Days
後から考えるとなぜそうしたのか分からないことがたくさんあって、そうしたかったからとしか理由づけ出来ないことが山ほどある。私が後ろから恩に抱き付いたのは、そうしたよくある事柄の一つに過ぎない。理由は、そうしたかったからだ。
「どうしたの、いきなり?」
「……分かんないよ。恩のことだって、私のことだって…」
赤い傘は宙に投げ出され、そのまま黙って着地した。
「どこにも行っちゃだめだよ。ずっと私と一緒にいるんだよ…」
言葉は無力だ。偽ることに努力は必要ない。それでも確かめたくて、言葉にしてみる。恩は私の方に向き直って、黙ってそのまま抱きしめてくれた。優しくて温かい、変わらない。
「……覚えてて。都々里は一人じゃないよ。僕がそばにいるんだから」
言葉に頼った時点で人類は負け組だ。優しい言葉も辛い言葉も、何が本当で何が嘘かも、本当のことは背を向けたまま。そうであっても、私は彼の言葉を信じる。言葉を突き抜けたその場所に、恩がいる。
恩は放り出された私の傘を拾った。しかしそこからアパートまで、私は彼の傘の下に入ったまま歩き続けた。私の歩幅に合わせて恩はゆっくり歩いてくれた。
「せめて荷物は都々里が持ってよ」
「私、傘より重たい物は持てないから」
こんなどうしようもない平平凡凡でつまらない会話をしながら歩いていけたらいい。荷物は最後まで恩が持っていた。二人を取り巻く雨の音が、今日ばかりは楽しく聴こえた。
301号の部屋の前には、まだ乾ききらない傘が二本、互いに寄り添うように立っている。