私の読む「源氏物語」 ー9-
若紫は急に源氏に抱かれて几帳の中に連れ込まれ、こわくて、鳥肌が立っている。源氏は姫の着物を脱がせて肌着一枚にして寝ることが出来るようにしてやった。鳥肌が立つ姫の肌がとても美しく感じた。自分も感極まって優しく姫に話し始めた。
「私の屋敷にお出でなさい。色々な絵本や、雛遊びの人形もあって面白く遊べますよ」 と、若紫が気に入りそうなことを優しく話し始める、その語り方が柔らかいので、姫は子供心にも安心したのか、そう大して物怖じしなかったが、それでもよく分からない源氏を気味悪くて思い眠れなく、もじもじして源氏の添え寝を気にしていた。
その夜は風が吹き荒れていた。
「ほんとうに、源氏様がお越しにならなかったら、どんなに心細かったことでしょう」
「同じことなら、お二人お似合いの歳でおいであそばしたら」
と女房達はこそこそと話し合っていた。少納言は姫が気になって几帳近くに座っていた。風が少し収まった頃に源氏は帰宅をした。その様子は恋人の家から夜明け直前に帰る後朝のようで、あたかも逢瀬を遂げたかのようだった。
帰る間際に源氏は少納言に、
「あのように可哀想に淋しくしている姫を見てからは、一時でも彼女のことが頭の中から離れることはない、私の二条院で朝から晩まで見ていてやりたい。そうしてやればあの娘は、もう怖がることはないであろう」
「父君の兵部卿も迎えに参ると言うことですが、尼君様の四十九日が過ぎる十一月九日くらいのことと思います」
と返事をすると、源氏は
「兵部卿は頼りになる父親ではあるが、ずっと別々に暮らして来られた方で、他人同様に娘との仲は疎遠なものでしょう。私は今夜初めて姫に会いましたが、わたしの姫を思う深い愛情は父宮様以上でしょう」
と眠っている若紫を何回も顧みながら帰っていった。
たいそう深く霧がかかった空は普通ではないが、大地には霜が真っ白に降りて一面白かった。何となく恋人の家に忍んでいくような気がして、源氏は自分の欲望を達し得なかった気分であった。よく辺りを見ると最近親しくなった女のところへ隠れて通う道であった。女の家に着きその門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。
朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも
行き過ぎがたき妹が門かな
(曙に霧が立ちこめた空模様に迷ってしまいましたが、素通りし難い味のある貴女の家の門ですね)
と二回ほど詠わせると、心得のあるその家の下僕が出てきて、
立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは
草のとざしにさはりしもせし
(霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば、生い茂った草が門を閉ざしたことぐら何でもないでしょうに、寄る気もないくせに)
と詠って入ってしまった。そのまま誰も源氏を迎えに出てこない。このまま帰ってしまうのは残念だけれども、夜が明けて白々としている中で女の処によってもどうしようもないので、源氏は屋敷に戻った。
少女若紫の君と逢い、会話し、添い寝してやったことが恋しくて忘れられず、思い出して胸が熱くなり、楽しかったことを頭の中に映し出しつつ源氏は寝てしまった。翌日、日が高く上るまで寝ていて、早速若紫に文を送ろうとするが、幼い子供に文を送ったことがないので、どう書いて好いのか考え考えしながら書き上げて、綺麗な絵を添えて若紫に送ってやった。
紫の君の六条京極邸には、今日は父兵部卿がお出でになって、何年にも渉って手入れもせずに放っておいた荒れに荒れた広い邸が、ますます人数が少なくなっている状態を、ずっと見て回り、
「このような処に幼い姫を一日も置いておくことは出来ない、やはり、私の屋敷に連れて行こう。けっして窮屈な所ではない。乳母には、部屋をもらって今までのように姫の世話をお願いしよう。姫は、私の処にも若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても仲良くやって行けよう。」
と言いながら若紫を近くに招き寄せてなにか話をしようとすると、昨夜源氏に抱かれたときの源氏の身体に焚きこめられたとてもいい香りが伝わってきた。兵部卿は、
「これはとても好い香りがする、この娘の着ている物がこんなに古びているのに」
と少々不思議に思った。そうして更に、
「これまでは、病気がちの尼君と一緒に過ごしていたので、たまには気晴らしに屋敷の方に寄越すようにと、言ってやったのだが、変に尼君は私を避けられて、妻もそれが気にくわないようであったが、このようになって移って来るのも、なにか可哀想な気もするがね」
聞いていた少納言は、
「どんなに心細いこの屋敷での生活でも、姫様はもう暫くはこの生活を続けられると思います。少しお歳をとられてから物事がはっきりと分かるようになってからでも、そちらへお移りになった方がよろしいのではないかと私は考えますが」
と答えた。さらに、
「夜昼となく亡き尼君を慕いなさって、ちょっとした物もお召し上がりになりません」
と言う。兵部卿が娘の方を見ると、なるほど面窶れして痩せて見える。だが姿はなかなか可愛らしくて上品に見えた。
「どうしてそんなに悲しむの、今はもう亡き人ではないか尼君は。もうそんなに悲しまず、お父さんが居るではないか」
と娘に言い聞かせて、日が暮れるから今日は帰ると言うと、姫はとても心細くなって泣きだした、父もその姿を見て涙を流していた。
「さあ、そんなに悲しまないで、今日明日中には、父の屋敷に来れるようにするから」 と。何回も繰り返して娘に告げて帰られた。
母も祖母も失った女の将来の心細さなどをまだ考える歳でもなく、姫はただ小さい時から片時の間も離れず付き添っていた祖母の尼君が死んだと思うことだけが非常に悲しいのである。子供ながらも悲しみが胸一杯にふさがっている気がして遊び相手はいても遊ぼうとしなかった。それでも昼間は何かと紛れているのであったが、夕方ごろからめいりこんでしまう。こんなことで小さい姫のおからだがどうなるかと思って、少納言の乳母も毎日泣いていた。
源氏は惟光を使者として姫の許に送った。
「こちらに参ろうと思っておりましたが」内裏より帝のお召しがありまして伺うことが出来ません、その後のことが心配でなりません」
と源氏の意向を伝えた。惟光はこのまま若紫の屋敷に泊まることにする。
女房の一人が、
「困りましたね。将来だれかと御結婚をなさらなければならない姫様を、このようななされ方では源氏の君が奥様になさった形になるではありませんか、父宮様がお聞きになったら、私たちの責任になりますわね」
「姫様、源氏の君のことは父宮様がいらっしゃいました時に、うっかり言っておしまいにならないようになさいませね」
と少納言が注意しても、若紫は、それが何のことか分からないのである。それだけまだ幼稚なのであった。
少納言は惟光に自分の考えを話した。
作品名:私の読む「源氏物語」 ー9- 作家名:陽高慈雨