とうめいの季節 2
07.家出した日
自分はずっといい子だったと思う。自画自賛と言われようが、絶対そうだったと思う。
家業のせいで、巫女舞も覚えた。祭りや神事のための厳しい稽古も頑張った。
文句も言わずにやってきた。女の子なのに真剣を使った神事だって頑張った。
だって弟が。まだ五歳の伊吹が、六年生の自分よりも思い役目を負っているから。厳しい定めのもとに生まれてきたから。
だからお姉ちゃんの自分が、弱音を吐いてへこたれているわけにはいかなかったのだ。
だけど。
(・・・明日、友達みんなで映画に行く約束だったのに)
小夏(こなつ)は唇をかみ締める。明日は村祭り。祭りの際に京都からやってくる巫女さんが、急に来られなくなったという。代打が小夏に回ってきたのだった。
(巫女舞は嫌いじゃない。伊吹だって明日はお稚児さんのお役目がある。でも、明日はずーっと前から約束してた映画なのに。特別な日なのに)
村役から代理を頼まれ、思わず怒鳴った。そんなのってない。今まで真面目にやってきた、大人の都合で自分の楽しみを奪われるのは理不尽だとブチ切れた。
驚いたような大人達の中で、大伯父――神末穂積だけがいつものように穏やかな表情を浮かべていて、それが一層つらくて、飛び出してきたのだ。
(・・・お金、ちょっとはあるけど・・・どうしよう・・・)
着の身着のまま自転車で飛び出し、持ち物はカッカした頭で立ち寄った自分の部屋にあった、財布の入ったリュックだけ。
自転車で村を抜け、国道へ出る。秋の夜は早い。七時まえだというのに、街灯は漆黒の闇を浮かび上がらせている。
(・・・どこかにいけるわけもないんだ)
途中のバス停に自転車をとめ、小夏は古ぼけた小屋のベンチに座り込む。
(伊吹はいつか、神様と結婚して・・・そしてお役目様になる・・・)
生涯子どもを持つことも、村を出ることも許されない。あの幼く無垢な弟が、そんな運命に翻弄されるのだと思うと、胸が痛んだ。かわいそうだし、せつなかった。
(でも・・・わたしだって、好きなひとと結婚したい・・・)
仕事は自由に出来るだろう。しかし、めあわせられるのはきっと、家の決めた相手だろう。母の亜季もそうだったし、祖母の佐里もそうだった。
(母さんと父さんはラブラブだし、ばあちゃんもじいちゃんといて幸せだったっていうけど・・・あたしは好きになったひとと結婚したいな・・・)
明日の映画も・・・一緒に行くグループに好きな男の子がいる。すごく楽しみにしていたのだ。服も決めて、髪の毛だって綺麗に編みこんで・・・。
思うと涙がじんわり滲んで、なんだかすごく惨めになった。ほかの友だちは、きっとこんな思いなんてしてない。
(寒い・・・もうヤダ)
泣きそうになったとき、車も通らない道の向こうから、足音が聞こえてきた。
「小夏、いた」
バス停小屋に入ってきたのは、瑞だった。穂積の式神で、奇妙な同居人だ。綺麗な髪の色をした青年で、小夏が幼いときから容姿は全く変わっていない。
「・・・何よ。あたし帰らないからね」
「困った娘だなあ」
そう言って瑞は、小夏の隣に座った。
「自転車で飛び出すあたり、小夏は賢い」
「・・・・・・うるさい」
あたしの気持ちは、あんたなんかに絶対わかんない。リーリーリー、と虫たちの暢気な鳴き声にもイライラする。
「つらいな」
瑞はどうでもいいようにそう言って、小夏の髪を乱暴にかきまぜる。
「これを言うのは卑怯だがいいか」
「・・・・・・何よ」
「おまえの弟がギャン泣きして、穂積が手を焼いている」
「・・・!」
伊吹が。
自分よりずっと幼くて、ずっと重い運命を背負った弟が。
「おねえちゃんいかないで、戻ってきてって」
「・・・・・・バカ伊吹、姉ちゃんの家出の邪魔するなんてサイテーだよ・・・」
弟の自分を求めて泣く声が、耳のそばで聞こえるような錯覚。
帰るしかないではないか・・・。あの弟を置いて、自分だけが遠くに逃げることなんて、できるわけがない。
自分は伊吹の、たった一人のお姉ちゃんなんだから。
「よし乗れ小夏」
自転車を漕ぐ瑞の荷台に飛び乗る。夜の風景がどんどん流れていく。
「小夏、亜季や修二さんに口利きしてやるよ」
「なにを?」
「おまえが、せめて結婚するまでは自由にさせてやれって。高校は、都会に出てみたらどうだ。一人暮らしは無理でも、寮生活なら楽しいかもな」
そう言って笑う瑞の声は柔らかい。高校は都会に・・・、その言葉に胸が躍る。いいかもしれない。
「・・・ほんとに?」
「ん。これは、穂積が言い出したことなんだ。あいつも協力してくれるさ」
「大伯父様が・・・」
穂積の穏やかな顔が蘇り、なんだか涙がにじみそうになる。そっか、ちゃんとあたしのこと、考えてくれてるんだ・・・。自転車の荷台で、小夏は瑞の腰に回した手に力をこめる。
「ちなみに明日の巫女舞は俺に任せろ!」
「はあ!?」
「なんだ失礼な。おまえの巫女舞の稽古に付き合ってきたんだ、踊れるぞ」
「男じゃん・・・ばれちゃうよ」
「まかせとけ。俺と穂積のたくらみは、いつだって成功してる。おまえは映画行ってこいや」
村の明かりが見えてくる。暗い村に点々と灯る小さな光の群れは美しく儚い。
(これが・・・伊吹の守っていく村なんだ・・・)
こんなちっぽけな・・・。なのに美しい。ここが自分の帰るべき場所。
「あ、小夏。お迎えだぞ」
村の中腹にさしかかったところで、瑞が自転車を停めた。街灯の下、こちらを見つけて走ってくる小さな弟。
「おねえちゃん!」
「伊吹、大伯父様・・・」
「おねえちゃあん!」
駆け寄ってきた伊吹が足にしがみついてくる。熱い。痛い。だけどいつもみたいに怒鳴る気持ちにはなれなかった。
「うわあーん、うああーん!」
「ご、ごめん、悪かったってば・・・」
幼いながら、小夏が飛び出していくというわけのわからに事態に不安が爆発したのだろう。ゆっくりと追いついた穂積が、おかえり、と一言呟いた。
「あたし、ごめんなさい・・・たくさんのひとのまえで怒鳴ったりして・・・」
「いいんだよ、小夏」
帰ろうね、と優しい声。ここに帰ってこられてよかったなと、小夏は素直に思うのだった。
わずか三十分の家出だったけど、自分が大切にされてるってわかったから、よかった。
「おねえちゃん」
「もう泣くな」
「うん」
弟の手がまだ脆弱なうちは、こうしてそばにいてあげることにする。
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