Zeit der Praxis 特訓タイム
ティカの台所は、刻んだサカナ草の生ぐさい臭いで充満していた。
今まで精々、一日に傷薬ひと瓶分を刻んだぐらいの
覚えしかない彼女には相当堪えるきついものだ。
サカナ草はその生魚のような強い臭いからその名が付けられている。
レミーいわく遠い東の国では、魚料理のハーブに使われる事もあるというが、
その国に生えているサカナ草は、実はここ、ナンターレ東部のものほど臭いはきつくないのだ。
その上ハーブ扱いなのだから、そもそも彼女の目の前にあるような、
ペースト状なのに、ミルクパンからはみ出しそうなほどは使わないだろう。
「く…くさ、ナマグサ…」
あまりの臭いにティカの目は潤んでいた。
「ホレ」
レミーが両脇に紐が着いた厚い布をそろりと彼女の鼻に当てた。
「つけりゃマシになんよ。 サカナ草は臭いだけだけど、
吸いこむと体に良くないのを使うことあるから」
ティカは良く分からないまま当てられた布の紐を耳にかける。
臭いが大分遮られて少し楽になった。
「…も、いいな」
レミーが自身の煮込む鍋の煙を手で扇ぎ、厚い手袋をはめると
瓶のひとつを残して、他の瓶は布巾を敷いたカウンターに上げる。
ティカの傷薬の元は、小瓶に分けたハチミツ入りのものを除いて
ミルクパンにそのまま入れて煮込んであるが、
レミーは湯を沸かした鍋の中に寸胴なガラス瓶を入れ、その中に
先のサカナ草のペーストを注いで加熱しているようだ。
少し後で、ティカも薬瓶ひとつ分、この生臭いペーストを残して
適当なサラダボウルに取り分けた。
言葉は無い。 少なくともティカは、すぐ横の先輩に、
自身の調合の腕を失望されたら… という不安からの緊張で、やや強張った
表情をしている事はわかるが、
レミーはいつも通りの物ぐさな面持ちのままだ。
すぐ横の後輩をどう思っているか、などは全く見当もつかない。
手が空いてきたティカは、閉めていた台所の窓を開ける。
あたりをふらついていた老人達は、持ち主のいない畑から適当に
リンゴをもいで、遅いおやつとしゃれこんでいるのが見えた。
…台所を見回す。
「もうれつに汚いね」
調理器具もカウンターも何処も彼処も、もれなく真緑の飛沫を喰らっている。
各々最後のひと瓶分を鍋から上げながら、
掃除なんか投げ出して休みたい、そんな年頃の気持ちを
二人は何とか抑えていた。
作品名:Zeit der Praxis 特訓タイム 作家名:靴ベラジカ