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紡ぎ詩Ⅱ(stock)~MEGUMI AZUMA~

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流石に もう早く歳を取りたいとは思わなくなった
あと どれくらい生きるのか判らないが
予定では初孫の一人くらいは見てから幕を閉じたいと思っている
ぼけもせず病気もせずに逝くとしたら
六十代半ばくらいだろうか

人生はやり直しは何度でもできる
つい最近も落ち込んでいる人にそうアドバイスした
まだまだいけると思えるのは 
そういう強靱さが根底にあるからかもしれない
人生 一生まだまだいけると思って生きた方が絶対良い 


☆ 花のなまえ


紫陽花の別名は〝七変化〟

気まぐれな女性が男性に対して心変わりする様子を

花の色のうつろいに託しているのだという

―女ごころと秋の空

確かに そんな諺があるけれど

心変わりをするのは男女問わずのことではないだろうか


庭の紫陽花の色がまた少し深まった

ポンポンとした手まりのように愛らしい花を眺めていると

―七変化なんてはた迷惑な名前をつけられて、迷惑だよ。

花の声が聞こえてきそうな気がする

そういえば 紫陽花は花言葉も〝うつろいやすい心〟だとか〝心変わり〟だった

可憐な花にはむしろ〝清純〟だとか〝人の目を気にしない愛らしさ〟の方が

ふさわしいように思うのだけれど


梅雨入り前の曇り空の下

日ごとに色を深めてゆく花たちを見る度に

ふと 考えること



☆ 『真夜中の猫騒動』

 数日前の夜のことである。私が部屋にいると、ニィーという動物の鳴き声が聞こえた。同時にポチャンという音まで響き渡った。これは野良猫が庭の池に落ちたに違いない。急いで廊下に出てみたが、生憎、細い月が頼りなげに庭をうすぼんやりと照らしているだけだ。これでは何が起きたのか判らない。
 すぐに別室にいる夫や高校生の息子に声を掛けた。
「猫が庭の池に落ちたかもしれん!」
 それから大騒動になった。最近、野良が子猫を生んだばかりなので、子猫が落ちたのなら、余計にできるだけ早く引き上げてやらねばならないということになった。
 夫は息子と一緒に懐中電灯を持ち出して庭や池を照らして探したが、見つからなかった。しまいには私が勝手に幻聴を聞いたのではないかと夫は言い出す始末だ。それには大学生の娘まで出てきて、「私も確かに猫の鳴き声を聞いたよ」と言う。どうも、私の空耳ではなかったようである。
 何しろ、殆ど明かりらしい明かりもないため、それ以上は、どうしようもなかった。子猫にしろ、親猫にしろ、池に落ちたままでは助かるまい。池そのものはさして深いわけではなく、大人なら立てば脹ら脛辺りまでしか水はないだろう。私が子どもの頃には庭いじりの好きな祖父によって手入れされ、たくさんの色鮮やかな鯉たちが群れ泳いでいた。
 現在は手入れすることもなく、むろん魚一匹いない。夫は早々に探すのを止めて部屋に引き上げ、私は諦めきれず息子と二人で池の辺りを探した。しかし、ついに、それらしきものは見つからず、落ちた猫は自力で陸に上がったのだろうという結論に落ち着いた。
 池は一面の闇に包まれ、ひっそりと静まり返っている。その不気味な静けさが余計に私の不安をかき立てた。
 翌朝、私は池の側に駆けつけた。朝の光がくっきりと辺りの風景を照らし出している中、池の中から周辺を丹念に見ても、猫らしきものはまったく見当たらない。良かった―と、安堵の想いが押し寄せた。どうも猫の溺死体に遭遇するのではという不安が消えなかったのだ。
 我が家の庭は広いので、昔から野良猫の格好のすみかとなっている。折角生まれてきたのに、近くの道で車に轢かれて亡くなった子猫もいる。逆に、この子はもう長くはないと思った病気の子猫が無事に生き延びて親猫になったときもあった。
 ホッとしている私の傍ら、黒猫がゆっくりと前を通り過ぎていった。二年ほど前に生まれたこの猫はもう立派な母親になっている。
「もしかして、池に落ちたのは、あなたなの?」
 声をかけてみたが、むろん、返事はない。だが、私をじいっと見つめる彼女の顔がにんまりと笑っているように見えたのは気のせいだろうか。


☆『高麗の風に吹かれて』

 その美術館の存在を初めて知ったのは、ほんの一週間ほど前のことだった。「高麗美術館」。京都の大学時代、同じ寮にいた友達が岡山に来るというので、ついでに私の住む町に来た時、聞いた話だった。折しも高麗時代を舞台にした初めての作品を執筆中だということ、更には私自身が一週間後に京都に行く予定であったということ、どれもが偶然にとしては符合しすぎているような気もした。
 当初は各駅停車の在来線での旅を予定していたものの、はたと考えた。今回、その美術館に行かなかったとしても、また京都に行った別の機会のときに行くことはできるだろう。だが、高麗時代を舞台にした作品をそうそう書くとも思えない。そのただ中に、高麗美術館の名前を友人からたまたま耳にしたのは、大げさなようだが、やはり半分は必然のようにも思えた。
 考えた末、私は予定を調整し、当日に高麗美術館に行くことを決めた。そのため、在来線から新幹線の旅に切り替えることになった。午前中に高麗美術館に赴き、最初は午後早くから入れていた本来の予定の開始時間を1時間半ほど延ばして貰った。
 美術館は北区にある。JR京都駅からだと市バス九番の「下加茂車庫」行きに乗れば、直通で行ける。大体、三十分から四十分ほど乗り、「加茂川中学前」で降りた。事前に℡で詳しいことを訊ねていたので、バス停を降りたらすぐに看板が見つかった。真っすぐ歩いていくと、直に建物が見えてきた。
 いかにもマニアックというか、普通の美術館とは違う趣の門前だ。そのどこかノスタルジックな高麗美術館の門の前に立った瞬間、私は高麗時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われた。まず通用門を入ると、当時の貴人のお墓を模したという石造りの像や石塔がひっそりと建っている。お墓の門をくぐって中に進むと、たくさんの石像がお墓(レプリカ)を守るように居並んでいる光景が少しだけ私を圧倒した。
 ゆっくりと眺め回す私の側を涼しい風が吹き抜けてゆく。清々しい木々の緑と苔むした石群が穏やかなコントラストを見せている。梅雨の狭間のくもり空が京都にはひろがっていた。湿った空気を含んだ風は現代のものでありながら、現代のものではない。その刹那、私は確かに、かつて高麗時代に吹いていたであろう懐かしい風を肌で―五感で感じたのだった。
 眼を閉じると、高麗時代に生きた人々の囁きが聞こえてくる。朝鮮時代とは違う服装をした人々が賑やかに行き交う町の様子や、華やかに繰り広げられた王宮絵巻がゆっくりと浮かんでは消えていった。
 頭上で、鳥がするどく鳴いた。その声が私をはるか昔の時代から、この現代へと引き戻す。次の予定があることを考えれば、そうそうのんびりとしていられない。私は慌てて石像たちに背を向けた。