英雄の証
目を覆いたくなるような光景の中、アレクは全身に血を浴びながら、今がチャンスと魔導剣を地竜の眼に突き刺した。仲間の死を悼んでいる暇などなかった。
咆哮をあげる地竜。だが、まだ油断はならない。核はもうひとつ残っている。
だが、地竜は急に身動きを止めて動かなくなってしまった。核がひとつでは動くことができないのか?
動かなくなった地竜から目を離さぬまま、ラーザァーも身動きを止めて息を呑んだ。
動いている。地竜を纏う魔導が爆発的な力を発する。
誰もが眼を見張った。
天に向かって咆哮する地竜の背中が割れ、中から巨大な翼が生えたではないか。
舞い上がった竜は空の上から火炎を吐き地上を焼き尽くそうとする。状況は最悪と言えた。
アレクはすぐさま騎獣の元へ走った。
「逃げずに待っていてくれたのだな。いくぞイーラ!」
黒い翼をはためかせ、黒馬がアレクを乗せて天に舞い上がる。
炎の合間を掻い潜りアレクはイーラの背から力強く飛び上がった。アレクの手が竜の角を掴む。足が宙ぶらりんとなり、大きく首を振る竜からふり飛ばされそうになるが、アレクは手に力を入れてぐっと堪える。
「ムーミスト様のご加護のもとに!」
声を張り上げたアレクは魔導剣を竜の眼に突き刺した。
甲高い咆哮とともに落ちる竜からアレクはイーラの背中に飛び移った。
地響きを立てながら地面に落下した竜を空から見下げながら、アレクは手綱を引いて竜の真横にイーラを下ろした。
ローゼンにシルハンドを任せたキルスが、すぐさま地竜に駆け寄り核を調べた。
「鼓動はまだある。では、なぜ止まったのか……!?」
二つの核を破損させられ竜は落ちた。しかし、その両眼からは魔導が発せられている。
キルスの調べていた核が多く脈打ち魔導波と呼ばれる風を巻き起こした。
「逃げろ!」
キルスの叫びに従うまでもなく、近くにいたラーザァーは魔導波によって後方に吹き飛ばされてしまった。
アレク砂煙などから目を守るために顔の前に上げていた腕を下ろした。そして、目を見開いた。
闇よりも黒い触手のような何かがキルスの身体に巻きついていた。その触手は地竜の核から伸びているようだが、その正体はいったい?
シルハンドが声をあげながらキルスの元に急いだ。
「それは〈混沌〉だ!」
一同に衝撃が走る。
〈混沌〉とは天地創造以前の空間に存在していた世界の元が溶け合っていた〈はじまり〉の物質であると云われている。
〈混沌〉は人間には触れることも処理することもできないとされる。〈混沌〉は全ての物質を吸収し大きくなっていくので、特殊な術で封じ込めて隔離するしかない。
キルスが笑った。
「これが〈混沌〉と呼ばれるものか……大したことはない。お還り願おう!」
キルスを喰らおうとしていた〈混沌〉は核の中に戻っていき、封じられた。
目の前で起きた驚くべく現象にシルハンドは感嘆の声をあげた。
「まさか、ひとりで〈混沌〉を封じ込めようとは、さすがは神官長様だ」
アレクもシルハンドに続いた。
「〈混沌〉に巻きつかれ無事だったとは信じられぬ」
再びキルスは核を調べはじめた。もう、魔導の鼓動は全く感じられなかった。
「この両眼は後で持ち帰ろう。その前に君たちには〈血の雫〉を手に入れてもらわねばならない」
キルスは巨石を指差した。まだ〈血の雫〉がある洞窟の入り口は開かれていない。
先ほどの戦いでラーザァーがひとり減ってしまった。これで巨石が動かせるのか?
