紡ぎ詩Ⅱ(stock)~MEGUMI AZUMA~
もしかしたら いちばんうえのむすめがはじめてきた じゅうにねんまえから
ゆいしょただしく わがやのむすめたちにうけつがれてきたものかもしれない
どんなにおふるのせいふくでも
すえっこは おさがりの「あたらしい」せいふくがうれしいらしい
そうなんだ
おねえちゃんたちのおさがりでも
あなたには 「あたらしい」せいふくなんだね
ららら ららら
「あたらしくて」ふるい せいふくをきて
すえっこがうれしそうに くるくるとうたいながらおどる
こどもがはねるたびに おさげがみも ゆらゆらゆれて うれしそう
ららら ららら
きのう かぞくではなしあった
さいごにしょうがっこうのせいふくをきるこが そつぎょうするときになったら
だれか せいふくをほしいひとに あげようね
うちで きないせいふくをたいせつにしまっておくよりは
ほしいひとに きてもらったほうが
せいふくもよろこぶよ
そう はなしあった
さんばんめのすえっこが しょうがっこうのせいふくをきるのも あとにねん
ちいさいせいふくから おおきいせいふくへ
おおきくなったんだね
ららら ららら
うれしげに はねておどる おんなのこのかみのけが
はるのひざしにゆれる
☆『春の雨』
雨が降っている
春の雨といえば暖かでやわらかな印象があるが
まだ三月初めは冬の雨に近く 冷たい
ようやく咲きかけたばかりの白木蓮の花が心ない雨に打たれている
数日前までは蕾も固かったのだけれど
ここのところの桜が咲きそうな陽気にいざなわれるかのように
一斉につぼみがほころんだ
折角花開きそうな白木蓮があの雨で台無しにならなければ良いが
祈るような気持ちで廊下に佇み庭を眺めた
愕いたのは どの花も凛としていたことだ
私の勝手な想像にすぎないが
何か冷たい雨に打たれて うなだれている花たちのイメージがあった
だが 現実は何という違いだろう!
たくさんの花たちは頭を垂れるどころか
むしろ毅然と雨に打たれて―いや 打たれるというよりは浴びて
前を 或いは天を向いて伸びていた
今にも開ききりそうなそのやわらかなつぼみや花びらは
まさに 健やかなという言葉が似合いそうに思えた
辛く長い厳しい冬を耐え やっと忍従のときから解放され
また冷たい雨に打たれる花たち
けれど その何と凛然として健やかな姿であることよ
その姿は見る私の心の奥深くを揺さぶらずにはいられない
「花はどんな場所でも咲かせられる 」
私の座右の銘にまた今日 新しい言葉が一つ加わった
―花は雨の日もどんなときでも凛然と前を向いて咲いている
けして自分の不幸を嘆くでもなく恨むでもなく
ただ 控えめな誇らしさをその身にみなぎらせて―
☆『遙かなる道~遠い道程~ 第二章』
時々 進むべき道を見失いそうになる
時々 この道を選んで本当に正しかったのかと後悔しそうになる
ただ夢と信念と想いだけでは
ひとすじの長い道を進むことは難しい
哀しいけれど それが真実
幾度も迷い 揺れ動きながら手探りで進むこの道
だけど 一つだけ気づいたことがある
どの道を選んだしても 結局は同じなんだと
どの場所でも同じような試練が起こり 同じような人はいる
逃げ出すように居場所を移したとしても
自分の心がしっかりと定まっていなければ同じことの繰り返し
だから 心はしょっちゅう揺れても
もう過去は振り向かない
選んだ道を後悔はしない
一つの信念を貫き通すだけの強さがなければ
一つの道を目的地まで歩き通すことはできない
必要なのは強さと
そして〝まっ、いいや〟とささやかな試練なんて吹き飛ばせるだけの剛毅さ
私はひたすら道を歩く
その遙かなる先にまたたく小さな灯りに焦がれながら
☆『予感。~花の色、ながめせしまに~』
予感
この時季になると 洗面所の小窓から外を覗く回数が増える
何が楽しみかといえば
日々 少しずつ うつろいゆく紫陽花の花の色
今朝 ハッとした
―色が変わっている!
昨日までは確かにまだ色づいていない状態だった花が
今日は明らかに うっすらと色づいている
梅雨を嫌う人は意外に多いけれど
実は 私はこの季節が好きだ
雨の中をくるくると風車が回るように行き交う鮮やかな傘の色たち
降りしきる雨滴に打たれて日ごとに色を深める紫陽花
そして何より 雨上がりのインクブルーの爽やかな空の色合いや
雨の匂いをたっぷりと含んだ土の匂い
雲間から洩れ始めた陽射しを反射して煌めく緑の樹々
雨降りの季節ならではの楽しみがたくさんある
雨のせいで灰色に塗り込められる日々だからこそ
普段なら見逃してしまいそうな ささやかな風景が際立ってくる
セピア色の中で咲き誇る紫陽花や行き交う傘の群れがそこだけ色づいて鮮やかに見える
今日 漸く変わり始めた花の色を見て
ふいに〝予感〟という言葉が浮かんだ
始まりの予感
何かかが変わろうとしている予感
選んだ道の先に何があるのか判らないけれど
応えはけして一つとは限らない
真っ白なキャンバスを思い浮かべてみる
自分が心に描く花の色は どんな色に染まるのだろう
梅雨入りにはまだ少し早い初夏の朝
ひっそりと眼を閉じた私の耳に
庭の片隅で鳴く蛙の鳴き声が響いてきた
☆「私の生きてきた道」
十歳になったばかりの頃は早く大人になりたいと思った
ドラマや小説のヒロインは圧倒的に16、7歳が多い
まだ中学生の私には
わずか数歳しか違わないはずの彼女たちが随分と輝いて見えた
〝17歳〟、何か素敵なことが起こる特別な年齢のような気がした
憧れている中に月日はあっという間に過ぎ 待望の17歳になった
でも 何も特別なことは起こらない
映画のように素敵な恋も出逢いもなく それでも普通に楽しい高校時代が過ぎた
二十歳になったばかりの頃は「若さ」はどこか永遠のような気がしていた
もちろん そんなことはないと頭では理解していたが
歳を取った自分というのを想像してみることは難しい年齢だった
その頃 流行っていたドレンディドラマの主人公は皆 三十代
あまり歳の離れていない彼等が私には〝大人〟に見えた
早くあんな風になりたいと願っている中に
気がつけば三十路に突入していた
三十歳になったばかりの頃 そろそろ「若さ」にも限界があるという現実を
身近に意識し始めた
頭でしか漠然と理解していなかったことが
急に我がこととして受け止められるようになった
それでもまだまだ〝老い〟は先のことだとしか思えない
次々と子どもが生まれ 子どもたちの世話に追われている中に
飛ぶように過ぎ去った三十代
四十歳になったばかりの頃 何か中途半端な三十代よりは
四十歳というキリの良い年齢がカッコ良いように思えた
子どもたちもある程度大きくなり 自分の時間がもてるようになった
ある意味で とても充実した時期の始まりだったように思う
早く大人になりたいと願っていた頃からすれば
何と遠くまで来てしまったことか
それでも〝まだいける〟と少し強気で思うのは
負けず嫌いなのか それとも本気なのか
恐らく そのどちらでもあるまいか
今 私の眼の前にあるのは〝五十代〟、〝六十代〟の少し先の自分の後ろ姿だ
作品名:紡ぎ詩Ⅱ(stock)~MEGUMI AZUMA~ 作家名:東 めぐみ