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私の読む「源氏物語」-10-

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末摘花

 源氏は夕顔のことを思いだしては打ち消す、するとまた夕顔の顔が浮かんでくる、頭を切り換えて、現実の女を思ってみるが、それもつかの間また夕顔との思い出に戻ってくる。どんなに思ってもなお飽き足りい女が、夕顔の露のようにあっさりと消えて先立たれた時の悲しみを、一年数ヶ月を経ても忘れることが出来ない。、左大臣家にいる夫人の葵の上も、六条の女も気位の高さと源氏の浮気相手の愛人を寛大に許すことのできない嫉妬心が強く、扱いにくい。源氏はいつも気楽な自由な気持ちで接してくれた恋人ばかりが思い出されるのであった。葵も六条の女もいずれも源氏が気にかかる存在で絶えず気にしている素振りを見せていなければならないし、また二人はお互いに気取って、思慮深さを競い合っているのに対して、夕顔は人なつこく気を許していたかわいらしさに、二度とない女と恋しく思い出していた。
 こんな女関係に源氏は、なんとかしてたいそうな身分でない女で、可隣で、そして世間に知られても、あまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと、性懲りもなく常に心の中で思っている。少しよい女らしいと評判の女にはすぐに好奇心が動き出して、親しくなる最初の手段としてまず短い手紙などを送る、受け取った女は全て拒絶することもなく、もう源氏の文だけで女のほうから熱い好意を表してくる。そんな女達に源氏に冷淡な態度を取る者はないことに源氏はかえって失望を覚えた。
 あの源氏をはねつけた空蝉を何かの折りに悔しく思い出す。空蝉と間違って一夜の関係を結んだ、空蝉の旦那である伊予介の先妻の娘、軒端荻から風の便りを耳にすると、急に思い立って文を書いて送り相手を驚かせることもある。あの紀伊の守の屋敷で覗き見をした、空蝉と萩が火影に照らされて碁に興じていた姿が、とてもうつくしく今もって忘れることができない。源氏は今までに身体の関係を持った女を忘れてしまうことが出来ない性分であった。

 左衛門の乳母といって、夕顔の章で紹介した源氏の一番目の乳母である大弍の次に乳母となった者で、その娘で源氏とは乳兄妹になるのが、大輔の命婦といって、御所勤めをしていた。父親は皇族の血筋をひく故常陸宮の息子で兵部大輔という人であった。この娘は浮気な性格の若い女であったが、源氏は気に入って宮中の宿直所では女房のようにして使っていた。左衛門の乳母は今は筑前守と再婚していて、夫の任地である九州へ行ってしまったので、大輔命婦は、父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。
 祖父の常陸太守であった故親王が年を取ってから女を持ち、生まれた姫君が孤児になって祖父の屋敷に残っていることを、何かのついでに命婦が源氏へ話した。気の毒な女だと源氏は詳しくその人のことを命婦から聞いた。話の終わりに命婦は、
「どんな性質でいらっしゃるとか御容貌のこととか、私はよく知らないのでございます。内気なおとなしい方ですから、時々は几帳越しに話をいたします。琴が一番お好きらしゅうございます」
「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」
 さらに源氏は、
「その琴の音を私は聴きたいなあ。父親王は、その面でとても造詣が深かかったと言うことだよ、だからその姫も並大抵の弾き手ではない、と思う」
「そのように姫のお琴をお聞きあそばすほどのことではございませんでしょう」
 命婦は言うが、源氏の気持ちがそちらに向くように、わざと申し上げるので、「思わせぶりな言い方だね。今時はほのかにかすんだ朧月の夜があるから、そんな夜にそっと覗きに行ってみよう。君も家へ退っていいよ」
 源氏が熱心に言うので、大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、御所も御用のひまな時であったから、春のまだ日が高いうちに退出をした。父の大輔は宮邸には住んでいない。新しい女の許に住まいしている、その継母の家へ出入りすることを命婦はきらって、叔母に当たる源氏に話をした女が住む亡き祖父の宮家へ帰るのであった。

 源氏は大輔の命婦に言っていたように、十六夜の月の朧ろに霞んだ夜、命婦を訪問した。
「困ります、こんな事をなさっては。それにこのような天気は音楽を奏でるには適当とは思われません」
「まあいいから御殿へ行って、ただの一声でいいから姫に琴を弾かせしてくれ。お前の言う琴の音を聞かないで帰るのでは、あまりにも情けない私の行動と思われるから」
 と源氏は強いて望むので、命婦はこの貴公子を取り散らかした自分の部屋へ置いて行くことを恥ずかしくまた済まなく思いながら、姫の起居する寝殿へ行ってみると、まだ格子をおろさないで梅の花のにおう庭を姫はながめていた。これは丁度良かったと命婦は心で思った。命婦は源氏のことは言わないで、
「琴の音をお聞かせいただけましたらと思うような梅の香の素晴らしい夜です。琴の音色が一段と趣深く聴かれような夜でございますから、部屋を出てまいりました。私はこちらへ寄せていただいていましても内裏へ登りますので、いつも時間がなくて、御挨拶に伺わせていただく間のないのが残念であり、申し訳なく思っております」
 と叔母に当たる姫に言うと、
「あなたのような数多くの演奏をお聴きになっている批評家がいてはとても手が出ませんよ。私の琴など御所にお勤めの人などに聞いてもらえるような芸なものですか」
 こう言いながらも、すぐに姫は琴を持って来させるのを見ると、命婦は源氏がどのように姫の琴の音を聞かれるかと考えると胸が高鳴るのであった。
 源氏の許にかすかに掻き鳴ら琴の音が、なんとなく趣あるように聞こえる。姫の腕は特に上手といったほどでもないが、琴という高価な格式の高い楽器の奏でる音色が他とは違って良く響くので、源氏は聞きにくいとは思わなかった。 
 源氏は、
「手入れをする人手もないのであろう、このように一面に荒れた寂しい邸に、これほどの女性が、しきたりを守り、格式を重んじて、大切に育てられたのであろうが、その面影もすっかりなくなって、どれほど味気ない思いをなさっていらっしゃることだろう。昔物語にこんな背景の処によく佳人が現われてくるものだ」 などと連想して、姫に言い寄ってみようか、と思うが、唐突なことを言う男よとお思いになるであろうかと、気がひけて、躊躇している。  
 命婦は才気のある女であったから、名手の域に遠い姫の音楽を長く源氏に聞かせておくことは、姫の損になると思った。「雲が出て月が見えない晩でございますわね。実は、今夜私のほうへ訪問してくださるお約束の方がございました、私がおりませんとわざと避けたようにと思われても困りますから、姫様またゆるりと聞かせていただきます。格子をおろして行きましょう」
 命婦は言って、それ以上姫に琴を弾かせないようにして帰って来たので、源氏は、
「中途半端な所で終わってしまったね。十分聞き分けられる間もなくて、残念だよ」
「同じことなら、もっと近い所で立ち聞きさせてくれよ」
 命婦は源氏を「また始まった」と女好きの彼に簡単に姫に近づかせないで、よりよい想像をさせておきたかった。