少女な君は少し大人へ
僕は驚いた――朝香は前述のような性格であるから、朝イチの講義は高い確率でサボるし、自身もそれをよく分かっているからその時間に講義はなるべく入れないようにしていたはずだ。彼女は大学を就職への一通過点としか見ていなかったし、勤勉でもないから時たま授業をすっぽかし、そして要領もいいからちゃっかり単位を獲得するのだ。彼女はそういう人間だった。無駄を排し、なるべく少ない浪費で最高の結果を掴みとる、天才型で努力や頑張る事が嫌いな、そういう人間だった。
そんな彼女が一限目の講義を受ける為に急いで着換えている?
なんてことだ。信じられない。
「ああ、そうだ」
すでに着換え終わり鞄を背負って、彼女は僕に話しかける。
「今日、お祭があるじゃない?えっと……あそこで」
「……ん、ああ、あそこの神社のこと?」
このマンションの近所には、名前は知らないがとても大きな神社があって、年に数回そこで祭のようなものが行われる。具体的に何をやっているのかは分からないが、色んな屋台が境内に現れ、それを見物するためにやってくる人々も多い。
「そうそう。あそこの神社のお祭なんだけどさ、今夜行かない?色々屋台とか出てるみたいじゃない」
「祭……まあ、僕は、いいけど」
「じゃあ、五時くらいには帰ってくるから、ご飯用意しなくていいからね」
「わかった……」
そういった会話の後、いってきます、という言葉と共に彼女は家を出た。確かにそれはいつも通りの朝の光景ではあったが、僕は頭の中はとてつもなく大きくて、不快な違和感でいっぱいだった。
――もしかしたら、もしかしたら昨夜このアパートにUFOがやってきて、僕らが眠っているうちに宇宙人達が朝香と、精巧に似せられたスパイ宇宙人を取りかえておいたのかもしれない。だとしたら、さっきまで僕が話していた朝香は一皮剥けば緑色の肌で目が異常に大きい、グロテスクな異星の住民なのだろう。だとしたら、今頃本物の朝香は宇宙の彼方の宇宙船の中で、宇宙人に囲まれ人体実験をされているのだろうし、もしかしたらもう死んでるのかもしれない。
馬鹿馬鹿しい妄想だ。だが、今の僕にはそんな空想が本物であるように思えて仕方がなかった。
4
そういった不安と妄想が頭の中で入り混じり、ミキサーで掻き混ぜられたかの如くグチャグチャになったせいか、今一つ僕は仕事をこなす事ができなかった。パソコンの前に座って、さあ書こうとしても、頭の中に思い浮かんでくるのは、決して文章や長編小説のアイデアや面白い記事のネタではなく、朝香の変わり様についてのみだった。確かにフランス革命のような激しい締切が過ぎて、精神的にも肉体的にも落ち着いてしまった、という事もあった。特に切羽詰って無理する必要もなく、つい数日まで猛烈に仕事をしていたから、『今日は少しサボってもいいか』という気分に嫌でもなってしまう。これは誰にでも当てはまる事ではないだろうか。
とは言っても、僕の仕事は文章を書くこと以外にももちろんあって僕が記事を掲載している雑誌の編集部の、所謂インターネット会議に十時から――否が応でも――参加せねばならなかった。とは言っても、そんな大層なものではなく、とどのつまり面白い話題のネタ出しみたいなものだ。今日、どこかに取材しなければならないというわけではないし、別段会社で仕事せねばならない場合以外は、こうやって自宅で、所謂テレビ電話な会議をするという事が許されていた。というよりセンセーションを名乗る彼らマイナー雑誌社にとって、それは流行と言ったほうが正しかった。
『文章を書くことにおいて、自分がまず満足するようなモノは絶対に書いちゃあいけない。まず他人を満足させるような形を作り、そこで自分の想いをブチ込むんだ』――その雑誌の編集長をされていて、僕の尊敬するライターの一人である大島さんが口癖のように良く言った台詞だ。僕ももちろんそうだと思うし、小説を書く時自由由気ままではなくある程度客観的な視点をもって書くよう心掛けた。自分だけが満足する作品なんてオナニーでしかないし、それでは自らの伝えたい事も上手く届かない。『自分の気持ちを込める』というのも大切なのだけれど、『面白いものを書く』という信念もまた必要不可欠なのだ。
十時になって、いつものようにスカイプで人々と仕事の話をしている時、いつの間にか僕はこれらの事を考えていた。同僚たちも、いつもは積極的に話す僕を心配してか声をかけてきたが、僕は上手く返事を返す事ができなかった。僕の頭の中では今まで書いてきた小説や雑誌記事がぐるぐると渦をまいて混ざり合い、それが精神を侵蝕して僕に後悔と絶望を与えていた。そして、その隅っこの方に朝香がいるのだ。朝香は大学生だし、彼女は家庭的な事は何一つできないけれど勉強はできる方だし頭のキレだっていい。そういう彼女が、収入の乏しいライターの僕のところにこれからも居ていいのだろうか。もちろん僕は彼女を愛している。離れたくない。でも同時に僕は彼女に相応しくない、ともう一人の自分が囁く。それが、僕を苦しめる。不安と後悔と、絶望を膨らます。
「――では××の件に関しては、僕と後藤が皆さんの案をもとに初期案を作るので、次はそれの推敲からやっていきましょう。水元さんも、大丈夫ですよね?」
司会を務めていた山城が、締めの言葉に加えて僕に確認を求めてきた。一応チームの中では僕が古株だから、皆は僕に気を使ってくる。もちろん僕も大物顔する気はないのであくまで対等な立場で彼らと色々やっている。
僕はわざと声色を高くしてメンバーを安心させるかのように返事を返す。
「いいや、大丈夫だよ。俺は○○と△△の連載をこれまで書いて、あとは一週間後に山城と□□さんのところに取材だよね。それについての詳しい事は改めて俺からメールするよ。あとはほかにあったけ?」
「いえ、その通りですよ。すいません、穿ってしまって」
山城の声からは本当に申し訳ないというような感情がじかに伝わってくるようだった。しかし、すぐに明るい、というより調子の乗った声が被さってくる。
「水元さん!えっと、今日なんか変でしたね。風邪ですか?」
――これは相田の声だ。彼は軽快で読んでいて気分のいいコラムを書くのだが、文章構成が幾分上手くないのがたまにキズだ。
「いや、何でもないよ。ごめんな、今日は」
「もしかして、恋人となんかあったんですか?」
「いやいや」
口ごもらし誤魔化して僕はその質問を避ける。世間的には十歳以上離れた学生と付き合っているという事は非難されるものなのだ。
5
その後については特筆する事がない、普段通りの日常であった。僕はパソコンをスリープモードにして台所に行き、いつものように昼食を作り始めた。まず鍋で水を沸騰させ麺を投入し、パスタが茹で上がる七分間にコーヒーを作りあげる。そして即席のミートソースを温めておき、茹で上がった麺を皿に盛りつけそのミートソースを適当にかけ、そうして、僕はテレビを見ながら昼食をとった。昼食がペペロンチーノやたらこパスタでないだけで、それはいつも通りの昼だった。テレビに映る映像だって、いつもと同じような内容だったのだ。
作品名:少女な君は少し大人へ 作家名:月山馨瑞