英雄の証
ラーザァーに一人の欠員の出たことにより、アレクが〈血の雫〉を二つ服用することになった。
巫女は自分の横に立つキルスの持つ箱から〈血の雫〉を摘み上げ、顔を上げたアレクの口の中に〈血の雫〉を置いた。
この場には魔導具つくりの名人と謳われるザッハークも出席していた。
?蟲?に操られているザッハークは、その地位を利用して難無くこの儀式の立ち会いを許されたのだ。
巫女が二人目のラーザァーの口に〈血の雫〉を入れようとした――その時!
ザッハークのさり気ない合図と共に数人の貴族たちと警備を勤めていたはずの兵士の数人までもが儀式の邪魔をしようと暴動を起こしたのだ。
突然のことに最初は何が起きたのかわからなかった。警備は完璧であったし、何よりもここにいる者たちは皆ムーミストを信仰しており、こんな暴挙をする者などいないはずだった。
襲い掛かって来る兵士の身体をアレクは光の鎖で縛り上げた。
「これはどういうことだ!?」
アレクには状況が呑み込めなかった。だが、事態は確かに今ここ起きてしまっている。その事態に神官長のキルスがいち早く動いた。
「命に代えても巫女を守れ!」
ザヴォラムがすぐに巫女の護衛にまわる。そして、襲い来る者どもを光の鎖で縛り上げる。
黒い瞳が輝きキルスの身体からローゼンが放たれ、世界を光色に彩る。
迸る閃光の中、ザッハークは〈血の雫〉を盗み出そうとしていた。
他の敵に気を取られていたキルスの身体に飛び掛かるザッハーク。キルスが持っていた箱から〈血の雫〉が宙を舞い、地面に散乱した。
地面に転がった〈血の雫〉を拾おうとするザッハークにキルスは怒鳴りつけた。
「貴様の差し金かザッハーク!」
「俺はこの国の覇者となるのだ!」
大声を上げたザッハークの身体に光の縄が巻きつけられた。
伸びた縄の先をしっかりと掴むアレク。
「伯父様が主犯なのですか!」
ザッハークを取られたアレクであったが、光の縄は霞と化してしまった。
「俺の法衣は特別な生地で作られている。ひよっこの魔導など通用せんのだよ!」
アレクの伯父は悪い噂しかを聞かないような者ではあったが、アレクは自分の伯父がこんな暴挙に出るなど思ってもいなかった。
ザッハーク以外の反逆者はすでに捕らえられていた。この場にいた魔導士たちは清栄ばかり、反逆など起こしても失敗に終わることは目に見えていた。
魔導士たちに囲まれたザッハークは不適な笑みを浮かべた。
「これで勝ったとでも思っているのか?」
ザッハークは魔導具つくりの名人であり、その魔導力はこの国でもトップクラスだった。
地面が激しく揺れ、ザッハークの身体を迫り上げながら床を砕き地中から何かが現れた。
それは石の巨人――ゴーレムだった。
体長五メティート(約六メートル)ほどのゴーレム肩にザッハークは乗り、奥の方で魔導士たちに守られている巫女を睨付けた。
「この国は俺のものだ、はははっ!」
巫女の横に立っていたザヴォラムが、巫女の身体を自分の背中に隠した。
「ザッハーク殿、この度の愚行は赦し難い。貴族は死刑を免除されるとは言えど、貴方様は万死に値する大罪を犯した!」
「ならば俺を殺せばよい。殺せるものならな!」
声を張り上げるザッハークの真後ろで声が響いた。
「その勝負受けた!」
魔導剣を構えるシルハンドがザッハークに襲い掛かる。それに向けてゴーレムの拳が振り上げられる。だが、ゴーレムの拳とシルハンドの剣は後一歩ところで静止させられた。
「これ以上、神聖なる神殿内で暴れるのは止してもらおう!」