腕まくりをしたシルハンドがいち早く巨石の前に立った。
「このような巨石に行く手を塞がれていては、ラーザァーの名が嘆きをあげてしまう」
驚くべきことが起きた。シルハンドが魔導力を注ぐと同時に巨石が動きはじめたのだ。シルハンドは独りで巨石を動かしてしまった。
眼を丸くしているアレクの横でキルスが小さく呟いた。
「……あの男、大した食わせ者だな」
そして、続けて誰にも聞こえない声で呟きを漏らした。
「私は鎖を解いてはいないのだがな……」
キルスは足早に洞窟の前に向かい、見えない壁を消し去った。これで洞窟の中に入ることができる。
巨石を独りで動かしたというのに疲れを全く見せないシルハンドをアレクは不思議な顔をして見つめた。
「あれがおまえの実力か?」
この問いにシルハンドは笑みを浮かべただけで、気絶しているザヴォラムを担いで洞窟の中に消えてしまった。
残されたアレクは呆然と立ちすくんでしまった。
到底信じられないことだった。シルハインドは何時の間にあのような魔導力を身に着けたというのか?
巨石を動かしたシルハンドの魔導力が実力であるとすれば、昨日のアレクとの決闘は手を抜いていたとしか考えられない。
アレクは渋い顔をして洞窟の中に急いだ。
洞窟の中は壁自体が淡く輝き、明かりを照らさなくても奥の方まで見渡せた。
キルスの足が岩でできた杯の前で止まった。
大きな杯の中に紅い液体が満たされており、その中にキルスが手を浸けた瞬間、辺りは眩く輝いた。
キルスの親指と人差し指の間には〈血の雫〉が挟まれ、それは妖々とした紅い光を放っていた。
「まずはひとつ」
そう言うとキルスは宝石に散りばめられた小さな箱の中に〈血の雫〉を入れた。その作業を六回繰り返し、全ての〈血の雫〉を手に入れた。
手に入れた〈血の雫〉は一度神殿へ持ち帰り、そこで儀式を行った後にラーザァーに選ばれた者たちが服用して力を手に入れる。
洞窟の外に出たアレクがいち早く気がついた。
「ドラゴンがいない!?」
この言葉を受けてシルハンドは当たり見回した。
「本当だ……どこに?」
地竜を模った魔導具がなくなっているのだ。何者かが持ち去ったに違いない。しかし、この男にとってはそのようなことは、どうでもよいことだった。
「〈血の雫〉が手に入れられればそれでよい」
それだけを言ってキルスはすでに神殿へ足を向けていた。
暗い部屋に閉じこもるザッハークは心の底から打ち震えていた。
「この作品は俺の最高傑作だったのぞ!」
「だが、負けた」
厚いフードの中から声が聞こえた。
魔導具の散らかる乱雑とした部屋の中で、ザッハークは怒鳴り声をあげた。
「忌々しい魔導士どもが!」
「己の技量のなさを相手のせいにするか」
「なんだと貴様!」
「せっかくの機会を不意にしたのだ。残る機会は明日の儀式のみだろうな。おまえも出席できるのだろう、特権とやらで?」
ザッハークは魔導具つくりの腕を国で認められ、重要な式典などには必ず呼ばれることになっている。
明日神殿ではラーザァーたちに〈血の雫〉を授与する儀式が執り行われるのだ。ザッハークはその式典に呼ばれていた。
「明日の式典を見ておれ、おまえの目の前で〈血の雫〉を奪ってやる」
「その言葉、楽しみしていよう」
厚手のローブを纏った人影が部屋の奥に潜む闇の中に沈んでいく。
強固な守りを誇るメミスの都は内部から崩れはじめていた。
〈血の雫〉を手に入れて帰還した翌日、神殿にて神官たちや一部の貴族たちの立ち会いもと、巫女による儀式が執り行われた。
五人のラーザァーは巫女の前に横一列に並ばされてひざまずかされる。
作品名:英雄の証 作家名:秋月あきら(秋月瑛)