銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第二部
次の停車駅である佐倉駅を出てからは、単線になる。しかし、そこで分岐した成田線の線路が2キロほど並んで走る。成田線の方は複線だ。その2キロの区間だけは、複線の次に線路が多い、〝三線〟ように見える。成田線が分かれて名実共に単線になると、これは終点の銚子駅まで変わらず。途中の駅では、列車同士の待ち合わせも行われる。
特急しおさい1号は、田園風景の中を走って八街駅に到着。この駅の駅名票を写真に撮りたかった。学生時代の友人に、この八街市出身のやつがいる。そいつに駅名票の写真を送ろうと思った。しかし、残念ながら目の前に駅名票はなかった。その代わりに、駅前にある〝八街儀式殿〟と書かれた葬儀場が見えたので、それを車内からスマートフォンで撮影し、そいつにメールで送った。3年に1回ぐらいしか返信しないやつなので、何も返信は来ないだろうけれど。
八街駅を出て、のんびりとした景色の中を行く。どんな言葉でこの風景をあのひとに説明しようか。日向駅を通過し、さらに走って成東駅に到着。〝休日おでかけパス〟のエリアはここまで。手軽に買えて、手軽に近場の旅ができるという印象のあるそれのエリアの外に出る。随分と遠くまで行くのだなあ。
成東駅から先も平野部を走るけれど、線路は九十九里浜からの距離は5キロほどなのだとか。それでも、車窓から海を見ることはできず、九十九里浜を見ることもできない。次に止まる八日市場駅を出た先で、干潟駅を通過する。そういう名前の駅があるぐらいだから、それほど海も離れていないのだろうなあということがうかがえる。
その干潟駅を通過すると、すぐに旭駅に到着する。個人的には切ないことを思い出す名前のその駅が、最後の途中停車駅。そこを出てしばらく走ると、車窓からは不気味なほど巨大な風車が見える。風力発電用のものだ。銚子周辺の風が1年を通して安定していることから、様々な事業者が三十基以上もの風車を設置しているそうだ。
その先、松岸駅で再び成田線と合流する。辺りの景色も、心なしかさっきよりも賑やかになってきた。家も多い風景の中、特急しおさい1号は、2時間ほどの道のりを駆け抜けて、銚子駅に到着した。
銚子には、今でも忘れられない印象的な思い出がある。駅に降り立った途端、その思い出が、ふっと頭をよぎった。
第六章 銚子の思い出
北野武監督の映画、『菊次郎の夏』をご存じだろうか。ビートたけし扮する菊次郎が祖母と暮らす少年、正男と共に正男の母親を探して旅をする話だ。旅をしているうちに、いつしか菊次郎と正男にも交流が生まれ、ようやく母親との対面を果たすが、そこで正男は母親が再婚していることを目の当たりにしてしまう。そんなストーリーが、何とももの悲しい。また、北野監督の映画と言えば、鋭利なバイオレンスシーンが多い。だが、この映画ではそれが一切排除されている。もの悲しさもある反面、心温まる映画だ。
いつか『菊次郎の夏』のような旅をしてみたいと憧れていた。それが、ひょんなことから、似たような形で実現した。それが今から2年前の、2012年を迎えたばかりの頃。冬の銚子へ足を運んだ時のことだった。銚子駅から外川行きの列車に乗っている時、誰かが僕に声をかけた。
「観光ですか?」
声がした方を見ると、小学生4年生か5年生ぐらいの少年がいた。
「はい。そうですが……」
僕はそう答えた。それがきっかけで、話が弾んだ。聞けば、銚子に住む小学六年生なのだという。休みの日は〝弧廻手形〟という銚子電鉄のフリー切符を買って、銚子電鉄に乗って遊んでいるのだとか。
そうやって話しているうちに、
「ご一緒しても宜しいですか?」
と、彼が言った。もちろん、僕はそれを快諾した。こうして、僕と彼の旅は始まった。
彼がいなかったら、まずは一人で終点の外川駅へ向かうつもりだった。その行程は変えず、彼と外川へ向かう。その道中でも、彼とたくさん話した。そのうちに、いつしか彼とも打ち解け合っていた。まるで昨日も、ずっとその前にも、いつも会っている友達のよう感じになっていた。
外川駅に着き、そこから外川漁港の近くを二人で歩いた。また、外川駅のすぐ近くにある、〝ミニ資料館〟にも行った。外川周辺の歴史に関する資料や銚子電鉄の写真がたくさん展示されていた。また、そこを切り盛りするおばあさんによる説明も面白かった。かつて、銚子の漁師は潮の流れに苦しめられたそうだった。その話の節で、
「自然界には人間がコントロールできないものなんて、たくさんある。だから原発なんかやるもんじゃない。いいか、これは私の遺言だ」
と言っていたのが印象的だった。彼にそのおばあさんの話がどう響いたか分からないけれど、〝ミニ資料館〟がとても気に入ったようだった。後から、次はどこへ行こうかと話す度に、彼はしきりに〝ミニ資料館〟の名前を出していた。半ば冗談だったのかも知れないけれど。
その〝ミニ資料館〟の見学を終えて、次は名前だけは聞いたことのある、〝地球の丸く見える丘展望館〟へ向かうことになった。銚子電鉄の線路から離れた所にあるようだが、外川からも歩いて行けるようだった。彼に道案内を頼んだ。
歩いているうちに、キャベツ畑の中の坂道になってきた。澄み渡る青空の下で、遠くには海が見える。二人してそんな中を歩いているうちに、僕はふと、
〈ああ、『菊次郎の夏』のワンシーンみたいだな〉
と思った。
当時の僕は27歳で、彼は12歳。親子にしては年がくっつきすぎているし、兄弟にしては年が離れすぎている。だけれど、いつしか目に見えぬ友情で結ばれていた。それはまさに、季節やシチュエーションなどは違えど、『菊次郎の夏』の世界だった。
20分ほど坂道を歩き〝地球の丸く見える丘展望館〟にたどり着いた。屋上の展望台から、二人で海を眺めた。彼は遠くに見える建物などの一つ一つについて説明してくれた。さっきの特急列車から見えた風車がここからも見えたし、さらに遠くには、鹿島工業地帯も見ることができた。展望台から海を眺めた後、その下の階にある喫茶店で一休み。僕はビールを飲み、彼はコーヒーを飲んだ。
その後は、犬吠埼へ行くことになった。さっきとは違う坂道を下っていると、満願寺という寺の近くに来た。せっかくなのでお参りして行き、また坂道を下って行く。犬吠駅の前を通り、もうすぐで犬吠埼という所で、水族館に出くわした。彼によると、坂の中腹にあるそこでは、イルカショーも行われているが、それが坂から丸見えなのだとか。この時はショーも行われていなかった。本当に丸見えなのか、気になった。
僕にとっては初めての犬吠埼では、灯台にも上った。また、近くの土産物屋に併設されているレストランで、昼飯も食べた。僕のおごりだった。銚子の海産物を使った料理が多く、僕は魚介類のどっさり載ったラーメンとレモンサワーを注文した。彼も何を食べようか迷っていたけれど、結局、カレーライスとサイダーを注文した。二人で食べながら飲みながら談笑を交わし、店を出て犬吠駅へ向かう。途中で横を通ったさっきの水族館では、イルカショーが行われていた。本当に彼の言う通り、そこで行われていたショーは、坂から丸見えだった。
作品名:銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第二部 作家名:ゴメス