巨大なゴーレムの拳とシルハンドの剣の間に立ったキルスが魔導壁を構築していた。
ゴーレムはキルスの張った魔導壁を押し壊そうとするがびくともしない。
「何をやっておるのだゴーレム! こんな若造の作った魔導壁など壊してしまえ!」
「まずはシルハンドよ、剣を収めよ。そして、ザッハーク!」
キルスの漆黒の魔眼で睨みつけられたゴーレムが粉砕した。
床に落ちたザッハークは尻餅を付いて脅えた表情をした。
「神官長の魔導力がこれほどまでとは!」
世界一の魔導力を持つと謳われるメミスの神官長。その真の実力を知る者はいない。
腰を抜かしながら逃げようとするザッハークの身体を魔導で作られた漆黒の縄が拘束した。
「逃がしはせぬぞザッハーク!」
漆黒の縄を掴むキルス。ザッハークの顔の前にはローゼンが立ちはだかり。ザッハークは逃げ場を失った。
生気を失ったザッハークは地面にうな垂れた。
ザッハークの暴挙は失敗に終わり、彼の身は処分が決まるまでの間、幽閉されることになった。だが、しかし――。
暴動の最中に紛失した〈血の雫〉が見つからない。ここにいた誰もが蒼い顔をする中、キルスの黒瞳がある人物を見据えた。
「〈血の雫〉を返してもらおう」
この言葉を聞いたアレクは唖然とした。近くにいたザヴォラムもだ。
「俺が〈血の雫〉を隠したとでも?」
キルスの黒瞳はシルハンドの瞳を見据えていた。
対峙するキルスとシルハンドを誰もが動きを止めて見守った。
息をする音が聞こえてくるくらいの静寂が訪れる。
アレクは息を呑み込みやっとの思いで言葉を搾り出した。
「まさか、シルハンドがそのようなことを……。キルス様の思い違いでは……?」
シルハンドが微笑った。
「さすがはキルス様だ」
「君は私を見くびっていたようだ」
相手から決して目を放さず、キルスがゆったりとした歩調でシルハンドに近づく。だが、その足が止められる。シルハンドが両拳を前に差し出し開き、その両手には2つずつ、計4つの〈血の雫〉が乗せられていた。その数は紛失した〈血の雫〉の数と合致する。
「俺はこれを返す気は毛頭ない」
強く握られたシルハンドの拳。彼をその拳をゆっくりと開き下に向けた。美しく輝く紅い砂が空気の中を舞いながら儚く地面に零れ落ちた。
これにはさすがのキルスも眼を剥いた。アレクにいたっては衝撃のあまり床に膝をついてしまった。
なぜ、シルハンドが?
シルハンドが行った行為を理解するのに時間がかかった。これはザッハークと同じ叛逆行為であった。シルハンドは裏切ったのだ。
口元を歪めたシルハンドの掌がキルスに向けられる。
「神々が世界を支配する時代は終わりを迎える」
「神に遣える私に牙を向けるか?」
「そうだ」
シルハンドの掌から黒いエネルギー体が放たれ、キルスはすぐさま身体の内に閉じ込めてあったローゼンを解き放った。
ローゼンの光が闇を消し去り、シルハンドをも呑み込んでしまおうとしたのだが、シルハンドが張った魔導壁によってローゼンの身体が大きく跳ね飛ばされてしまった。
シルハンドの口元が歪む。
「不覚をとったザヴォラム」
シルハンドが開けた口の中から真っ赤な雫が零れ落ちた。
血を吐いたシルハンドの背後にはザヴォラムが寄りかかるように立っていた。
「シルハンド! 貴公がなぜこのような行為を!」
声を張り上げるザヴォラムの手には魔導剣がしっかりと握られ、その切っ先はシルハンドの腹を貫いていた。
静まり返った神殿内にアレクの叫びが木霊する。
「シルハンドーっ!」
作品名:英雄の証 作家名:秋月あきら(秋月瑛)