尋ぬる
(どの里も遍く照らす月は空に見えても
その月が隠れる山まで尋ねる人はいませんよ)
「このように後を付け廻したら、どうあそばされますか」
頭の中将は源氏に尋ねる。更に続けて「本当は、このような女探しのお忍び歩きには、気の利いた随身によって成功するということがあるものです。随身を置いてきぼりあそばさないのがよいでしょう。身をやつしてのお忍び歩きには、思わぬ事があるものですよ」
と、反対にご忠告申し上げる。源氏は自分の女漁りをこのようにしかと見つけられたのが悔しかったが、あの夕顔の子供でこの目の前にいる中将が種の撫子を彼が見つけ出せないのを、これは俺の勝ちだと、内心思い出していた。
源氏も頭中将もそれぞれその夜は泊まる女の家に訪れる約束があったのだが、二人とも照れくさくて、別れてそれぞれの女の処に行くことも出来ないで、一台の車に乗って、月が意味ありげな雲に隠れた道中を、互いに笛を合奏して左大臣邸に帰り着いた。
供の者が先払して屋敷にはいるのを止めさせて、こっそと家に入り、人目につかない渡殿にお直衣を持って来させて、着替える。そうして何食わぬ顔で、今帰ったような素振りで、二人で笛を吹き興じて合っていると、大臣が、いつものように聞き逃さず、高麗笛を持ってやってきた。大臣は大変な笛の名手で、大層味わいのある音色で演奏する。琴を取り寄せて、簾の内で、琴に堪能な女房たちに笛と合奏させた。
琵琶を得意とする葵の上づきの女房、
中務の君というのがいるが、頭の中将が盛んに言い寄られたが、それにはなびかないで、時々しか現れない源氏の甘い言葉に簡単体を許してしまった女であった。源氏との関係がすぐに知れて、桐壷帝の妹、大宮と呼ばれる、左大臣の正妻で、葵の上の母親が、とんでもないことをしていると大変な怒りようで、源氏を目の前にして何となく憂鬱で、みんなが楽を楽しんでいるところに居ずらい気持ちがして、おもしろくなく部屋の隅に寄り伏している。源氏にまったく逢えない所に、左大臣邸から暇をもらって行ってしまうのも、心細く思い悩んでいる。
源氏と頭中将は常陸宮邸できいた琴の音を思い出して、荒れてしまって見すぼらしかった邸宅の様子なども、一風変わった風情があるものだと思いながらも、
頭の中将は。
「もし仮に、とても美しくかわいい女が、一人寂しく暮らしているような時、結ばれて、可愛くてどうしようもなくなって通い詰めるようにでもなったら、世間の評判になるが、考えると我ながら格好が付かなくなるよ」なんて心の中で思ってみる。そうして側で笛を吹く源氏を見て、この男が彼方此方と女を求めて歩いているのを知っている彼は、「あの琴の主もとても、今夜だけで、済ますことはないであろう」と、小憎らしく心配するのである。
その後、源氏からも頭の中将も恋文を書いて常陸宮邸に住む姫に二人競争するように次から次へと送るのだが、姫から二人のどちらへも返事がなく、二人とも気になっている、頭の中将は「あの女は返事もくれず、あまりにもひどいではないか、あんな荒れた家に住んでいるような人物は物の哀れに感じやすいはずだ、自然の木や草や空のながめにも何か感じるものがあり、それを見つけだしては風雅な手紙を書いてよこすものである、いくら姫が自尊心が強いといっても程度の問題である、こんなに返事をよこさない女には腹立たしくなってくる。」と姫のことを考えるといらいらしてくる
するのだった。源氏と中将は仲のよい友だちであったから中将は隠し立てもせずに自分の気持ちを源氏に隠すことなくぶちまけていた。
「常陸の宮から返事が来ますか、私もちょっとした簡単な手紙をやったのだけれど何にも言って来ない。侮辱された形ですね」
中将は源氏に言う。源氏は自分の想像したとおりだ、頭中将はもう手紙を送っているのだ、と思うと源氏はおかしかった。「さてはこの男あの姫に言い寄ったな」と思うと何となくおかしくて笑いながら源氏は、
「返事を格別見たいと思わない女ですから、文が来たか来なかったかよく覚えていませんよ」
作品名:私の読む「源氏物語」-10- 作家名:陽高慈雨