私の読む「源氏物語」 ー7-
と頭の中将は不審気に源氏を眺めて言う、源氏は見透かされたかと胸がどきりとする、そして中将に、
「いま言ったように、詳しいいことは言わずに、ただ、思いがけなく穢れに触れた由を、奏上して下さい。まったくとんでもないことです」
と、源氏はさりげなく言うのであるが、心中は、昨夜の夕顔のことは、どうしようもなく悲しい事と思うにつけ、気分もすぐれないので、誰とも顔を合わせることはしない。帝の傍に仕える蔵人で弁官を兼ねている頭の中将の弟を呼び寄せて、はっきりと自分が思いもかけない穢れに触れて、しばらく謹慎するという旨を帝に奏上するように告げる。葵の上の父である左大臣にも、これこれの事情があって、内裏に参上できないと、手紙などを差し上げる。
日が暮れて、事態の報告に惟光が参上した。源氏がこれこれの穢れがあるとみんなに告げたので、お見舞いの人々も、皆立ったままで見舞いを述べるとすぐに退出するので、人目は多くない。惟光を近くに呼び寄せて、
「どうであったか。やはりもう亡くなっていたか」
と源氏が惟光に問うや同時に、袖を顔に押し当てて泣いてしまった。それを見て惟光も涙を流し泣き声で、
「もはやご最期生き返ることはないようです。いつまでもご遺体と一緒に寺に籠っておりますのも問題なので、明日は、葬儀を行うのに日柄がよろしうございますので、あれこれ葬儀のことを、大変に位の高い老僧を知っております者に、連絡をつけました」
と源氏に申し上げる。源氏は悲しみ嘆いていた女房の右近のことを思いだし
「付き添っていた女はどうしたか」
と尋ねると、
「その者は主人の死は私の責任と、このままおめおめと生きているとは、自分も後を追って死にぬ、と取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのをみんなで押しとどめて、『あの前に住んでいた夕顔の花の家の人に知らせよう』それぞれ申しますが、ここは騒ぎが広がってはと、『今しばらく、落ち着きなさい、事情をよく考えてからに』と、宥めておきました」
と、惟光が報告申すのを聞きながら源氏は、またも悲しくなってきて、
「わたしも、とても気分が悪くて、どうなってしまうのであろうかと心が混乱している」「何を、この上くよくよお考えあそばしますか。これは成るべくして成った運命であります。前世から万事決まっていたのでございましょう。このことは誰にも分からないように、万事惟光めが身を入れて、始末いたします」
「その通りだが、いろいろと思ってはみるが、いい加減な女遊びから、相手の女を死なせてしまった非難を受けるが、これがまことに辛いのだ。お前の妹の少将命婦などにも聞かせるな。尼君にはましてこのようなことなど、、こんな恥ずかしい事をしでかした私をお叱りになるから」
と、惟光に口封じする。
「その他の山の法師たちなどには、すべて、話を全く変えて伝えてあります」
と惟光が山寺の様子などを報告するので、源氏は惟光を全面的に頼りにする。
源氏と惟光とのひそひそ話をかすかに聞く、夕顔の女房などは、
「何となく変だわ、二人は何をこそこそと話をしているのだろう、穢れに触れたようなことをおっしゃって、宮中へも参内なさらず、そうしてこのようにしのび話しをしては嘆いていらっしゃる」
と、ぼんやりと源氏を不思議がる。
「重ねて無難に取り計らえ」と、葬式の作法を源氏が言うが、
「いやいや、大げさにする必要もございません」
と言って惟光が立つのが、とても悲しく思わずにはいられないので、
「こんな事を言うとお前はきっと何と言うことをと思うだろうが、私は今一度、あの夕顔の亡骸を見たい、このままではとても心残りだから、馬で行ってみる」
惟光はとんでもないことと思うが、主人源氏の心を思うと、つい自分も気が弱くなって
「そのようにお思いになるならば、仕方ございません。早く、お出かけあそばして、夜が更けない前にお帰りあそばしませ」
と答えた。
源氏は最近のお忍び用に作った、狩衣の衣装に着替えなどしてでかける。
体の調子が朝よりも悪くなったように感じ、このように分からない山道に出かけて行ってもしもの事でもあると、と一瞬心細くなるが、やはり死んだ夕顔に引かれる心が強くて、「彼女の亡骸を見ないでは、来世で再び女の姿を見ることができない」という思いが心細さをおさえて、惟光と随身を従えて出発した。。山寺まではそれは遠く感じた。途中で十七日の月がさし昇って、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明の淡い明りに鳥辺野のほうが見えるというこんな不気味な景色の中を進んでいるのだが、源氏の恐怖心はもう麻痺してしまって恐ろしくも何とも思わない。夕顔の女を失った悲しみが胸一杯のまま、山寺の葬儀場に到着した。
周囲一帯ぞっとする恐ろしい感じのする所だが、板葺き屋根の粗末な家の横に仏を祀る堂を建ててお勤めしている尼の家は、まことに寂しい感じがする。御燈明の光が、微かに隙間から見える。その堂内から、夕顔の女に付き添った女房の右近がただ一人泣く声ばかりして、堂外に、法師たち二、三人が話をしながら、身体だけを堂の方を向いて数珠を繰りながら声を立てないで念仏を唱えているように見せかけていた。近くにある東山の寺々の夜の勤めの第一回目が終わって、付近はとても静かである。清水の方角を見ると灯がたくさん見えて多くの参詣人の気配が聞こえるようである。この尼の息子の僧が有り難い声で読経をするのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの血がすべて涙となって流れて出る気がした。
堂内に入いると、右近が灯火をつけて遺骸から屏風を隔てて臥していた。源氏はこの女がどんなに主人の死に侘しく思っているだろう、じっとその姿を見つめている。源氏は夕顔の遺体を気味悪くも感じず、とてもかわいらしい様子のまま、少しも変わった所がない冷たくなった手を握って、声を掛ける
「わたしに、もう一度、声だけでもお聞かせ下さい。お前と私はどのような前世からの因縁があったのだろうか、触れあったのは少しの間だが、心の限りを尽くして愛したのに、私を残して逝って、私を途方に暮れさせなさるのが、あまりのこと」
と、声も惜しまず、際限がないほどに泣き叫んだ。
葬儀に集まった僧たちは、源氏達一行を誰とは分からないにのであるが、子細ある高貴な方々の一行であろうと思い、そのような立派な方のお身内であろうと、皆、涙を落としたのだった。
源氏は右近に、このままここに置いておいたらどうなるかと
「さあ、私と共に二条へ参ろう」
と誘うが、
「長年、姫様が幼うございました時から、片時もお離れ申さず馴れ親しみお仕え申し上げてきた方に、急にこのようにお別れすることになって、私はどこに帰ったらよいのでございましょう。こんないたわしいお姿になったと、皆に申せましょうか。悲しいことはさておいても、皆にとやかく言われましょうことが、辛いことです」
と言って、泣き崩れ
「火葬の煙と一緒になって、私も後をお慕い申し上げます覚悟です」
と言う。源氏は、
作品名:私の読む「源氏物語」 ー7- 作家名:陽高慈雨