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湖畔の狂気【三】



「煙突」「湖」「執事」

********** 

 私は十条家にお仕えする小島と申します。お仕えして30年は経ちました。
 十条家は緑豊かで空気が綺麗な星降高原にある満月湖の畔にあります。
 十条家の屋敷は、橙や茶色の煉瓦造りの洋館で、大変美しい外観をしております。この四季折々に美しい姿を見せる星降高原に似つかわしいお屋敷です。
 さて、私はつい先ほど同僚の笹原を殺してしまったところでした。大広間の暖炉から煤が落ちてくるということで、笹原が屋根に上って確認しているところを後ろから近づいて、突き落としました。業者を呼べばよかったのに、この男は自分で屋根に上って確認するから、私にとって絶好のチャンスだったのです。このチャンスを私は逃すはずがありません。
 笹原は滑落による転落死ということで、その死を皆に悲しまれました。その中でも特に悲しんでいたのは十条家の次女の美香様でした。美香様は大学3年生です。美香様は大学で法学を学び、法曹関係の仕事を目指すほど非常に優秀な女性でありました。
 しかしながら、1つだけ愚かな点がありました。それは私の同僚笹原と恋仲の関係にあったことです。
 笹原は美香様より10歳ほど年上でした。そして、彼には妻もいました。美香様と笹原の関係は、いわゆる不倫という関係にありました。私はそれが許せませんでした。由緒ある十条家の娘に対して不貞を働き、不倫という汚名を着せようとする笹原が許せませんでした。周りにその下品な関係が明るみに出る前に、私は闇の内に葬ってしまおうと、笹原を殺したのです。
 美香様の人間的経歴に傷がつく前に、方を付けることが出来て、私は満足しました。
 そして、しばらくしてから、私は十条の旦那様からお呼び出しを受けました。旦那様が待つ書斎へ私はお邪魔致します。
 カーテンを閉め、隙間から漏れる光だけが照明の薄暗い部屋で、旦那様は私に尋ねました。
「小島、笹原は本当に煙突から落ちただけなのか?」
 私はどきりとしました。心臓がひゅんとすくみ上りました。それでも、動揺を見せまいと私は平静を装いながら答えます。
「ええ、そうだと私はお伺いしております。」
「なるほど。」
 旦那様の表情は部屋がうす暗いため、判別することが出来ません。同じく私の表情も旦那様から見えないようになっているのでしょうか。
「小島、笹原と美香が懇ろの仲になっていたことは知っていたか?」
 私は背中から体温が奪われていくような、ぞっとする悪寒を感じました。旦那様は既にお気づきになっていたのですね。
 私は旦那様の目を見ることが出来ずに、顔を伏せます。
「小島、顔を上げなさい。美香はまだ若い。今回のことは若気の至りだったのだ。笹原如きに美香をくれてやるつもりもなかったし、これで良かった。美香もいい勉強になったであろう。美香にはもっとふさわしい男性を宛がうつもりだ。」
 旦那様の声はお優しいものでした。それでも、私は顔を上げることが出来ませんでした。
 私はこの十条家に30年以上お仕えする身として、このような戯言を旦那様の耳に届けることはあってはいけなかったのです。せっかく笹原を始末したというのに、笹原と美香様の関係が旦那様の知るところとなってしまっては意味がないのです。十条家の平穏と秩序を形成することが私小島の役目だというのに、何たる不覚。もっと早くに笹原に手をかけていれば、このような失態をお見せすることもなかったのに。
「小島よ、お前がやったことは間違ってはいなかった。お前は十条家の執事として私の一番信頼出来るところにいるよ。これからも、十条家のために力を尽くしていってくれ。」
 嗚呼、流石十条の血を継ぐ旦那様。こんな私の失態にお咎めなしとは。
 旦那様の心は満月湖の如く広く寛大です。
 私は死ぬまで十条家に、この身を捧げる所存でございます。
 


作品名:お題に挑戦 作家名:藍澤 昴