WonderLand(中)
あたしは孤児院にいた名無し子だったそうだ。育てられなくて苦悩の末に孤児院の前に置かれたのではなく、裸同然の姿でゴミ箱に捨てられていたのを、近くの孤児院の職員が見つけ、保護したそうだ。ナイトは、友人の紹介で里親募集していたのを引き取った子どもだったらしい。どういう経緯で孤児になったのかという詳細は、父と母でさえ知らされていないという。
気が付くと、あたしには感情がなくなっていた。怒りも、悲しさも、何も浮かんでこない。すべてが、自分のことではないような気がする。自分は自分のすぐ前に居て、あたしはその後ろでただ虚無を見つめているだけのような気がする。
「あなたはあたしと同じ、陰の世界に産み落とされたの」
やさしく囁きかけるように、ウサギが云った。
「ただ、陰の世界に戻ってきただけなのよ。そうね、おかえりって言葉が、ぴったりかしら」
そう云うと、もう一つのグラスにワインを注ぎ、あたしに渡した。
「乾杯しましょう、あなたの帰省に」
乾杯、とウサギがあたしのグラスにかつんと自分のグラスを軽く当て、赤黒い液体をごくごくと飲み干した。あたしも、その液体を口に含んだ。
初めて飲んだワインは、鉄の味がした。
あたしは父の起床を待たず、一人帰路についた。部屋を出るときに、ウサギはあたしに五千円札を一枚渡した。父の財布から抜いた五千円だった。
「取っておきなさい。これは、あなたへの報酬よ。誰かに見られてのセックス、とても興奮したわ。あなたは、あたしとパパのセックスに貢献したのよ」
その五千円札を握り締め、あたしはホテルを出た。時刻は九時を回っていた。
携帯電話の電源を入れると、母からメールが入っていた。
「塾終わった?帰りは何時くらい?」
何も知らない、幸せなメールだった。日向に居る人間のメールだった。
週末だからか、多くの人で大阪の町は賑わっていた。その中を歩きながら、あたしは握り締めた五千円札のことを思い出した。ぎゅっと握り締めていたせいか、紙幣はぐちゃぐちゃになっている。
五千円札を握り締めたまま、あたしは文房具屋に入った。
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あたしが何を知り、何を見ようとも、世界は変わらない。
作品名:WonderLand(中) 作家名:紅月一花