銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第二部
これから乗る列車は、銚子行きの特急しおさい1号。長いエスカレーターを2つも下って、その列車が発車する乗り場へ行く。総武快速線と横須賀線の乗り場は、地底深くにある。乗り場にたどり着くと、すでに列車は入線していた。まだ乗車はできず、車内清掃の最中だった。列車の写真を撮って乗車開始を待つ。すると、運行情報を知らせる案内放送が入った。やはり総武快速線も、横須賀線の事故のあおりを受けているようだ。特急しおさい1号も、現時点では発車時刻が未定とのこと。何と、ここへ来て予定が狂うことになってしまうのだろうか。途方に暮れていないと言えば嘘になる。だが、時間通りに発車できるとの案内放送が入ったので一安心。車内清掃も終わり、乗車開始となった。
銚子行きの特急しおさい号には、〝255系〟と〝E257系〟という2種類の電車が使われている。今回のしおさい1号は、〝255系〟で運転される。これから乗るその電車は、1993年に内房線や外房線など、千葉方面への列車に使用する車両として登場した。カラーリングも白を基調として、海の青や菜の花の黄色など、千葉県の自然をイメージした色が使われている。これは2004年に同じ用途で登場した〝E257系〟もほぼ同じ。
9両編成の後ろから2両目に乗り、発車時刻を待つ。あのひとがいればなあと思いながら、缶チューハイを飲む。そのうちに、車内放送が入った。到着時刻などの案内放送だったが、聞いていて驚いた。この列車に車内販売はないのだとか。休日だからあると思っていたのだけれど……。車内販売のある特急列車というのも、もう過去帳入りしてしまうのだろうか。いずれにせよ、お茶も缶チューハイも大事に飲まなければいけない。
この車内販売がないことに唖然としていうるうちに、特急しおさい1号は、何の前触れもなく銚子駅へ向かって動き出した。最初に止まるのは錦糸町駅。その手前まで地下を走る。錦糸町駅への到着を告げる案内放送が入った頃に地上に出ると、一気に車内も明るくなる。そこには綺麗な青空があった。東京スカイツリーも近くに見える。気分のいい風景だ。一人で缶チューハイを飲みながら眺めているのがもったいない。
ここから先は、御茶ノ水方面からの緩行線も並んで走る。錦糸町やこの先の小岩の辺りは飲み屋なども多い場所なので、車窓から見える街も賑やかだ。のんびりと走る緩行線の列車を見ながら、特急しおさい1号は、銚子に向かって颯爽と走って行く。
途中で通過した亀戸駅には、東武亀戸線も乗り入れている。2両編成の列車が曳舟駅との間を行き来している都会のローカル線だ。その乗り場には、もはや風前の灯火と言われている〝8000系〟という白い旧型電車が止まっていた。同じ東武線でも、東上線などの大きな路線ではほとんど走っていないと聞く。ローカル線では、まだまだ元気に走っているようだった。
それからさらに走って新小岩駅を通過し、長い鉄橋で江戸川を渡ると、いよいよ千葉県に入る。
社会人生活をスタートさせた会社とはまた別な会社に勤務をしていた時にも、何度か銚子に足を運んだことがある。中途採用でその会社に入社して、2ヶ月ほどが経った頃の話だっただろうか。銚子へ行く前日に、上司から、
「雨乞いをしてやる」
と言われたことがあった。そして旅に出た当日、この江戸川を渡って千葉県に入った途端に、本当に雨が降り出したことがあった。それも今ではいい思い出。
東京都内は、賑やかながら下町情緒のある景色の中を走っていた。それが千葉県内に入ると、今度は賑やかということは相変わらずだけれど、今度はベッドタウンという感じの風景になる。
そんな中で、遠くからやって来た東京メトロ東西線の高架橋が合流すると、西船橋駅を通過する。以前、競馬をやっていた頃は、よくこの駅から徒歩やシャトルバスで中山競馬場まで行ったものだった。今は競馬から足を洗ったので、もう行くこともないだろう。滅多に乗らない総武線だけれど、この駅は馴染み深い。まあ、この駅もいつも東西線で来ていたのだけれど。
西船橋駅を通過してからほどなくして、列車は船橋駅に到着。休日限定で停車するこの駅には、東武野田線も乗り入れている。その乗り場にも、さっき亀戸駅で見た〝8000系〟が止まっていた。野田線にも新型車両が続々と導入されている。なので、こちらを走る〝8000系〟も、なかなか見られないだろうなあと思えば、当たり前のように止まっていた。そう言えば、船橋市内に入ってから随分経つ。しかし、未だにただの一度だってあの〝ふなっしー〟を見ていない。
津田沼駅を過ぎ、緩行線の幕張本郷駅を過ぎると、上り線が離れて行く。それからしばらくすると、〝幕張総合車両センター〟という総武快速線や千葉県内のローカル線を走る電車のねぐらが現れる。止まっている電車は特急型以外、みんな銀色の電車だった。ステンレス製のそれは、意図的に耐用年数が10年と短く設定してある。省エネなどの観点からそうしてあるらしいのだけれど、鋼鉄製の電車に比べて、〝薄っぺらい〟という印象を受ける。悲しいかな、JR東日本の電車はしばらくはその〝薄っぺらい〟ものが主流となるようだ。
一人で見るには惜しいぐらいの晴れ晴れとした空の下、特急しおさい1号は、軽快に高架橋を走って行く。緩行線だけが止まる幕張駅とか、快速線も止まる稲毛駅などを通過すると、列車は千葉駅に到着。外房線などが分岐するジャンクション駅なので、大きくて広い駅だ。ここから乗ってくる人もいれば、ここで降りる人もいた。
この千葉駅までもれっきとした総武本線だけれど、通勤電車が出入りしていることもあって、〝総武線〟と呼ばれることが多い。どちらかと言えば、ここから先の方が〝総武本線〟と呼ばれることが多い。ここから先を走る列車の行き先表示器にも、〝総武本線〟と表示されている。緩行線はここまで。ここからは複線となって先へ進む。
千葉都市モノレールも沿って走る千葉駅から先は、郊外の住宅地という感じの風景だ。そんな風景の中を、列車に身をゆだねて進んで行く。都賀駅を通過し、千葉都市モノレールも見えなくなると、本当にのどかな場所になってしまう。
さて、〝総武線〟が〝総武本線〟になって最初の停車駅である四街道駅に着く頃には、東京駅で買った缶チューハイも飲み終えてしまった。この先は、残り少ないお茶で我慢するしかない。面白味のない道中だ。車内販売の取りやめは合理化のためだろうか。その合理化は、旅情までも奪ってしまったような気がする。
四街道駅の先、物井駅を過ぎて隣の佐倉駅まで向かう辺りは、広々とした田園地帯。列車も綺麗に見渡せるらしい。そのため、〝モノサク〟の通称で鉄道写真の愛好家、いわゆる〝撮り鉄〟が多く集まる撮影地となっている。僕は特にその〝撮り鉄〟というわけでもないので、あまり線路際での撮影はしない。それでも、ここはなかなかいい写真が撮れそう。ここへ来て写真を撮ってみたいと思う場所だった。
作品名:銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第二部 作家名:ゴメス